出会いだけでなく、この世の勝者は「価値に敏感な者」である。高い価値を所有している者や、高い価値のモノやヒトを見出すのに長けている者が勝つように、仕組みが出来ているのである。労働ひとつとってみればすぐわかるだろう。価値の高い能力や技術を持っている者の報酬は高く、持っていない者は買い叩かれ低賃金で働かざるを得ない。

ところが義務教育や学校教育では「価値を評価する能力」を向上させるプログラムが無い。ということは、教えられなくとも身につけた者が大勝ちできる世の中が当分続くということである。世の中はそのように出来ている。

自分の労働価値は給料で凡そわかる。では、男としての自分の価値はどうだろうか。多くの男が男としての自分の価値を知らぬまま生き続け、よくわからない女とくっついたり離れたりして最後はひとりで人生を終える。離婚率が上昇し続け、婚姻比率が低下し続ける今はそういう時代である。

ところが、富裕層(金持ち)相手に自分の価値を売っている男は違う。彼らは毎回価値を評価されている。ある時は2時間5万円、ある時は2時間15万円というふうに。こういう報酬の変動は時給月給で働いている者は経験できない。時給月給は人の価値脳を麻痺させる。だから彼らは会社に雇われ、固定給に文句も言わずに働いていられるのである。しかし富裕層相手に自分の価値を売っている男は、毎回、価値を評価され、それに相応しい金額を「御礼」として受け取る。報酬でなく「御礼」というところがミソである。いずれにせよ、自分の価値を評価される稀有な舞台に立とうとする感性の持ち主だけが、価値を磨くことのでき、そういう体験をしない者は、自分の価値を知らぬまま就職し月給を貰いボロボロになるまでこき使われる。今はそういう時代なのだ。