数秘で『デビィ夫人』の人生設計図を読み解く

 

ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ

人生は「生活」のためでなく

「生きる」ためにある。

 

     

  誕 生 数 4(22-4.13-4)

運 命 数 3(12-3)

ソウル数 3(30-3)

人 格 数 9(18-9)

実 現 数 7(70-7)

 

 

 

 

 は じ め に 

 

 

テレビで活躍しているデヴィ夫人を初めて見たときの印象は、怖そうで、偉そうな夫人。

 

 

 

元スカルノ大統領夫人って何?外人さんなの?って思いました。

 

 

 

現在のバラエティで活躍している印象とは違い、いつも誰かと言い合いしているようなところがとても印象に残っていました。

 

 


そして、この印象が180°変わるのは、「世界の果てまでイッテQ」でいろんなことに楽しそうにチャレンジしているデヴィ夫人

 

 

 

え?なんで、あのご意見番のデヴィ夫人がバンジージャンプしたり、イルカに乗ったりしてるの?

 

 

 

すごく楽しそうに、自らの意思で、どんな困難なことも華麗にやり遂げられる姿に感動を覚えました。

 

 

 

当時77歳のデヴィ夫人の名言

 

 

 

「誰かに出来るなら、

 自分にも出来ない訳がない。

 歳を取ることよりも、

 挑戦しなくなることの方が

 怖いのよ」

 

 

 

なんて重みのある言葉なんでしょう。デヴィ夫人は他の誰でもない、自分との闘いを楽しんでいるそう感じました。

 

 

 

自分の人生を誰かと比べるのではなく、自分自身で自分を開拓してきた人の言葉だと思いました。

 

 

 

そして、この方の人生はどんなものなのか吸い込まれるように知りたくなりました。

 

 

 

 

 

デ  ヴ  ィ  夫  人

1940年(昭和15年)2月6日

現在の東京都港区麻布で

根本七保子(ねもとなおこ)

と し て 生 ま れ る

 

 

 

 

まるで、ハーフのような顔立ちをされていますが、生粋の日本人です。

 

 

 

父・母・弟との4人家族。父の職業は、大工の棟梁。

 

 

 

デヴィ夫人は、生まれたときからセレブではありません。むしろ、貧乏な家で生まれ育っています。

 

 

 

 

 

 

 幼 少 期 の 思 い 出 

 

 

デヴィ夫人は、第二次世界大戦中、足の悪い母と幼い弟と共に空襲で逃げ回ったことを上げています。

 

 

 

~空腹が続き生きる気力さえも奪われそうになるわたしくたちに艦載機が容赦なく襲い掛かり、そのたびに山に近い川辺の竹やぶまで走って身を隠していました。

 

 

 

足の悪い母と小さな弟の手を引き、橋を渡り田んぼを横切り畑を駆け抜け、竹やぶに身をひそめるまでは、本当に生きた心地がしなかったものです。

 

 

 

やっとの思いで竹やぶにたどり着いても、村の人は「ここに入ってくるな!」とわたくしたちに怒号を浴びせるのです。それでも襲ってくる爆撃から逃れるためにやむなく竹やぶに飛び込むと、

 

 

「来るなと言ったのに何で入ってくるんだ!」

 

「そんなにゆっくり走ってきて敵機に見つかったら、ここにいる全員が爆撃されるんだぞ!」

 

村人から一斉に向けられた怒りに謝ることしかできない母は、地面におでこを擦り付けるように土下座していました。

 

 

 

それでも収まらない村人が母に手を上げようとしたとき、わたしくは、思わず母の前に立ち、両手を広げて「ダメ!」と叫んだのです。

 

 

 

幼いながらにも、母を守らなければという気持ちがわたくしにはありました。~

 

『 選ばれる女におなりなさい 』より

 

 

この記憶にあるように、その後も、デヴィ夫人は、私がこの家族を守らなければという思いで過ごしてきたことが著書の中にたくさん散りばめられています。

 

 

 

疎開先で村の人に受けた仕打ちやその中で当時4歳のデヴィ夫人が必死に守った母と弟の話は、今のデヴィ夫人の芯の強さそのものだと感じます。

 

 

 

そして、今のデヴィ夫人からは、想像できない貧乏でひもじい生活は、現在のデヴィ夫人の原動力になったことは間違いありません。

 

 

 

「貧しい境遇に生まれ

 苦労したことはラッキー

 だったと思っています。

 貧しさは神から与えられた

 ギフトであり、

 イデオロギーであり、

 パワーの源なのです。」

 

『選ばれる女におなりなさい』より

 

 

戦争中で、本当に貧しく大変な生活でさえ、デヴィ夫人に取れば、それがギフトであったと思えることが、やはり芯の強さと生命力を感じます。

 

 

 

もう一つ、デヴィ夫人の武器と呼べるものとして、自分が幼少の頃から、ひときわ目を引く「特別にかわいい」存在であることもしっかりと認識されています。

 

 

 

しかし、可愛さだけでは、世の中、通用しないという体験もしっかりとしています。

 

 

 

それは、小学校時代、お金持ちの女の子がチヤホヤされて特別扱いされていたこと。

 

 

 

こうした経験から、容姿だけでなく、知識や教養、地位やお金も必要であると学んだのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、気になる

 

 デヴィ夫人のチャート表 

 

 

をご紹介。デヴィ夫人のバースデーネームは、先にも書いた根本七保子(ねもとなおこ)。

 

 

 

そして、現在では、デヴィ夫人。戸籍上は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)

 

 

 

ちなみに、この名前は、「宝石の精なる女神」という意味。

 

 

スカルノ大統領からのプレゼントだそうです。 

 

 

今でもお綺麗ですが、若い頃は、真珠や宝石に例えられるぐらいに、ひときわ輝いた存在だったことが写真でもよくわかります。

 

 

〈 デヴィ夫人チャート表 〉

 

     誕 生 数 4(22-4.13-4)

運 命 数 3(12-3)

ソウル数 3(30-3)

人 格 数 9(18-9)

実 現 数 7(70-7)

 

まさに、誕生数 4 (13-4,22-4)「勤勉・忍耐力・知識欲」「自分の能力を社会で活かしていくこと・忍耐強く着実に一歩ずつ目的を実現させるプロセスを学ぶこと」をデヴィ夫人は生きています。

 

 

 

上記の幼少期の経験もカルミックナンバー13厳しい経験からの学びを得ています。

 

 

 

貧しい生活の中で味わった、悔しい思いは、しっかりと原動力となり自らの足で生きていくという強い基盤になっています。

 

 

 

幼少期以降もカルミックナンバー13は、彼女の人生を見事なまでにドラマチックに破壊と創造の経験へと導いていきます。

 

 

 

デヴィ夫人は、優秀で絵の才能もあったのですが、家族の為に中学校卒業後、就職の道を選びます。この時の事を、デヴィ夫人は、こう書いています。

 

 

 

「この時わたくしが

 選んだ道は正しかったと確信

 していますが、幼い頃は、

 裕福な人を見るたびに

 心が痛くなりました。」

 

 

 

この年のデヴィ夫人のイヤーサイクルは19-1の年、今の時代では考えられませんが、15歳で自らの人生の第一歩を踏み出したのかもしれません。

 

 

 

【第一ステージ】 0歳~32歳

 サイクルナンバー2 

 ピナクルナンバー8 

 チャレンジナンバー4

 の決断らしいと思います。

 


サイクルナンバー2は、「家族に協力したい、家族を守りたいという強い使命感」

 

 

 

そして、ピナクルナンバー8は、「お金や地位」を求め積極的に行動したのでしょう。

 

 

 

チャレンジナンバー4は、就職という「堅実で、安定」を手に入れる行動にチャレンジしたのだと思います。

 

 

 

デヴィ夫人が感じているように、この選択は、選ばれるべき道だったように思えます。

 

 

 

中学を卒業したデヴィ夫人は、当時、合格率1%未満という難関の千代田生命に合格します。

 

 

 

このことも、デヴィ夫人は、著書に書いています。

 

 

~わたくしが今の立場にあるのを、

「大統領との結婚があったからだ」

と勘違いされる方も

いらっしゃいますが、

 

 

自分の人生は

自分で切り開くもの。

 

 

これは、この当時から

わたくしが持ち合わせていた

 

 

“自分の人生は自分で

 切り開くパワー

”他力本願やなりゆきだけで、

 人生は開拓できません。~

            

『選ばれる女におなりなさい』より

 

 

 

これは、まさに、誕生数(22-4)のなせる業。

 

 

 

デヴィ夫人の言葉ですが、“自分の人生は自分で切り開くパワー”は、まさに、22のマスタービルダーそのものを表すと思います。

 

 

 

そして、このパワーは、超人的で、千代田生命に入社後、仕事の合間のランチタイムの50分間のアルバイト、土日は喫茶店でアルバイト、夜は定時制の高校に通うというハードなスケジュールをこなして家族を養っています。

 

 

デヴィ夫人のすごいところは、こんな過密スケジュールの中、自分のやりたいことは犠牲にしないこと。

 

 

 

途中で、定時制の高校は辞めて、俳優育成プロダクションに入り、演劇、声楽、舞踊の勉強もしています。

 

 

 

誰かに勧められてではなく、

自らがしたいからやる

という徹底したスタイルを貫いています。

 

 

 

自分が選んだ事だから、それを楽しみながら生きている。過密スケジュールだから、辛いなどの言葉は一切ありません。

 

 

 

常に目的意識を高く持ち、爆発的なパワー、実行力、忍耐力を持ち、階段をかけ上がっていく姿は、周囲の方が見てもひときわ輝く存在だったと思います。

 

 

 

そして、演劇や、芸能の道を選択しているのは、運命数3、ソウル数3の「表現力、感性の豊かさ、外交的」をそのまま生きています。

 

 

 

デヴィ夫人、17歳の春、当時、赤坂にあったコパカバーナという高級サパークラブに最初はお客として足を踏み入れます。このクラブのお客様のほとんどが裕福な外国人で世界の社交場でした。

 

 

 

のちに、デヴィ夫人は、ここで、働くようになり、一晩で、当時のサラリーマンの月収の半分を稼ぐことになります。

 

 

 

ここでも、いやいや働いていたのではなく、この煌びやかな社交場が好きで、ここに来るお客様の生きた英語が学びたいという意欲と自分のお店が持てるぐらいの資金調達がしたい、

 

 

 

一流の外国人たちとのコネクションを作り世界への道とチャンスを模索するという目的をはっきりと持って選択しています。

 

 

 

コパカバーナは、世界の富豪が集まるクラブでしたので、見た目も美しく、英語も話せ、凛としたデヴィ夫人は、多くの富豪からプロポーズを受けていたようです。

 

 

 

しかし、そういう現状に浮足立った状態にならず、これが自分の望んでいた未来なのか?と自問し、確信がもてなかったと記しています。

 

 

 

そんな中、デヴィ夫人の運命の人であるスカルノ大統領との出逢いが訪れます。

 

 

 

ある日、『東日貿易』という商社の社長さんから、「紹介したい男性がいる」という誘いを受けます。

 

 

 

ここが、デヴィ夫人の引き寄せ力。目の前に現れた大富豪より、まだ見たことのない男性に吸い寄せられるかのごとく、商社の社長の誘いを受けます。

 

 

 

この誘いを受けたことを、デヴィ夫人も、「なぜだか彼の(東日貿易の社長)言葉に自分の人生をかけてみようと思ったのです。」と書いています。

 

 

 

そして、煌びやかな世界コパカバーナの仕事辞めています。これは、デヴィ夫人が持つ、22の引き寄せナンバーからのインスピレーションなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 運 命 の 出 逢 い 

 

 

デヴィ夫人ご本人が、運命の出会いとして、上げているスカルノ大統領との出逢いは、メディアで言われていることとデヴィ夫人が本に残してることと多少のズレはあります。

 

 

 

様々な捉え方、憶測あると思いますが、デヴィ夫人から見た現実から、探っていきます。

 

 

 

デヴィ夫人は、先に上げた『東日貿易』という商社の社長(久保さん)と映画を見る約束をし、その待ち合わせの場所に別の人が現れ、久保さんが遅くなるのでという理由でお茶会の席に案内されます。

 

 

 

そのお茶会で、スカルノ大統領を紹介されます。

この最初のスカルノ大統領の印象をデヴィ夫人は、

 

 

 

「目がキラキラと輝き、チャーミングな八重歯と慈悲深い大きな優しさ。サパークラブで世界の富豪たちとは対等な関係を築いてきたけれど、それでもその時の雰囲気は格別!」

と言っています。

 

 

 

その時は、ほんの少しの時間、談笑しただけで、その二日後、駐日インドネシア大使館に招かれ、大統領が帰国の際もお見送りに行かれたそうです。

 

 

 

こんな出逢いが日本の一般女性に起こるなんて、まさに夢物語。これは、マスターナンバー22のなせる業?

 

 

 

当時19歳のデヴィ夫人も、恐らく、ここから先の発展を期待していたわけではなかったと思いますが、大統領が帰国されてしばらくして、デヴィ夫人の元に大統領から手紙が届きます。

 

 

 

デヴィ夫人の写真を送って欲しいと書かれてあったそうです。

 

 

この時、デヴィ夫人は、大統領が自分を気に入ってくれたんだと直感があったが、遠い国の大統領がまさか・・・という思いもあり、気持ちが落ち込んだり、浮ついたりとジェットコースターのような毎日を過ごしたようです。

 

 

 

しかし、そのまさかが、現実のものになります。

 

 

 

大統領から手紙が届き、今度は、

「2週間ぐらいインドネシアに遊びに来ませんか?」と書かれてあったそうです!

 

 

 

この時代、手紙でこんなドラマチックやり取りが行われていたなんて、なんともドキドキわくわくの話ですが、メディアの報道では、

 

 

 

【大和撫子のシンデレラ婚】

 夜の蝶!?から

 大統領の第3夫人へ

 デヴィ・スカルノ

 

 

 

これは、当時の記事ではありません。

恐らく、デヴィ夫人が芸能活動後に記事になります。内容を少し抜粋すると

 

 

 

「当時インドネシアと巨額のビジネス関係にあった貿易会社のメンバーがデヴィを見初めスカルノ元大統領に引き合わせたと言われています。

 

 

 

最初は愛人の一人にすぎなかったようですが、デヴィの真面目で勤勉な態度が認められスカルノ元大統領の第三夫人となります。当時スカルノ58歳、デヴィ19歳、なんと39歳差の超年の差婚でした。」

 

 

 

当時、日本とインドネシアには、巨額のビジネスが動いていた背景があります。東日貿易は政府の戦後賠償の事業を請け負っていました。

 

 

 

そして、デヴィ夫人の他にもクラブのホステスがインドネシアに送り込まれていたと言う噂もあります。デヴィ夫人は、対外的には、東日貿易の秘書としてインドネシアに送り込まれたといわれています。

 

 

 

国家間の大きなビジネスの犠牲者にもなりかねない出来事ですが、当時19歳のデヴィ夫人側から見たら、紛れもなく運命の出逢いではありますし、シンデレラストーリー。

 

 

 

デヴィ夫人は、著書の中でもスカルノ大統領を愛していたし、愛されていたことをはっきりと描いています。

 

 

 

ここでも、国家のビジネスに利用され、翻弄されるのではなく、自らの立場を守るすべをわきまえた姿は、マスターナンバー22が色濃く出ていると思います。

 

 

 

デヴィ夫人の著者には、描かれていませんが、インドネシアに渡る際、東日貿易とデヴィ夫人の間で約束が交わされたようです。

 

 

 

・日本に置いてきた母と弟の生活を守ること

・正式に大統領夫人にすること

・日本側の賠償金のビジネスの窓口はデヴィ夫人のみ

 

 

 

19歳の子がここまでの約束を交渉できるの定かではありませんが、

デヴィ夫人なら、そこまでの覚悟でインドネシアに渡ったのではないかと思います。

 

 

 

そして、デヴィ夫人の希望通り、1962年インドネシア国籍となり、正式にスカルノ大統領の第3夫人となります。

 

 

 

正式に妻となったといえど、第3夫人。異国に地に、身一つで嫁いだデヴィ夫人の努力は、計り知れないものがあったと思います。

 

 

 

デヴィ夫人は、日本に居た時から、英語は習得していましたが、インドネシアに渡ってからは、インドネシア語も習得しています。そして、亡命先のフランス語も習得されています。

 

 

 

語学だけを見ても、相当な努力家であることがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デヴィ夫人の持つコアナンバー

 

 誕生数「4」(22-4・13-4)

 

 

誕生数は、これまでに取り上げたヒストリーの中で髄所に、4,22,13の人であるということが現れています。

 

 

 

デヴィ夫人は、4の「真面目、堅実、実現力、勤勉」さで自らの人生を変えていった方です。

 

 

 

22は、「引き寄せ、高い理想、有能、硬い意志、外交能力」、まさに、22が際立つ人生だと思います。

 

 

 

 

 

 

 運命数・ソウル数がともに 「3」

 

3は、「表現、生産」

 

 

若い頃から、絵が好きだったり、俳優育成プロダクションに入ったりと、表現することも好き。

 

 

 

また、スカルノ大統領を陰ながら支えていた背景には、ソウル数3の「精神的な喜びを与える」ことに集中していたように伺えます。

 

 

 

スカルノ大統領からのプロポーズの言葉が、

 

「私のインスピレーションになり、

 力の源泉となって、

 私の人生の喜びになってください」

 

 

 

この言葉を受けて、デヴィ夫人は

 

 

 ~わたくしは

 選ばれたのです。

 選ばれた以上、

 それにこたえるのは

 わたくしの役目では

 ないでしょうか。~

 

『選ばれる女におなりなさい』より

 

 

そして、大統領を支えようとベスト・アドバイザー、ベスト・アシスタントとして病院建設や慈善事業を率先して行ったようです。

 

 

 

この辺りも、デヴィ夫人が持っているコアナンバーが大いに活かされたことがよくわかります。

 

 

 

1965年スカルノ大統領失脚までの間、第3夫人としてインドネシアで今まで経験したことのない暮らしをされていますが、優雅に遊んで暮らしていたというよりも、自身を磨くことを怠らない夫人の様子が上記の内容でも垣間見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 人 格 数 「9」

 

 

大統領夫人になるまでのデヴィ夫人(22歳)をリーディングしただけでも、ドラマチックかつ波乱万丈、相当な芯の強さと努力の人であることがわかります。

 

 


人格数9は「幅広い人々と交流できる人、物腰柔らかそうでいて冷静、人当たりのよさ」が挙げられていますが、まさに、このパーソナリティを前面に出し、異国の地で、自らの地位を切り開いてきたと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 実 現 数 「7」

 

 

「なるべく、多くの経験を重ねて、視野を広げること」

 

「よりたくさんの人と交際し、心を開放し分かち合う」

 

「自分自身を信頼し、自分の人生と精神を解き放つこと」

 

7の人へのアドバイスがデヴィ夫人にはとてもよく当てはまっており、実践されていると感じます。

 

 

 

実現数は人生の後半以降に発揮されるので、テレビでご意見番として、活躍さていたのでしょう。自分にも厳しい人なので、他人にも厳しくストレートにそのままの気持ちを出すことが話題になってしまうんですね。

 

 

 

デヴィ夫人が対談で語っていたことを抜粋します。

 

 

 

「日々、世界では理不尽なことが

 起こりますが、それに対して

 私は素直に怒り、

 考えを述べているに過ぎません。

 

 

 

『怒り』 は私の原動力ですね。

 私が本音で物をいえるのは、

 これまでの経験や体験から

 得た自信と誇りがあるから

 だと思います。

 

 

そして、



 精神的にも物理的にも経済的にも

 完全に独立、自立した人間ですから、

 誰かに義理立てすることも、

 忖度する必要もないのです。



 どんな人でも、

 こういうことをいったら

 あの人に影響があるんじゃないか、

 これはあの人にお世話になって

 いるからいえないということが

 あると思いますが、

 私にはそれが一切ありません。

 

 

 精神的にも物理的にも経済的にも

 独立していることが、

 本当の意味での贅沢なのです。

 私は、そうした自由を勝ち得た

 数少ない人間の一人なのかなと

 思いますね」

 

 

 

 

 

 

 

年表で大サイクル、ピナクル、

チャレンジナンバーで

デヴィ夫人のその後の

人生を見てみたいと思います。

 

 

【第一ステージ】 

 

【 0歳-32歳 】

 

最初の方で、第1ステージの事は、触れているのですが、

 

サイクル(テーマ・課題) 2     

ピナクル (状況や環境) 8   

チャレンジ (達成目標) 4 

 

 

サイクル2は「実力をつけること」が何よりも武器となる。

 

 

その通り、デヴィ夫人は、しっかりと学び、教養を身に着け、様々な体験をされて、それが、彼女の武器となっています。

 

 

ピナクル8、地道な努力を続け、富、名声を手にしています。そして、行動力、実行力が驚くほど発揮されてます。

 

 

チャレンジ4は、真面目にコツコツ、現実的な問題を着実に乗り越えられてきたと言えるでしょう。

 

 

1940年- 0歳(22) 

2月6日東京都港区麻布で誕生

 

 

1955年-15歳(19) 

新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』にエキストラ出演

地元の中学校卒業後、東京都立三田高等学校定時制課程に進学すると同時に、難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする

 

 

1956年-16歳(20)    

父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く

 

 

1959年-19歳(23) 

東日貿易の秘書という名目で、インドネシアのスカルノ初代大統領のもとに渡る

 

 

1960年-20歳(24)

1度目の帰国。時期は不明で、2度目の帰国

 

 

1962年-22歳(17)   

 最愛の母と弟の死。その後、インドネシア国籍取得、正式にスカルノ大統領第3夫人となる

 

 

1965年-25歳(20)    

9月30日に起きた軍事クーデター、スカルノが失脚

 

 

1967年-27歳(22)    

長女カリナを日本にて、出産。同年、フランスへ亡命

 

 

1970年-30歳(25)    

スカルノ大統領死去

 

 

 

 

 

 

 

 

【第二・三ステージ】 

 

【 33歳- 50歳 】

 

サイクル(テーマ・課題) 6

     

ピナクル (状況や環境) 

2(33歳-41歳)1(42歳-50歳)

 

チャレンジ (達成目標) 

1(33歳-41歳)3(42歳-50歳)

 

 

 

サイクルナンバー6、この時期は、スカルノ大統領が亡くなられた後で、幼いカリナさんを連れて、フランスに亡命されている時期になります。

 

 

 

一人娘を育てていく為、実業家としての勉強をしながら、その一方、パリの社交界では「東洋の真珠」とたたえられ、王侯貴族や各界の著名人とも交流を持ったといいます。

まさに、6の美と愛の世界だと言えます。

 

 

 

ピナクル2 、チャレンジ1 33歳-41歳 華やかの世界で、一人の女性として、母として自分の直感を信じて生き抜いてこられたのだと思います。

 

 

 

ピナクル1、チャレンジ3 42歳-50歳 実業家としても成功を重ね、チャレンジナンバーの3の影響を受けて、精神的な喜びを人に与える活動を1989年ごろから開始されています。

 

 

 

※その後の年表は、詳細は不明ですが、フランスで実業家としての勉強をし、社交界で、東洋の真珠ともてはやされ、王侯貴族や各界の著名人とも交流を持つ。

 

 

1990年

あたりから、日本でも、芸能活動をされています。

 

 

1980年-40歳(26)    

インドネシア石油事業を展開

 

 

1990年-50歳(27)   

世界各国の音楽家を支援する「イブラ国際音楽財団」を設立

 

 

 

 

 

 

 

 

【第四ステージ】 

 

【 51歳~ 】

 

サイクル(テーマ・課題) 5(14-5)     

ピナクル (状況や環境) 7(16-7)  

チャレンジ (達成目標) 3 

 

 

 

サイクルナンバー5(14-5)「自由、変化、柔軟、冒険」

 

 

1991年より

デヴィ夫人はニューヨークに渡っています。日本とニューヨークを行き来して、このころから、日本では芸能活動をされています。

 

 


芸能活動をするにあたり、様々な新しいことにチャレンジされていて、自由に楽しまれているのが見ている側に伝わります。

 

 

 

この当時の事をデヴィ夫人は、ご自身でも3回目のターニングポイントとしてあげています。元大統領夫人という肩書から離れて自由に生きたいと語っています。

 

 

 

ピナクル7(16-7)「探求心、世俗からの離脱、人の心を豊かにする」

 

 

 

この時期より、日本のメディアで見かけるようになったので、デヴィ夫人の中で変化があったのではないでしょうか?

 

 

 

自分も楽しみながら、他の誰かも豊かにすると言う活動が目立ちます。

 

 

 

チャレンジ3「表現、楽観性、おちゃめな遊び人」

 

 

 

私たちは、テレビで登場するデヴィ夫人の一面しか知ることはありませんが、現在、よくテレビで見かけるデヴィ夫人は、表現者、そして、おちゃめなイメージです。

 

 

 

 

1991年-51歳(28)   

アメリカのニューヨークへ移住、以後インドネシアでの第一線から退く

 

 

1998年-58歳(8)     

慈善活動を開始。

 

 

2006年-66歳(7)  

NPO法人アース・エイド・ソサエティ設立。理事長として「日本赤十字社」とNGO「難民を助ける会」とともにさまざまな慈善活動を行う。また、動物愛護活動も行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーディングを終えて 

 

まずは、壮大でドラマチックな人生を見せていただいたデヴィ夫人に感謝したいと思います。

 


当たり前のことですが、人に寄って人生は、こんなにも違うんだということを改めて感じました。

 


数秘リーディングするにあたり、『選ばれる女におなりなさい』を読みました。

 


若い女性に向けたシンデレラストーリー的な展開、恋の話などが描かれています。

 


そんな、すこし軽い感覚からのリーディング開始でしたが、深めるうちに多くの気づきがありました。

 


そして、生きていくうえで、大切なことを学ぶことが出来ました。

 

「自らの人生は、自らで切り開く。」

 

こちらも、当たり前のことですが、このことを目の当たりに見せてもらった気がします。

 


よく、「私は○○だから、しょうがない」とか何か理由をつけて、やらないことがありますが、デヴィ夫人の人生を見て、彼女にはそれが一斉なかったのではないかと思いました。

 


そして、誰かの為に、我慢してやろうというのではなく、自分がやりたいからやるっていう行動がとても多いことに気づかされました。自らが選んで好きなことをしていく姿は本当に美しいと思えました。

 


恐らく、私たちは、デヴィ夫人の華やかな一面、それもその中のごく一部しか見ていません。

 


けれど、今のデヴィ夫人があるのは、そんな彼女だから出来た努力が隠れていることを今回のリーディングで、知ることが出来ました。

 


そして、今回のリーディングを通して、数秘の数のエネルギーが振り子のように振れていることが、よくわかりました。

 


どんなことにも必ず、陰陽、振り子でいえば、プラス・マイナスがあります。どちらがいい悪いではなく振られながら、自分でその振り子の位置を感じ、調整しながら進んでいくイメージが湧きました。

 


どちらかに大きく振れるとその分エネルギーが必要になる。

 


ふり幅が少ないと自然体でいられる状態でエネルギーが少なくて済むんだということが腑に落ちました。

 


デヴィ夫人の振り子は、とても大きく振られている感覚があります。

 


今回のリーディングでは、プラスの面を前面に出していますが、それは、表面に見えない部分で、マイナスの方向にも振られているということです。

 


デヴィ夫人の著書には、マイナス面は出てきませんが、人知れず葛藤を抱いてこられたことと思います。

 


それでも生きる。なんとなく生きるのではなく、生きている実感を味わいながら懸命かつ美しく楽しみながら生きる姿を見せて頂きました。

 


最後に、デヴィ夫人が国家間のビジネスの犠牲者で終わらず、自らの人生を自らの力で切り開いたことに敬意を表します。



Reported by Takayo Kinoshita.



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