クレオパトラ7世はエジプトで生まれ、ファラオとして統治しましたが、王朝の起源はマケドニア系ギリシャ人でした。「エジプトの女王」は政治的には正しい表現ですが、血統まで単純に示す言葉ではありません。

◎アレクサンドロスの死後に生まれた王朝

前332年にアレクサンドロス大王がエジプトを征服し、死後には将軍プトレマイオスが王となりました。その子孫はアレクサンドリアを中心に約300年間エジプトを支配しました。

◎宮廷の中心言語はギリシャ語だった

プトレマイオス朝の宮廷と行政ではギリシャ語が重要でした。王家は近親婚を繰り返して王権を維持しました。クレオパトラの母系には不明点があるため細部は断定できませんが、確認できる系譜は主にマケドニア系ギリシャ人へつながります。

◎それでもエジプトと無関係ではない

彼女はエジプトで王位に就き、伝統的なファラオの姿や女神イシスの象徴を利用しました。プトレマイオス王家では珍しく、エジプト語を学んだとも伝えられます。ギリシャ世界とエジプト文化を結ぶ能力は大きな政治的資産でした。

◎ローマとの関係は恋愛だけではなかった

カエサル、続いてアントニウスとの関係は、ローマ内戦の中で王位と独立を守るための同盟でもありました。前31年のアクティウムの海戦で敗れ、翌年に彼女が死ぬとエジプトはローマの支配下に入りました。

◎まとめ

血統から見れば、クレオパトラは主にマケドニア系ギリシャ王朝の人物です。しかし政治的・文化的にはエジプトのファラオでした。二者択一ではなく、ヘレニズム王朝の後継者とエジプト王という二重の性格を理解する必要があります。

◎参考資料

British Museum, “Timeline of ancient Egypt”
The Metropolitan Museum of Art, “Roman Egypt”
Encyclopaedia Britannica, “Cleopatra”