最近、縁あって周りにいてくれる人たちが

どんどん自分の使命を見つけて
溢れる思いを伝えてくれることが本当に増えました。

 

「使命」なんて大袈裟なことばと

つい何年か前までは思っていました。

 

学生の頃、哲学科にいた私は

千葉先生という哲学者の生徒でした。

 

先生はいつも自分の研究への溢れる思いを話してくれて

僕の使命なんだよと言っていました。

 

「使命」って哲学者の先生だからこそ言える言葉なのだと

すごいなあと自分には関係ないところにあるものだと

聞いていました。

30歳になったとき、子どもを連れて札幌へ

先生に会いに行ったときも先生が

「使命」なんだと話してくれて、

発熱してぐったりしている0歳児をおんぶして

先生とお寿司を食べながらそんな話を聞いたのを覚えています。

 

今、私が出会う人、

何年も前から出会っていたけど

ここへきて縁がぐっと深くなった人

みんな使命をこの後の人生をかけて果たしていく人たちです。

 

使命ということばを使っていなくとも

これをやっていきたい、強く深く心からの思いを語る言葉は

それがその人の今世でやるべきことなのだと伝えてきます。

 

不思議なのですが、いま私が出会う人は

そういう人たちなのだとわかってきました。

 

ほんの少し前まで、遠いところにいた「使命」という言葉。

 

大袈裟で、何だか照れくさくて使えない言葉じゃない?

そんなふうに思っていたのに

恥ずかしげもなく「使命」という言葉を使うようになった自分。

 

自分自身が使命に近づいているから?

いえ、近づいているのではなく

もうそのような流れの中で生きているからなのかもしれません。

 

人はだれでも使命を持って生まれてきている。

そんなことを考えもしないで毎日をすごしていときから

実は既に使命への流れのなかにいるのです。

 

それは生まれた瞬間からなのかもしれません。

 

振り返ると、全てが今に繋がっている。

出会うべき人に出会いながら

使命に導かれていきる私たちです。