好きな本ほど終わってほしくなくて一頁ずつ、一字ずつ、大切に読んでしまう。
「おわり」の文字が見えないように。
「あとがき」の頁にならないように。
永遠にこの本の世界にいられるように願いながら、今日も日々というページをめくる。
もう一週間もしないうちに一月も終わってしまう。
暮れに紅白で佐野元春が見られた!と喜んでいたのが遠い昔のようだ。
大好きだった本の続きが突然消え、いつの間にか「あとがき」の頁に辿り着いてしまった。
あれから幾つかの「あとがき」を自分なりに書いてきた。
しかし、それもこれも、ものすごく大切な何かを失ってしまった喪失感を紛らすために過ぎないのである。
しかし、下書きを書き足していて思ったことがある。
「物語の続きを書こう」
ボクの中の「高橋幸宏」という本の続きをこれからもずっと書き続けていたい。そう思えた。
永遠に終わらない本をこの手で書くことができたらそれだけでも、少しはいい人生になれる気がするから。
一月もあと数日で終わる。
ここ数日は何処にいても何をしても、まぁ寒い。
寒い以外の言葉を発した覚えがないほどに寒かった。
みなさん体調は大丈夫ですか?ボクはずっと神経症の不調だが、まただいぶ症状が強くなっていた。
今やっと、陽を浴びることによって言葉を張り巡らせることができている。
これを読んでくれている方、今日も来てくれてありがとう。
雪が降っていたところもあるそうだ、きっとK町も、冷たく白い雪に覆われたのだろうな。
つい少し前まで、ボクは事あるごとにユキヒロさん、K町は寒くないですか?と勝手に届くことのない言葉を語りかけてきた。
毎日、少しでも良くなる事を祈っていた。
外が寒いとツラいかなぁとか、すべて大きなお世話なのだが…
あまり調子の良くない日でも、苦しい思いだけはしてほしくないな。ツラいってことが一つでもなくなりますように。
いつも願っていた。
K町に雪が降ると決まって可愛がっていた雪の精その名も「雪ワン」
白くて小さくて可愛らしい。
今年はもう現れないのだろうか。
寒い冬をあったかい気持ちにしてくれる天才だったな。
一月も半分が過ぎようとしていたある日、ある意味でそれが叶ったのかもしれない。
宇宙へ帰って、やっと、苦しいことから抜け出せたのかな。
でも、地球に残された者は、やっぱり悲しくて悲しくて、それ以外の感情を失うほどに。
あれからさまざまな形の「追悼」を目にしたり、耳にした。
共に時間を過ごしたことのある人の話は少しほっこりするし、敬意を込めて、サディスティック時代や初期のスタジオミュージシャンだった時の楽曲をかけたりしてくれる人もいた。
ちなみにその曲は矢沢永吉「時間よ止まれ」
あまりにも名曲だが、それをドラミングで支えたのは紛れもなく高橋幸宏であったのだ。
清水健太郎氏の失恋ラストラン。
これのスタイリングをしたのも高橋幸宏だそうだ。
細やかな功績が今となっては一つ一つ大切に思える。
きっと自分では言わないだけで、他にも沢山、影ですごいことをしているのだろう。
思えば多くを語らないその姿勢に強く憧れたのだと、今になって思う。
言われてみれば、このスタイリッシュで洗練されたファッションは、高橋幸宏の手によるものだと言われても驚かない。
これは坂本龍一千のナイフの予告編と言ってもいいのかもしれない。
昨年の6月6日から一切の便りがなかったものだから一層、不安は募る。
どれほどツラいのかな。何もできないけれど、今そこにあるツラいもののすべて取り除いてあげたい。無力な自分はそう願った。
今日はいい天気だから、少しでも気分がいいだろうか。いつかまた楽しく釣りができる日が来ることを晴れる度に願った。
いつかまたステージに立てる日がくる。そう願いながら作品をを聴いた。
ある晴れた日に
今日は久々に目が覚めたら朝陽が窓越しにこぼれていた。
いい朝なんだろうな。きっと。
冬のシルエット
晴れた日の冬は、静寂が心地よい。
ただただ、陽の光を浴びながら黄昏ていたい。
「夢の中に入って出てきたくない」
大好きでずっと聴いていたビートニクスの曲の歌詞、この気持ちに一番近いのは、間違いなく今だろう。
ずっと眠っていたら、その時だけはツラい想いも忘れるし、逢いたくてたまらない人にも逢えるかもしれない。
ユキヒロさんの実の兄である高橋信之さん。
信之さんは、BUZZが歌うスカイラインのCMソング「ケンとメリー」の作者である。
(ここでは敬意を込めてノブさんと呼ばせていただく。)
ノブさんがとても大切そうに優しい言葉で語られる昔の話。
兄の目線で語られる高橋幸宏は、なんとも愛らしい。
そこでボクは、驚くべき事実を知った。
軽井沢をK町と呼ぶようになったのは、どうやらノブさんの書いた小説がきっかけらしい。
小さいことかもしれないが、その独特な表現の秘密を知れてボクはとてもうれしかった。
私事で恐縮だけど、高校時代僕は体育会スキー部と文芸部(!)に入っていて、「K町の思い出」と「親父」という小説を書いたんだ(ノートに)。幸宏がそれを読んで「ノブさんこれ、大好きだ」と言ってくれた唯一の愛読者だった(12歳のくせにね)。そして幸宏は軽井沢をK町というようになった。
— 高橋信之 Nobuyuki takahashi (@Nobuyukitaka12) 2023年1月23日
それは誰にも知り得ない、生まれた時からずっと見てきた兄のノブさんにしか分からない、ノブさんの目に映るユキヒロさんは、どこのどんな姿よりも人間らしくて好きだな。
厳密にいうとね、その頃幸宏は僕を「信おっちゃま」と呼んでたのよ。信お兄ちゃまが詰まってね。「ノブさん」と呼ぶようになったのはミュージシャンになった16歳以降です。可愛いでしょ。
— 高橋信之 Nobuyuki takahashi (@Nobuyukitaka12) 2023年1月23日
兄が語る、ユキヒロの誕生。
これを見て、不覚にも涙がこぼれそうになった。
人は生まれ、さまざまな人生の経験をし、やがてその日を終えることになる。
そのすべてがここに詰まっている気がしたからかもしれない。
一番は、生まれてきてくれてありがとう。
そんな気持ちでいっぱいだからかな。
名前のとおり、数えきれない幸せをくれた。
高橋幸宏と出逢えて本当に幸せだったよ。
1952年6月6日は土曜日だった。小学校からの帰路中に(半ドンで土曜と覚えている訳)酒屋の御用聞きのお兄さんが(当時は家に注文を聞きに来てくれたのよ)「おぼっちゃん(僕のこと)弟さんが生まれましたよ」って教えてくれて走って帰った。幸宏の誕生の日の記憶。後に幸宏に話したら「へええ」って。
— 高橋信之 Nobuyuki takahashi (@Nobuyukitaka12) 2023年1月18日
しかし、高橋幸宏の2人の兄は、口を揃えて同じことを言うね。
ノブさんも細野さんも、ユキヒロさんが「大スター」であったことに今になって気づいたらしい。
あまりにも近いくで見てきたからこそ、今さらそんな発見をしたのかもしれない。
細野晴臣さんのDaisy Holidayでの追悼特集の放送から明日で1週間。
これほど大切に過ごした30分間は無かっただろう。
けれど、まだ聴くことのできない人もきっといるはず。
もし、いつか録音を聴ける日がきたら、細野さんからのメッセージを受け取ってほしい。
この記事で紹介した曲
時間よ止まれ (1978)
矢沢永吉
失恋ラストラン (1976)
清水健太郎
ケンとメリー 〜愛と風のように〜 (1972)
BUZZ
ちょっとツラインダ (1978)
The Beatniks
今日も最後まで読んでくれてありがとう。
今これを読んでくれている方に少しでも幸せが訪れますように。
では、また逢う日まで!
Sally