【雑誌】「東京35区」の境界線を歩く『東京人』2015年5月号(バックナンバー) | ほぼ日blog~通勤読書で継続力を高めよう!~

【雑誌】「東京35区」の境界線を歩く『東京人』2015年5月号(バックナンバー)

おはようございます。

先日、ふと書店に立ち寄ったとき、
目に入ってきた雑誌がありました。

最新号と並んでバックナンバーが
置かれていた『東京人』の5月号。
特集は、「東京35区」です。


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東京は戦前まで35区あって、
戦争により人口が減少したため、
22区に再編されました。

その後、板橋区が2つに分割され、
練馬区が新たに加わったことで、
今の23区になりました。

東京都区部、今の23区が、
もともと都市区域だったという
わけではなかったのですね。

江戸時代からの都市部、
つまり「江戸」の範囲は、
現在の千代田区、中央区、港区、
文京区、台東区の範囲に加え、
新宿区、墨田区、江東区の一部。

これが明治に入ってから、
東京15区としてスタートして、
合併や再編を繰り返して、
昭和の時代に入ってから、
東京35区となったそうです。

基本的には区の境界線は、
河川などの自然なものですが、
寺社や大名屋敷が境界線となって
いる部分も多くあります。

例えば、文京区でいうと、
東の台東区との境界線には、
加賀前田家の屋敷がありました。

同じく文京区の北側、
豊島区との境界線には、
加賀藩の屋敷跡地に造営された
六義園があります。
後に岩崎弥太郎が購入しました。

また、町や区の境界線には、
寺社も多くあります。
これも江戸時代の名残で、
寺社奉行が管轄する範囲を、
線引きしていたためです。

そういう目線で東京を歩くと、
いろいろな発見があるかも。

ちなみに、35区時代の名前と、
23区になってからの名前は、
ほとんどが変わっています。

例えば、新宿区を例に取ると、
「四谷区」「牛込区」「淀橋区」
が合併して新宿区となりました。
昔の地名は、駅や街の名前として、
残されてはいますが。

淀橋区の地域は合併により、
後から東京都区部となっているので、
今の新宿二丁目あたりまでが、
昔の新宿区の範囲なんですね。

新宿御苑のすぐ近くに、
「新宿追分」という場所があり、
今でも残されています。

ここは青梅街道と甲州街道の
分岐点であったことから、
江戸の外へ出る宿場町であり、
遊郭などがあったそうです。

明治になり都電や鉄道網の整備が
発達する中で、今の新宿の中心が
西に移動したという形です。

同様に「大田区」という地名も、
もとは「大森区」と「蒲田区」が
あったことから、合併の際に、
名前もくっつけて「大田区」と
なったそうです。

わかりづらいですが「中野区」も、
「中野区」と「野方区」が合併し、
一文字ずつ取って「中野区」です。
中野の「野」は野方の「野」です。

また、東京の都心でも、
未だに住所未確定地があります。
有名な場所だと、銀座にあります。

「銀座ナイン」という高速道路下の
ショッピングモールがある場所は、
「銀座八丁目先」という地番で、
正式に確定していないそうです。

銀座八丁目と新橋一丁目の間、
だから「銀座九丁目(ナイン)」
だとわかると、面白いですね。

ここはもともと外濠があり、
それを埋め立てた土地のため、
住所がないまま今に至るそうです。

今でもこの近辺、皇居外濠や
汐留川を埋め立てている土地は、
住所未確定地が多数あります。

中央区、千代田区、港区の間で、
いまだに決着が着いておらず、
そのままになっているそうです。

東京は奥深い街ですね。
まだまだ知らないことがたくさん。
ちょっと散歩したくなりました。

涼しくなって歩きやすい季節。
皆さんもふらっと週末あたりに、
東京散歩を楽しんでみてください。










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東京人 2015年 05 月号 [雑誌]