抽選永住権
「ヒロ、ヒロちゃん、あ、当たったんだよ、グリーンカードのやつが・・」
「あ、当たったんだよ!」
それはちょうどお店の定休日でした。
ぼくは帰国の準備をするために買い物に出かけ、夕方寮に戻り車を降りると、
ぼくが玄関ドアを開ける前に、先輩の今川さんが血相を変えて飛び出てきたのです。
今川さんは、吸いかけのタバコを指に挟んだまま、手を振り回し訴えました。
「たった今、電話があった。ヒロちゃんの抽選永住権が、当選したって!」
(あ、ああ、ええっ!?)
ぼくは茶色い大きなスーパーマーケットの紙袋を抱えたまま、
その場で立ち尽くしてしまいました。
アメリカでは、1990年度から「抽選永住権制度」というものがスタートしていました。
それは日本で言う宝クジのように、クジに応募して当選すれば永住権が取得できる制度で、ぼくたち従業員はそれとなく情報交換をし、それぞれが自らの判断で応募していたのです。
応募したのはもう半年も前のことでしたが、もちろん親方には内緒です。
しかし、初年度は5万人の当選者に対し世界中から約2千万通の応募が殺到した、
という噂が流れ、当選倍率からして当たるわけがないと、皆冗談交じりでした。
抽選永住権制度が始まって以来、その応募条項の英語での作成の代業を安価でする、という日系の弁護士事務所がアメリカ全土に存在していると聞き、ぼくはリトル東京へ仕入れに行った際に現地の日本人向け情報誌で調べ、当てずっぽうで代行業者を選んで応募していたのです。
その狭き門に、なんと、ぼくが当選してしまったのです。
今川さんは、電話の相手は日本語だったから聞き間違いはないよ、と言いました。
(この土壇場で逆転、何ということだ!)
(奇跡としか言いようがない・・・)
(ホントに不思議だ)
何か、騙されているような気分でした。
なぜなら、まず当たるとは微塵も思っていなかったのはもちろん、代行業者を選んだ時も、適当にカリフォルニアからずいぶん遠方のニュージャージー州の偽物業者ともわからない
弁護士事務所に依頼していたからです。
ほとんど忘れていたし、要するに冗談半分だったのです。
ぼくはあまりの驚きで放心状態になりましたが、平常心を保つフリをして、親方に当選の旨を報告することにしました。。