ブログ開始以来初めて,ちょっとだけ長めに書こうと思います。
「2022マンガ大賞(Cartoon Grand Prize)」で大賞を受賞し,
「このマンガがすごい!2022(オトコ編)」で第10位,
そして「文化庁メディア芸術祭(マンガ部門)」において優秀賞まで受賞した,
『ダーウィン事変(Darwin's Incident)』をご存じでしょうか。
作者は,うめざわしゅん(Shun Umezawa)さんです。
主人公のヒューマンジー(=人間「ヒューマン」とチンパンジーの合いの子),
チャーリーはヴィーガンです。
ただ今4巻まで出ているのですが,その中に,
チャーリー(たち)の名言がたくさん出てくるので紹介します。
(絵の掲載はもちろん,詳しすぎる内容説明は省かせて頂きます。)
①まず,第1巻の冒頭,これはチャーリーではなく,
「進化論」で有名なダーウィンの言葉が掲げられています。
意識の流れは虐げられた人種から
すべての動物へと広がり,そして
すばらしい進化論的な解答へと到る。
1838年に既に,ダーウィンには何かがはっきりと見えていたようですね。
②第1巻,第2話に,もしかしたら,作中,
最も有名ではないかと思われるセリフが飛び出します。
なんで,人間「だけ」は殺して食べちゃダメなの?
もしそれが,苦痛や死を与えたくないって理由だとしたら,
神経系を持つ有感生物はみんな当てはまっちゃうし…
それとも他に何か,人間だけを特別にする理由があるの?
(動物とは)どこが(違うの)?
第2話には名言が盛りだくさん。こんなのも素敵です。
蟻って,遠くから眺めてると
集団の意志みたいなものしか見えないんだけど
よく観察すると一匹一匹にちゃんと個性があるんだ
それと,こんなのも。
本やネットは見てたけど,
それって遠くから眺めてるってことなんだろうな
これは,私の職業病(←不登校や引きこもりを連想させるから。)プラス,
私たちヴィーガンにも活動する人としない人がいることを思わせました。
③次は第3話,今度はチャーリーの父親の発言です。
生活に支障がないなら(ヴィーガンに)なった方がいい
一日一食だけ動物製(←※ママ)の食事をやめてみるのも
そうしないよりいいし
月曜だけやめてみるのだってそうしないよりもちろんいい
パーフェクトな生き方なんてどこにもないけど
「よりマシな」選択肢ならいつもある
ノン・ヴィーガンに対して,このように穏やかに説明するのは
私の実体験からしても,なかなか難しいことです。
ここで余談を1つ。母親が載っている車,実は
ボルボなんです! これは知る人(=車好き)ぞ知る情報で,
動物実験にまみれたイーロン・マスクのテスラを除けば,
現在一番レザーフリー化しているのが,ボルボなんです!
ただ,母親が乗っているのはセダンタイプなので,
レザーフリーのC40 Rechargeとは違うものですが,
やはり,この作者,知り過ぎているな,と思いました。
④そして第4話,最近特に身に染みるチャーリーの言葉です。
不安って…,未来に起こりそうな悪いことを
「いま」心配してるんだよね
そのときになってから心配すれば?
いまは何も起きてないし
これは,私のこの1年の決断と行動をうまく補強してくれています。
①生命・医療・介護保険は全て解約しました。
(動物実験にまみれている高度医療など受けたくないからです。)
②人間ドックは今年度で最後とし,婦人科系検診も全てキャンセル,
胃検診は受けず,昼食はヴィーガン対応にしてもらい,
来年度から無料の簡易健診にします。(①とほぼ同じ理由。)
③教職員互助会も来月解約します。
(水族館の割引チケットなどを提供しているので。)
そして,何より,人間が抱く不安や心配など,
屠殺前の動物たちを思えば,あってなきがごとし,ですから。
⑤そして,第1巻の最終話,第5話にまた,
チャーリーの素晴らしいセリフがあります。
君もボクも,すべての動物は,ただの1(one)だよ。
全ての人がこう思えれば,種差別など存在しないでしょうに。
⑥ここからは第2巻です。
まずは第6話,チャーリーの親友ルーシーのセリフから。
私,いままでそんなこと考えたことなかった。
自分の持ってる権利のことなんて当たり前だと思ってたし,
これってすごく恥ずかしいことだよね…。
私にもぜひ協力させて!
権利獲得闘争ってことだよね!
将来,教科書に載りそう!
ある日突然ヴィーガンに目覚めた人は,多かれ少なかれ,
似たような感覚を味わったことと思います。
そして第7話,留置場から出たチャーリーは,こんなことを言います。
あの檻,
入っててわかったけど,
自由に動けないのって,すごくストレスだよね。
あそこに動物入れない方がいいよ。
これが,「本物」の「ALF(動物解放戦線)」の掲げる,
Until every cage is empty!(全ての檻が空になるまで!)
の真髄なのでしょう。
⑧次は第8話です。またまたチャーリーのセリフ。
学校で友達ができないと
人間の社会に適応できないの?
ボク 友達はルーシーだけでいいや。
人間の権利も別に友達がいないからって制限されたりしないよね。
ここはまた,前述の職業病が発症して,ウルッと来てしまいました。
生徒には,「学校が全てじゃない」っていつも言っているので,余計です。
⑨そして場面は第11話へ飛びます。ALA(動物解放同盟)の一員となった
高校生のゲイル。ヴィーガンなら彼の意見は否定できないはずです。
僕が間違っているとしても,
血で満たされた食卓が間違っていないことにはならない。
子供のときに
家族でピクニックに行って,道で,小さな生き物に会ったんだ。
一匹のブタだよ。泥だらけで,弱り切って,怯えてて,
すぐに数人の大人が来て,ブタをトラックに載せて行った。
走り去るトラックからブタたちの鳴き声がかすかに聞こえた。
僕がこの出来事の意味を知ったのは,ずっとずっとあとのことだ。
それから多くのことを知れば知るほど,行動を起こせば起こすほど,
あの日の彼らの鳴き声が,どんどん大きくなって…
でも,いま,その声が止んだ。
私の場合は,きっと,私が死ぬまでに,
全ての動物の解放が見られる可能性は,
いまのこの状況を見ると,限りなくゼロに近そうですから,
私の中の鳴き声は止まることはなく,
ただ大きくなり続けるのだろうと覚悟はしています。
⑩そして第3巻。
第14話に,チャーリーの父親のこんなセリフがあります。
チンパンジーもヒトも,強い社会性を持つ動物です。
どちらも個々の幸福のためには,
共同体での適切な関係性が欠かせない。
これは,チンパンジーの権威,ジェーン・グドールさんも,
確か,似たようなことを言っていたと思います。また,彼は,
女性はどこだろうと,自由に好きな格好で,
歩けるべきだと思いますね。
とか,
何より現実は,決して不変じゃない。
現時点での世界の現実が,
ずっと続くという考えこそ「夢想」なんですよ。
とも言っていて,本当に,本当に素晴らしい。
⑪そして第16話。またもやチャーリーのセリフです。
そこには,「事実としては初めて会ったのだけれども,
どこかで会ったような気がする」考え方がありました。
人間の言語って,汎用性が高いソフトウェアだと思うけど,
もし他の「種」が突然英語をしゃべれるようになったとしても,
コミュニケーションなんてほとんど成立しないかもね。
ボクはこの世界に対して,全然なんの責任も感じない。
だって勝手に放り込まれただけだから。
チャーリーの考え方には,仏教に通ずるものがあるなぁ,というのが,
マンガ全体を読んだ私の感想です。
いい意味での「諦観」ですね。「悟り」と言ってもいいと思います。
⑫そしてついに第4巻。
第18話には,リナレス議員のこんな言葉が。
現にある暴力や圧制を前にすれば,
人間の権利すら常に守られるわけではない。
だからこそ法は,権利の最初の盾であり,
最後の砦となるべきものなの。
現実をたくさん見てきた人の,重い言葉ではありますね。
⑬また,この4巻には,
重い中にもホッコリするシーンが散りばめられていて,
第19話,保安官補の奥さんが,かなりいい味を醸し出しています。
えっ,停職?
まぁ仕方ないわね!
ちょうどよかったかも!
私も働けるし,
二人でここでマッサージパーラーを開くのはどう?
私も夫と常々,今の仕事を辞めたらヴィーガン食堂を始めようか,
などと冗談交じりに話しているので,何だかグッときてしまいました。
⑭そして第21話。スーパーでチャーリーに会った少年が,
とにかくいい言葉を連発します。
君,もしかして,宇宙からきた?
アナーキーは「むちつじょ」って意味じゃない。
元々は「むしはい」って意味なんだ。
誰にも支配されないってこと。
いい宇宙人もいるよ,
ミスター・スポックとか。
(→これに対して仲間が)確かに,スポックもハーフだ
『アミー小さな宇宙人ー』や映画『美しき緑の星』などを
読んだり観たりした方は分かると思うのですが,
宇宙人は我々よりずっと進んでいて,
本当は我々を良い方向に導いてくれようとしている,という
説があります。それを想起させますし,やはり,
子供は大人よりよっぽど偉い,なぜなら,
地球に対して悪いことをしている量が
まだ大人よりずっと少ないから
という私の持論が,ここでもう一度補強されるような気がしました。
さて,いかがだったでしょうか。
作者のうめざわしゅんさんは,現在病気療養のため,
休載中だそうで,私が勝手に「ヴィーガンの期待の星」
と祀り上げていただけに,とても心配です。
諦めず,今後の活躍に期待したいと思います。
ここまで読んで頂き,本当にどうもありがとうございました!