今日は「サンドイッチの日」らしいので,

改めてピーター・シンガーの『動物の解放』の序盤に出て来る

ハムサンドイッチ問題」を採り上げたいと思います。

 

まずはお読み下さい。

 

私たちが到着したとき、その女友だちはすでに来ていて、動物の話に熱中していた。「私は動物をとても愛しているのですよ」と彼女は言った。「犬を一匹と猫を二匹飼っていますけど、彼らはお互いにとてもうまくいっているのです。スコット夫人をごぞんじですか? 彼女は病気のペットのために小さな病院を経営しています……」彼女はちょっとそこで話をやめた。そして軽食が運ばれてくるとハムサンドイッチをひとつつまみ、私たちにどんなペットを飼っているのかとたずねた。

 

私たちはペットを飼っているわけではないと言った。彼女は少し驚いたようすをして、サンドイッチをひとくちかじった。私たちを招待した女性はサンドイッチを食卓に並べ終わると、私たちの会話に加わった。「でもあなたは動物に興味をおもちではないのですか?シンガーさん。」

 

私たちは苦しみと悲惨の防止に関心をもっているのだということを説明しようとした。私たちは恣意的な差別に反対しているのであり、ヒト以外の生物に対してであっても不必要な苦しみを与えるのはまちがっていると考えているということ、そして私たちは動物たちが人間によって、無慈悲で残酷なやり方で搾取されていると信じており、このような状況を変えたいと思っていることを話した。他の点では私たちは動物たちにとりたてて「興味をもって」いるわけではないのだ、と説明した。私たち夫婦はどちらも、多くの人たちがするようなやり方で、犬や猫や馬を溺愛したことはなかった。私たちは動物たちを「愛して」いたのではない。私たちはただ彼らがあるがままの独立した感覚をもつ存在として扱われることをのぞんでいたのだ。つまり、屠殺されて、私たちを招いた女性のサンドイッチの原材料に提供された豚のように、人間の目的の手段として扱われることはのぞんでいなかったのである。

 

本書はペットについての書物ではない。動物を愛することは猫をなでたり、庭で鳥にエサをやったりすることに過ぎないと考えている人たちにとっては、本書は愉快な読み物とはいえないだろう。本書はむしろ、どこであれ抑圧と搾取に終止符を打たなければならないと考えている人びと、利害への平等な配慮という基本的な倫理原則の適用範囲はヒトのみに限られるべきではない、と考えている人びとのために書かれたものである。動物の扱いに関心をもっている人は「動物愛好者(animal-lovers)」にちがいないという想定そのものが、人間に適用されている道徳基準を他の動物にも広げようという気持が少しもないことを示しているのだ。虐待されている少数民族の平等の権利に関心をもつ人は、その少数民族を愛しているにちがいないとか、彼らがかわいいと思っているにちがいない、などと主張するのは、意見の違う相手に「黒ん坊愛好者(nigger-lovers)」のレッテルをはる人種主義者だけだろう。だから動物たちのおかれた状態を改善する運動をしている人たちに「動物愛好者」のレッテルをはる必要もなかろう。

 

動物虐待に抗議する人びとをセンチメンタルで感情に動かされやすい「動物愛好者」として描くことは、ヒト以外の生物に対する扱いの問題を真剣な政治的、道徳的議論の対象とすることを妨げるのに役立ってきたのである。

 

本書は、「かわいい」動物たちへの同情をよびおこすために感情に訴えるものではない。私は、肉を食べるために豚を屠殺することに対して、馬や犬を同じ目的で屠殺するのと同じように激怒しているのである。世論が、アメリカ合州国国防総省が致死性ガスのテストにビーグル犬を使うことに声高に抗議して、その代わりにラットを使うことを提案しても、私は決して妥協しないだろう。

 

 

これが私がピーター・シンガーを「愛する」理由です(笑)。

シンガーには是非とも百歳を超えて生き続けてもらわねばなりません。

 

今日は特にこれ以上言うこともないので,

ここで終わりにします。

 

本日の投稿も最後までお読み頂き,

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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