前回の記事です。

ある宗教冊子によって、世の中には自分が想像したこともないような困難に直面する人がいることを知った私。

そして、その困難の「根源」となる「人」や「事象」を攻撃したり、更生させようしない人がいる。

それによって、皆が幸せに向かう例がある。

 

以前にも書いたとおり、このストーリーには嘘や誇張が含まれているかも知れません。

しかし私には、何となく腑に落ちる感がありました。

 

というのも、恐怖や不安で必死に物事を変えようとしてもうまくいかない経験を、それまでの短い人生でもしていたからです。

 

お客様にお茶を出そうとしてこぼしてしまったことを両親に責められた後、「今度は失敗してはいけない」と気を引き締めたにも関わらず・・またお茶をこぼしてしまったことがありました。

ところがいつも私を褒めてくれる親戚の家では、「うまくやろう」としていないのに、問題なくお茶を用意することができたのです。

 

小学生の頃、クラスにすぐ暴力を振るう男の子がいました。

私はその子が怖くてたまらず、なるべく口を聞かないよう、彼の気に障ることをいわないよう気を付けていました。それなのに、不意打ちでぶたれたりしていました。

 

ところがある日、たまたま彼の読んでいた本が私の大好きな本だったので、思わず近づいて話しかけていました。彼に好かれようとか機嫌を取ろうとか、難しいことを考えずに夢中でその本について話し合いました。

その後、私は彼に普通に接することができるようになり、暴力も振るわれなくなりました。

 

ですから、「これってあるよなあ」と納得する気持ちがあったのです。

同時に、「ありのままに受け止めるってカッコイイなあ」とも思いました。

 

私は昔から、ヒーローが出てくるドラマが大好きです。

古くは「踊る大捜査線」の青島刑事や、大学時代には「Hero」の久利生検事に夢中になりました。最近だと「下町ロケット」の佃社長、「陸王」の宮沢社長でしょうか。

 

彼らに共通する点は、自分を信頼し、人や物事に対して常にニュートラルな見方をすることかなと思っています。好き嫌いはあっても、「自分をどう思っているか」によって人の価値を判断していない。「今の状態」によって物事の行く末を決めつけない。

 

人に媚びないのに人に好かれていて、自分や人を犠牲にしないのに問題を解決してしまう。

そんな部分を、宗教冊子の中の人・・その宗教の会員や、困難に直面している人に重ねました。

 

(何度も申し上げますが、私は今も特定の宗教を信仰しておらず、宗教団体には属しておりません)

 

そこで私は、その「カッコイイ」と思う部分を日常生活で真似てみたのです。

敢えて、口に出して感謝を伝える。不平や不満、人の欠点を指摘したり傷つけるような言葉を言わない。怒りや不安の感情をおもてに出さず、飄々としている。ことにする。

 

これはあくまでも「ポーズ」の部分があって、内面には怒りや不満が渦巻くこともありました。

ただ、明らかに私より辛い思いをしているだろう人を知ったお陰で「自分がいかに恵まれているか」と思い知らされ、心から感謝していたことは事実です。

 

とにかくこれを続けるうちに、まず母が変わってゆきました。

 

またまた長くなったので、この続きはまた・・・