5月。今日はいい天気だった。
ベッドの上に力なく寝転がっていると、窓からやさしい風が流れ込んできて死にたくなった。
すべてがどうでも良くなって、考えることをやめてみる。が、そんなことをしたって世界は何も、何一つ、変わらない。故に、僕は無価値である。
遠くで笛が鳴っていた。外からは排気音、近所の赤ん坊の泣き声。笛の音だけが、いつまでも鳴り続けた。
気づけばもう、こんな時代だ。ついこの間までは自分も「若者」の一部だった、そのはずだ。
それなのに、いつの間にこんなに遠くまで来てしまったのだろう。
時間という波に飲まれ、押し流されて、随分と遠いところまで来てしまったように思う。
たとえ時計の針が止まっても、時間というものは相も変わらず進んでゆく。その自然の摂理には、決して抗うことはできない。人間というのは非力である。
いつか、という言葉の持つ不透明さは、時に人を救うことがある。
あらゆる時の流れを超越した、実体のない時空間が、そこには存在しているからだ。
今この瞬間を原点とした時、「いつか」へ向かうベクトルは、全方位に及ぶ。
いつか見た景色、いつか見る景色。説明は、これだけで十分だろう。
とは言え、人生という悲劇——ある意味では喜劇かもしれないが——の幕が降りる頃には、すべてが記憶の遥か彼方へと投げ出されてしまっているのだけれど。
こんな話をすれば、彼はどう思うだろうか?
また訳の分からないことを、と笑うだろうか。
そんなことを考えて僕は自嘲し、そして思う。彼に出会えて良かった、と。