アズマモグラとコウベモグラの関ヶ原

 

 現在、「アズマモグラ」と「コウベモグラ」の勢力争いが、本州中部地方で行われている。まさに、天下分け目の関ヶ原である。しかし、東軍の大勝利とはいかないようだ。西軍がじわじわと攻めたてている。

 アズマモグラは名前の通り、主に東日本に生息する。一方、コウベモグラは西日本に広く生息する。この2種の生息環境は非常によく似ていて、低地の草原や農耕地から山地の森林まで広く生息しているが、湿潤で土壌の深い平野部で最も生息密度が高い。主にミミズや昆虫類を捕食し、地中に広葉樹の葉を使って巣を作り、繁殖する。

 日本列島で、数十万年という気の遠くなるほど長い期間の勢力争いが繰り広げられている、地下で暮らすモグラの話である。本州に幅広く分布していたアズマモグラを、コウベモグラが少しずつ、東へ追いやっている。

 アズマモグラは口の幅が狭いため、伸びた状態のミミズを端から食べる。頭骨が大きいコウベモグラはトンネル内で身動きしにくく、折れ曲がった状態のミミズも口にする。一般の人は「それがどうした」と思うかもしれないが、モグラの研究者にとっては大きな発見なのだそうだ。

 地中に生息するモグラの生態は、いまだ多くの謎に包まれている。ただ、日本で確認されている種を大別すると、「アズマ」と「コウベ」に分けられる。

 北陸から東海地方にかけて両者の境界があり、東にアズマ、西にコウベが分布する。アズマは紀伊半島南部など西側にも点在しているが、コウベは東側で確認されていない。

 コウベが西から拡大し、アズマを東へ追いやっているということだ。実際に長野県の境界付近では、コウベがアズマの縄張りに進出しているという観察結果も出ている。 

 だが、その動きは極めて遅い。現在の日本列島が形作られつつあった45万年~60万年ほど前に、両者の先祖による勢力争いが始まったと考えられる。人類では、直接の祖先に当たるホモ・サピエンスが生まれる前、北京原人の時代だ。

 当時は、中国四国地方一帯にアズマの生息域が広がり、大陸由来とされるコウベは九州周辺にとどまっていたとみられる。特定の時期に一気に勢力を広げたというより、一進一退を繰り返しながら少しずつ東へ進んでいったというイメージだ。アリの速度よりも遅く、100年ないし200年単位でみても、せいぜい数キロ程度の変化だった。

 一方、コウベが優勢の理由は分かっていない。両者の違いは、アズマの標準的な体重60~80gに対しコウベは80~120gと一回り大きい。アズマは前歯が出ているといったぐらいで、どう猛さや寿命には大差はない。

 「モグラ博士」と呼ばれる国立科学博物館の川田伸一郎研究員は、「モグラの変化のスパンと比べれば、人間が研究している期間はほんのわずか。分からないことだらけです」と話す。

 遠い遠い将来には、コウベが本州を席巻する時代が来るかもしれない。それまでに地球環境が激変してモグラ自体が絶滅したり、コウベが複数の種に分かれて新たな勢力争いが始まったりするかもしれない。

 日本のモグラには、アズマやコウベのほか、本州各地に点在するミズラ、一部の地域に固まっているエチゴ、サド、センカクなどが確認されている。コウベの由来は、英国人博物学者リチャード・ゴードン・スミスが神戸で採取した標本が、明治38年(1905)に英国で新たな亜種と認定されたことによる。アズマは、コウベよりも東に分布することから命名された。

 モグラはなぜ好き好んで、地下で生活しているのか不思議だ。大昔、モグラは地上で暮らしていた。しかし、エサの取り合いが激しくなり、地下にもぐって暮らすようになったという。

 土の中には、モグラの好きなミミズや昆虫の幼虫が沢山いる。また、温度や湿度も一年中あまり変わらない。外敵もいないので、土の中は意外に暮らしやすい。土の中では目はほとんど必要ない、耳も邪魔になる。えさは、臭いとひげの感覚だけでいい。そこでこのような形に進化した。

 モグラの話をする川田研究員は、実に楽しそうだ。自分をモグラだと思っているのかもしれない。人生いろいろ、羨ましい限りである。

 

令和2年(2020)1月30日