ライオン
そのころ、もうお店の仕事はもうどうでもよくなっていました。
今までのぼくと別人格になったような理解不能な行動に、親方をはじめ、従業員たちはぼくの頭が少し狂ってしまったように見えただろう、と思います。
そのくらい、なり振り構わずでした。
木工作業中に、ぼくは自分に関する様々な要素・・・
例えば
素直に、自分は何が好きなんだろう
今まで何に感動し、何に共感したのだろう・・・
いわば「本来の自分の姿」を思い出すための問いが吹き出てきました。
子供のころ、こうやって手先を使って何かを作り出す作業が大好きだった。
絵を描いたり、料理をしたり、木工をしたり・・ラジオを自作したこともあったなあ。
ラジオから聴こえてくるアメリカのオールディーズ音楽やレゲエ。
ブルーズにソウルにロカビリー。
知らない音楽。
強烈なカルチャーショック。
最高だった。
アメリカのラジオ局、FEN(極東放送)でエアチェックするのが日課だ。
毎晩ラジオに噛り付いていた。
様々な音楽を知ったけど、中でもイギリスのロックバンドの(THE CLASH)には、もう血液が逆流するぐらいの感動を覚えたなあ。
ここに来て以来、そんな感覚にはずっと蓋を閉じていたのはどうしてだろう?
そんなことを考えながら
ぼくはライオンの顔やタテガミの表情をノミで彫っていったのです。
毎日少しづつ作業を進め、二週間くらいで大まかな全体像が出来上がってきました。
こんなものが出来てくるなんて全く考えてもいなかったし、なぜ作っているのかもわからないが、この作業をしている自分と作品、これが本当の自分自身の姿なのだ、という確信的な
感覚があったのです。
しかし、妻子に別れを告げ、再び日本を離れる時、ぼくは彼女らに約束をしていたことがありました。
それは
「必ず、何らかの形で、日本とアメリカを行き来できる状況と収入を得る」
ということです。
しかし、本当はそのあてなど全くなかったのです。
(その資金はどうやって稼ぐ?)
(ここでまた働いたって到底無理じゃないのか?)
(スシシェフ以外、何ができるというのだ?)
口から出まかせで「何らかの形」なんていい加減なことを言ってしまったことを悔やみ、
そして今、その約束には何の関連性もない、ただの遊びのようなことに没頭しているのだと気づき、猛烈な不安と罪悪感に襲われるときもしばしばありました。
毎月の給料から、妻子への仕送りは続けてはいましたが、それ以上の、(収入を得るための行動)、経済活動に対するアプローチは何一つしていない。
いやむしろそれからどんどん離れているのです。
(一体お前は何バカなことをしているのだ?こんなことをしていていいはずがない)
(人生が崩壊するぞ、後戻りできないぞ、それでいいのか? 娘はどうするのだ?)
そんなプレッシャーをかける自分の心の声が聴こえるのでした。
しかしぼくにはこれしかないのだと
今まで以上に
本当に怖いけれど
これしかやることが無いのだ
とぼくは心の底からの叫びを「ライオン」に刻み続けたのです。