いぶりがっこ

 

 「いぶりがっこ」とは奇妙な名前だが、秋田県内陸部に伝わる郷土食だ。「いぶり」は「いぶした」を意味し、「がっこ」は秋田弁で漬物を指す。秋田の代表的な燻製干しのたくあん漬けである。

 冬の訪れの早い秋田、特に陸南部は、晩秋から冬にかけて日本海の湿気を帯びた西風が奥羽山脈に阻まれることで、降雨と降雪が多く、日照時間が短く気温も下がる。たくあん作りのための天日干し大根が十分乾燥しないまま氷点下になる雪深い環境のため、家の囲炉裏の上で大根を干していた。

 囲炉裏火の熱と煙で干すことにより、大根の保存性を高め、さらに米ぬかと塩などで漬け込んで水分を取り除くことで、冬を越して食べることができた。また、冬季の気温で発酵がゆっくり進み、大根に付いた燻製の香りと漬け材料が良い塩梅で融和し、独特のうま味と風味を醸し出す。

 この囲炉裏干しのたくあん漬けが「いぶりがっこ」の原型であり、その起源は室町時代ともいわれる。この地域のほぼ全戸で作られ、独特の風味とともに秋田の豪雪地の冬越しの食卓を支えた。

 収穫したての大根や人参等の根菜を降雪の時期が訪れる前に仕込み始める。長期間雪に閉ざされる地域の生活と健康を支えるために、なくてはならない雪深い秋田の風土が生み出した知恵の産物と言える。

 大根を冷水で洗い、まんべんなく燻製させるために太いものから順に、大根を手作業で縄編みする。ナラや桜など広葉樹の原木を燃やした煙で、2~5日間いぶす。米ぬか、塩、砂糖(ザラメ)などを振りかけて漬け込み、2ヵ月以上発酵熟成させる。

 樽から出して表面の米ぬかを冷水でさっと洗い落とし、薄く切って器に盛り付ける。ご飯のお供はもとより、酒の肴、お茶うけとしても食べる。また、家々に伝わる味があり、もてなしの一品として来客を楽しませたり、近所の仲間たちとその年の出来映えを褒めあったりする。

 現在は、冬場の保存食として作る家庭は減り、物産品として作る生産者が増えている。生産地も内陸南部地方に留まらず、県内全域に広がっている。スーパーをはじめ、直売所やネット通販でも幅広く販売されており、飲食店でもいぶりがっこ、またはいぶりがっこを使用した様々な料理を味わうことができる。食材としての認知も高まり、いぶりがっこを使用したレシピがインターネットやSNSで広がりをみせている。

 秋田県名産の漬物・いぶりがっこの生産農家が、今危機に瀕している。昔ながらの味を受け継ぐ生産者の高齢化に加え、食品衛生法改正で加工施設の改修などを求められ、費用負担に耐えられず廃業する農家も出ている。改正法の完全実施まで1年を切り、全国の漬物産地が対応に追われている。

 近年は工場での大規模生産が主流になっているが、伝統的な製法を守る零細農家も少なくない。11月が漬け込みの最盛期。平成24年(2012)に起きた浅漬けによる食中毒死亡事故を受け、国は平成30年(2018)に食品衛生法を改正した。それまで届け出制だった漬物の製造販売が許可制となり、衛生的な加工施設の整備が求められることになった。

 法適用までに設けられた猶予期間は、今年5月末で終わる。いぶりがっこ作りが盛んな横手市山内地区では、法改正を機に、高齢化などを理由に、3割が「撤退を考えている」と回答した。作業は重労働で、体力はもう限界。後継ぎもいないと、農家への影響は大きい。

 「おいしく作れた時の嬉しさは格別だったけど、足腰が痛むし、法律を読むのも難しい。もう無理かなって」という農家が多い中で、「昔からあるものがなくなるのはやざね(残念)」と、いぶりがっこ作りを続けると決めた農家もいる。

 私の子供の頃は、漬物や味噌、梅干し、甘酒、納豆などは自宅で作るのが当たり前だった。今や身の回りで作るものは何もない。せいぜい梅酒ぐらいだ。時代の趨勢とは言え、手作りの地域名産が消えてゆくのは、何とも寂しい気がする。

  

令和6年(2024)1月15日