豊洲千客万来

 

 東京・豊洲市場(江東区)に隣接する観光施設「豊洲千客万来」が、今年2月1日にオープンした。平成30年(2018)の豊洲市場開場から5年以上が経過する中で、豊洲エリア活性化の起爆剤になるかどうかが注目されている。

 千客万来は、飲食店や食材販売店などが連なる食楽棟「豊洲場外・江戸前市場」と、24時間営業の温浴施設や宿泊施設がある温浴棟「東京豊洲・万葉俱楽部」からなる。江戸の街並みを模した食楽棟には、約70店舗が入る。建物は、新交通ゆりかもめ・市場前駅と連結している。

 完成までには、紆余曲折があった。業者の辞退を経て、平成28年に万葉俱楽部に決まった当初は、平成30年8月に一部開業予定だった。その後、土壌汚染問題などで旧築地市場の豊洲移転が延期に。更に、小池百合子都知事が移転基本方針で示した旧築地跡地を、「食のテーマパーク」とする構想に事業者側が反発して、令和5年(2023)春にずれ込んだ。新型コロナウイルス禍などもあり、更に1年近く延びた。

 もめにもめてオープンした、豊洲千客万来に行ってみようということで、昔の友達4人が集まった。有楽町線豊洲駅で待ち合わす。出口がいくつかあるということで、「ホームで待ち合わそう」と言っておいたにも拘らず、改札口で待っていた。80歳に手の届く仲間たちである。困った連中だ。

 ゆりかもめに乗り換え、市場前駅まで移動する。豊洲市場・食楽棟・温浴棟が連結している。昔の工場街だった雰囲気は微塵もない。オープン後間もなくだったせいか、もの凄い混みようだ。若者も多いが、高齢者が多い。残り少ない人生に、見ておかなければ損だというかのように、集まって来ている。

 地上3階、地下1階の食楽棟と地上9階、地下1階の温浴棟で構成されている。食楽棟には豊洲ならではの食材を食べ歩け、カウンターで味わえる「目利き横丁」、地元江東区の人気店が集まる「豊洲目抜き通り」が出来た。

 食楽棟にシンボルの「時の鐘」があり、集いの広場となっている。そして、3階にある寿司と海鮮中心のフードコート「よりどり町屋」がある。

 温浴棟では箱根湯河原から運搬される温泉を満喫でき、8階には豊洲の景観が一望出来る「千客万来足湯庭園」もある。一般に無料で開放される。

 築地の伝統を引き継ぎ、新たな賑わいを目指す豊洲千客万来のアンバサダーに、 伝統と革新を体現する表現者、中村獅童が就任していた。

 仲間はこの混雑ぶりにうんざり。混むのと並ぶのの嫌いな連中である。ましてや、値段の高いのも嫌いだ。所場代が高いのか、ちょいと尻ごみしそうな価格である。

 じっくり観察することもなく、「もう行こ行こ」と、再びゆりかもめに乗り込み、始発駅新橋に向かう。ここは落ち着く。何しろサラリーマンの街である。昼間から居酒屋を漁る。昼間から飲めるのが新橋のいいところでもある。

 酒は皆弱くなったが、口は達者だ。愚痴と文句と昔話で、一向に進歩がない。このたわいなさが、酒の肴には一番いいようだ。店のおばさんにたっぷり迷惑をかけて、皆ご機嫌で別れた。

 豊洲は関東大震災の瓦礫処理のため、埋め立てられた臨海部の埋立地であった。元々はIHIや東京ガスなどの工場が立地し、長らく工業地として使われてきた。各種物流倉庫も立地し、貨物列車が行き交う風景が豊洲の日常であった。これらの従業員向けの商店や社宅等があるという状況が長く続いた。

 この時代、日本初のコンビニエンスストアともいわれるセブン・イレブン日本法人の1号店や、当時珍しかったフィットネスクラブ(ドゥ・スポーツクラブ)が立地していた。転機となったのは、昭和63年(1988)の東京メトロ有楽町線豊洲駅開業と産業構造の変化があったという。

 都心へのアクセスの良さから再開発が進み、タワーマンションが林立する超高層ビル街へと発展した。また、IHIを筆頭に三井住友カード東京本社、NTTデータ、SCSKなどが豊洲に本社を置いている。そして、築地市場から豊洲市場への移転、豊洲千客万来へと発展を続けている。。

 日々風景を変えている東京だが、かつての築地場外市場が無くなり、サラリーマンの街・新橋が変ろうしている。我々昭和世代は、威勢のいい掛け声が聞けなくなり、大人しく上品な風景にはなかなか馴染めなくなっている。

  

令和6年(2024)3月5日