一人暮らしを始めたとき

生活必須要素は

本と音楽だった


二十代前半は 

洋楽なら

U2

邦楽なら

フリッパーズギター

ここで初めて

オザケンこと

小沢健一の世界観に

触れた

フリッパーズギターは

小山田ワールドで

構成されているみたいだった(そうみえた)

わたしは

一瞬にして

小沢健一に心を奪われた

フリッパーズファンとしては

邪道だと思いますか?

(邪道じゃないと思いますが)

この邪道なファンは

少なくないはず

だがしかし

フリッパーズギターは

やはり

小山田ありきのバンド

このふたりで構成されたフリッパーズは

このふたりで二十代前半で

全てをやり尽くしてしまったみたいだった

そしてそして

必然的と思われる解散

その後のオザケンの活躍は

日本中

世界中を

明るくした


渋谷系

一見

チャラそうだ

だけど中身は全然そうではなく

温故知新でハイブリッド

それが

オザケンの内側だ

率直にいうと

純文学に出てくるような

悩める青年

それが

小沢健一

全てうまくいき

好きなものは全て手に入れて

苦悩も苦労もないよう見えるのは

錯覚だ

案の定

オザケンは

ひとたび

その場を離れた

その場とは

己とは

対照的な場所のこと

離れる前の

彼の苦痛に満ちた表情

その表情で彼は

音を奏で詩を歌っていた

詩の重たさと曲の軽快感

なんでこの組み合わせ?

そんな感想をもったが

深く分析をする暇もなく

わたしの脳を震盪させた

分析なんか

いらなかった

曲を最後まで聴くと

わたしは必ず涙していた

その場を離れた

オザケンは

しばらく

第一線には出てこなかった

わたしも

しばらくは

彼を忘れた


ひょんなことで

数年前

五十代になった

オザケンを

何かの放送でみた

というより

出会った

見事に変わってなかった

忘れていなかった

彼が変わっていなかったように

わたしも変わっていなかった

やっぱり好きだ


活字中毒(katsuji-junkie)わたぼうでした!


最近
画質が良すぎる
カメラ機能の精度は
時には現物を超越する
ノーマル
修正加工なし


では
また来る日まで
ばいばいー✋飛び出すハートキューン