奇妙な果実

 

 NHKドキュメンタリー番組「映像の世紀バタフライエフェクト」で、ビリー・ホリデイの名曲「奇妙な果実」が特集された。

 1995年(平成7)からスタートした「映像の世紀」の新シリーズである「映像の世紀バタフライエフェクト」は、蝶の羽ばたきのような、ひとりひとりのささやかな営みが、いかに連鎖し、世界を動かしていくのか、世界各国から収集した貴重なアーカイブス映像をもとに、人類の歴史に秘められた壮大な「バタフライエフェクト」の世界に迫っていく番組である。

 人種差別や麻薬・アルコール依存症と闘いながら懸命に生き、不世出のジャズシンガーとして、その名を歴史に刻んだビリー・ホリデイの代表曲「奇妙な果実」が繋ぐ、差別への怒りと悲しみの物語を描き出している。

 「奇妙な果実」とは、白人に面白半分にリンチされ、木に吊るされた黒人の遺体のこと。その光景を果実に見立てたこの歌は、ビリーが1939年(昭和14)に発表したものだ。まだ差別が根強い時代、黒人自らが人種差別を告発するなど前代未聞だった。破滅と引き換えに歌い続けたビリーの怒りと悲しみは、公民権運動やブラックライブズマターなど、時空を越えて人々に受け継がれてきた。

 そんな「奇妙な果実」は、世界をどう変えたのか。20世紀最高の歌と評される名曲に、今改めてスポットライトが当てられた。

 「奇妙な果実」は、アメリカの人種差別を告発した歌である。題名や歌詞の「奇妙な果実」とは、リンチにあって虐殺され、木に吊りさげられた黒人の死体のことだ。

 歌詞は「南部の木は、奇妙な実を付ける 葉は血を流れ、根には血が滴る 黒い体は南部の風に揺れる 奇妙な果実がポプラの木々に垂れている」と歌い出し、木に吊るされた黒人の死体が腐敗して崩れていく情景を描写している。

 「奇妙な果実」は、ニューヨークのユダヤ人教師エイベル・ミアボルによって作詞・作曲された。1930年(昭和5)、新聞で2人の黒人が吊るされて死んでいる場面の写真を見て衝撃を受け、これを題材として一編の詩「苦い果実」を書いた。「ルイス・アレン」のペンネームで共産党系の機関紙などに発表した。

 ミアポルはアメリカ共産党員であり、フランク・シナトラのヒット曲を生みだすなどの作詞・作曲家ルイス・アレンとして活躍した。

 やがてこの歌は、グリニッジ・ヴィレッジのナイトクラブ「カフェ・ソサイエティ」の支配人バーニー・ジョセフソンの聞き知るところとなる。当時、そのクラブの専属歌手として働いていたビリー・ホリデイに紹介された。

 あまりにも陰惨な詩に、ビリーも歌うことをためらったという。歌い終わっても拍手は一つも無かった。しかし、一人の客が拍手をし始めると、突如として客席全体が割れんばかりの拍手に包まれた。クラブの支配人バーニーは、すぐにこの歌のもつ力を認め、ビリーにステージでは必ずこの曲で締めくくるよう説得した。

 黒人の虐殺が日常茶飯事であったこの当時、それを告発する歌を黒人女性が歌うのはあまりにも危険なことであった。しかし、ビリーは1939年(昭和14)からこの歌をレパートリーに加え、ステージの最後には必ずこの曲を唄うようになった。

 この歌は、黒人であったが故に非業の死を遂げた父のことを思い出させ、それ故にこの曲を歌い続けなければならないと決心した。ビリーと「奇妙な果実」の名は、益々広く知れ渡るようになる。

 ビリーは「奇妙な果実」他3曲をコロンビアからレコーディングし、大ヒットを記録する。「奇妙な果実」は知識人層からの評価が高く、彼女の名声がこの曲によって確立されたことは疑いようがない。

 この歌は、後にダイアナ・ロス、ジョシュ・ホワイト、ピート・シーガ-など、多くのミュージシャンが演奏するようになる。サラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドと共に、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の1人に数えられている。

 ビリー・ホリデイは1915年(大正4) 、アメリカ・フィラデルフィアで生まれた。その生涯は、人種差別や薬物依存症、アルコール依存症と闘いながらの壮絶なものだった。1959年(昭和34)、 44年の生涯を終える。祖父は、ヴァ―ニジア州のアイルランド系農園主が黒人奴隷に産ませた子であった。

 差別が根強い時代に、黒人自らが人種差別を告発するなど前代未聞である。破滅と引き換えに歌い続けたビリーの怒りと悲しみは、公民権運動やブラックライブズマターなど、時空を越えて現在に受け継がれている。

  

令和6年(2024)5月25日