国境なき医師団

 

 「国境なき医師団」というNGO(非政府組織)がある。いつだったか大分昔のことだが、僅かながらインターネットから寄付したことがあった。以後何度となく郵便物が届く。投資や配当などの不労所得があった時は、1割を目途に寄付をすることにしている。「貧者の一灯」である。

 海外派遣の健康診断書を取りに病院へ行った時、「私もアフリカへ医療支援に行ったことがあります」「東南アジアに5年間派遣されました」と、若い医師から聞いたことがあった。その言葉が脳裏に焼き付いていたせいだろうか。

 国境なき医師団は、フランス語で Médecins Sans Frontières(MSF)という。昭和46年(1971)に、フランスの医師とジャーナリストのグループによって作られた世界最大の国際的緊急医療団体である。ノーベル平和賞も受賞した。日本では平成4年(1992)に結成された。

 世界の紛争や自然災害、貧困など、様々な理由で命の危機にさらされている人々に、独立・中立。・公平な立場で医療の提供や援助を行う国境なき医師団は、今年で設立50年を迎えた。9割以上は、民間からの寄付で賄っている。

 世界38か国に事務局を置き、主な活動地はアフリカ・アジア・中東・中南米で、88の国と地域で活動している。45,000人の海外派遣スタッフ、現地スタッフ、事務局スタッフが働いている。日本からは30か国へ、75人の医師や看護師、非医療スタッフを派遣している。

 MSF憲章の最後に、「ボランティアで参加する国境なき医師たちは、自らの使命に伴う危険や脅威を承知し、医師団が用意することができる以外の、いかなる見返りも求めない」と記されている。

 日本では欧米に比べ、寄付文化が育っていないと言われる。寄付とは、金銭や財産を公共事業や公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。元来、宗教と強い繋がりを持っていた。日本ではお布施といった。

 近代に入り、欧米諸国ではキリスト教精神に基づいて各種の慈善事業が行われ、社会福祉の一翼を担うようになった。自助の精神の強い米英などでは、民間での寄付が盛んに行なわれた。北欧では福祉を担うのは政府という社会意識が強く、米英ほど盛んとはならなかった。

 日本も江戸時代の大坂では、「きたのう貯めて、きれいに使う」という精神が美徳とされた。そのため、大阪の八百八橋は町人の寄付で作られたという。 この「きたのう貯めて、きれいに使う」の言葉の意味は、商売上はきたないといわれる程に無駄を省いて、倹約を重ねて資本を蓄えるのが商人の美徳だが、商売から離れれば、人として、世のため人のためにできるだけの事をするのが美徳であるとの価値観である。

 商業の中心が東京へ移ると、このような精神も「お上中心」の消費都市である江戸文化の延長の東京では「下らぬ」ものとなり、日本全体には広がらなかった。

 日本人には、密かに慈善を行うことを美徳とする照れの文化と、逆に欧米のような素性を明かした寄付は「売名だ」と非難する文化があった。また、贈与税が寄付の阻害要因となったとも言われる。

 布施は、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ)」といい、他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことを指す。英語の Donation (寄付)やDonor(寄贈者)とダーナは、同じ語源である。

 日本にはお布施の文化はあるが、寄付の文化はないと言われるが、寄付とお布施の違いは何か?

 寄付は募るもの、お布施は差し出すもの。寄付は頂いた方が「ありがとうございます」と言うのに対して、お布施は差し出した方が「ありがとうございます」と言う。

 差し出す方の徳に繋がると理解している。お金を集めるのが目的ではない。欲を手放すための修行の一つだろう。なんの見返りも期待せずに、自分の持っているものを手放すことにお布施の目的がある。

 寄付は、相手の為に行い、お布施は、自分の為に行う。そんな感じだろうか。 自分を見つめ直す遊行期を迎え、施すものは何もないが、せめて罪滅ぼしのつもりで、出来うることを続けたいと思う。

 国境なき医師団の創設メンバーの医師で、後にフランス政府の閣僚を歴任したベルナール・クシュネル(82)は、「平和への希求をやめてはいけない。平和を求めるためにはナイーブさを捨て、闘士であり、理想主義者であるべきだ」と言う。

  

    令和3年(2021)12月17日