久光が、江戸よりの帰国時、行列を乱したイギリス人を斬殺してしまう生麦事件を起こしたのもこの年である。

これも、攘夷というより単純な無礼討ちのようなものであって、それ以上の何か戦略的な意味合いを持った行動ではなかった。

 

ただ、この年の上洛の目的であった「久光主導による公武合体の推進」のための人事案「慶喜・将軍後見職、春獄・政治総裁」という要求は幕府に認めさせることには成功、久光なりに自身並びに自藩の面目は保っている。

 

ただのバカ殿であれば、その実行も、結果も出せなかったであろう。

藩そのものの力(財力、軍事力)もあったのであろうが、先に書いたように幕末諸侯の中にあっては久光もそれなりの器ではあったのではないか。

 

捕らえられた西郷であるが、今度は月照との心中の時とは違い重罪人として徳之島への遠島処分が下されている。

 

大島から帰藩してわずか四ヶ月目のことであった。

 

同年の六月、西郷はまず、徳之島へ流されている。

 

その徳之島に、いかにも彼らしい逸話が残されているので紹介したい。

 

島入りした西郷は、早々に島の一老婆から説教を食っている。

 

「翁、初め徳之島に流されり。一老婆ありて翁を説得して言う。遠島人は一度にて改心するものぞ。二度も三度も遠島されるは聞きしためしなし。そなたは二度の遠島と聞く。さても怠け者かな。とくと改心して一日も早く赦免されるようにせよ、と。翁、顔を赤らめ、その好意を謝したり

 

普通なら、「この婆さん、何を戯けたことを言うか」と怒るところだろうが、何も言わず、ただ顔を赤らめて謝したという。

 

もし自分だったら、怒らないまでもそんな態度は照れ臭くてとてものこととれそうにない。

また、もし「謝すること」ができたとしても、さぞ気障ったらしくて嫌みだろうなあ、と思う。

 

これが西郷だと、何故かはまりそうな気がしてくる。

 

彼には、これに似た逸話伝説が多い。

 

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