最初は楽しく勉強するとかは「勝ち組の欺瞞」だと思っていたんですよ。


でも「ダイヤモンドの功罪」という野球漫画の最新話を読んで、なるほどと思うところがありました。


その話の中で、主人公にたいして「扱いきれない情報量を詰め込むことのデメリット」と監督が考える一説があり、そこで「ああなるほど。」と気がついたのです。


子供は「家族のため」「仲間のため」「自分のため」「将来のため」など、いろいろなもののため頑張っています。


若者の生きる力は攻めるエネルギーです。一方、親世代のエネルギーは守るためのエネルギーです。


ですから親は、例えばケアレスミスに対して「どうすれば予防可能か」と、回避するためにエネルギーを使おうとします。これは回避するほうが省エネだからという理由の、おじさんおばさん的な発想です。


一方子供の方は、より洗練された解法は無いかと常に考えます。守ることより攻める方にエネルギーを使う指向性があります。また、洗練されていけば自然にケアレスミスは収斂されて減っていきます。


親が考えるような方法は、様々な別解答をサーチしたりするエネルギーを「見直しにあてろ」というものです。


一方、子供の方では「まだ途中」だと思っているので最後までいろいろな思考を巡らせていたり、情報処理をしていたり、逆にエネルギー切れしたりしています。


外野の考えは子供の成長にはあまり良くない「プレッシャー」としてしか働かなくて、「余計な情報」になってしまっている可能性があります。


つまり野球で言うと、緊張感でガチガチになっている選手に対して「エラー気をつけていこうぜームキー」「このまえの試合もエラーで負けたんだがらなームキー


と言っていることかもしれないと考えてしまいました。


このような場合の正解は「しっかり守るから思い切り投げて良いよおねがい」とニコニコして言うことだと思うのです。内心は嘘でもです。そうすることでピッチャーは思い切り投げられて、結果的に成功する可能性が上がります。


これが私が「楽しく勉強すること」で伸びる本当の意味なのかな?と気づいた点でした。


じゃあそれでもケアレスミスしたらどうするの?


と言う話ですが


ケアレスミスはスポーツのイップスみたいなもので、いくら注意していてもやらかす可能性はあるわけです。




こうなることは必定です。


それなら余計に「引きずらない」ことが大切になるわけなんですね。


そうすると如何にメンタルが大切かと思うはずです。


そうすれば子供は、自分で正しい方向へと向かっていけると思っていますが


それにはガチガチに支配するより、自発的に気付かせた方が良いので、笑顔で楽しく勉強すれば自然と正しい振る舞いを考えるのだと思います。