即身仏 

 

 

彼女との別れを境に、ぼくは以前にも増して猛然と働くようになりました。

 

苦しみから逃れるにはそれしかなかったのです。

 

 

 

 

 

毎朝起きて顔を洗い、鏡に映った自分の顔をじっと見て言い聞かせるのです。

 

(必ずチャンスは来る、状況は変わる。やるのだ)

 

そう自分に言い聞かせ、起きてから寝るまで、定休日も休まずとにかく仕事をするのです。

 

テレビは見ない(見てもわからない)

 

新聞も本も読まない(日系人新聞は読むのを禁止されている)

 

酒も飲まない(親方は下戸なので従業員にも禁酒を強要する)

 

音楽も耳に入らない(あんなに好きだったのに)

 

 

 

日本の情報はもちろん、世間の情報をすべてシャットダウンするというストイックな生活をする、いや、そうせざるを得ないのです。

 

そうすることによって常に自分の心と対峙し、集中して自分に言い聞かせるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休むまもなく仕事を入れる。

 

 

 

 

 

お店の他にも寮の管理、清掃。備品の買い付け。

 

共同電話代の管理。

 

車のない従業員の買い出しなどの世話、共同生活の場にはやることがいくらでもあります。

 

 

それでも彼女の顔が浮んできて思い出や彼女の新婚生活などの妄想が止められず無限に膨らみ、ぼくを追い詰めるのです。

 

底なしの不安と焦りが湧いてきて、飲み込まれたら立ち上がれなくなると思い歯を食いしばりお腹に力を入れて耐えるのです。

 

この環境に完全に嵌って、親方という「教祖様」のためにすべてを捧げているのも理解しているのです、でもそれしかないのだと自答するのです。

 

 

 

こうして観念はグルグル回るのですが、状況は依然として何の進展もなく、皿を洗い続けて4年にもなりました。

 

 

 

ぼくはこのまま、アメリカという途轍もなく広大な土地に埋もれ、人知れず死んでしまうのではないか、という妄想をしてしまうときもありました。

 

 

ある日など、昔テレビか何かで知った修行僧の話を思い出し、自分と重ねてしまうというバカげたことも考えてしまいました。

 

瞑想状態のまま絶命しミイラになるという「即身仏」です。

 

果てしなく続く労働の中で、そんなものを連想させるほどの精神状態になっていたのです。

 

 

 

 

 

 

しかし、いつまでも永遠に変わらないものや状況などないのです。

 

 

その「劇的な変化」はある日突然やってきたのです。

 

 

ただの偶然か、それとも心の状態は現実化するのか?

 

 

 

まったく想像していなかった事件により、何としてもこの状況から抜け出たいというぼくの願いは叶えられるのでした。