多くのことは感じ方で決まる【試練の捉え方】 | 確信犯的スーパー勘違い

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人生は、潜在意識が信じている通りになります。
だったら、『思い切り楽しい人生になる』って
信じた方がいいですよね。
確信犯的に勘違いをしてみませんか?

『ものは考えよう』というのは、

よく聞く言葉ですが、

実際に『考え方を変えられるか?』と言えば

それはなかなか難しいですよね。

 

こんにちは。

『理性の力で未来をつくる』

ロゴスことスギオカです。

 

 

この投稿は、2019年11月18日に書いた記事を

再編集したものです。

 

昔は宮沢りえさんについて

特に思うところはありませんでしたが、

今は『尊敬』しています。

 

 

 

 

『試されている』という表現があります。

 

人が人に対してだったり、

天が人に対してだったり。

 

どう出るのかを、見られている感じですね。

 

 

たとえば、

楽しい時に笑えるのは当たり前ですが、

『どんな時にも笑っている』

と決めたら、

試されるのは辛い時です。

 

『よく、そんな時に笑っていられますね』

という時に笑ってこそ、

『どんな時にも』ですから。

 

 

 

以前、

宮沢りえさんが糸井重里さんとの対談で

『試練はごほうび』

と言われたことがあって

『すごいなぁ』

と、思ったものです。

 

なかなか、そこまで

達観できるものではありませんよね。

 

 

 

『神様は超えられない試練を与えない』

という表現もあります。

 

一見、スピリチュアルというか

いくらでもあげ足の取れそうな言葉ですが、

試練はその人が現象を受け止める

感受性に基づくので、

『越えられない人には、感じられない』

と言い直すと、えらく論理的に聞こえます。

 

大変でも、大変に思わないというか(笑)

 

要するに、

『理不尽』に思えることはたくさんあっても

実は『理にかなわない』ことはないわけです。

 

 

 

そういう意味では、『理想』とは

人間がつくりだす崇高な考えなのではなく、

実は『自然の理(ことわり)』

そうことだと理解できます。

 

むしろ、

個々の自我が勝手きままに考えるから

『理想』から外れていくのだ、とも言えます。

 

常に、自然体でありたいですね。

 

 

未来は自分でつくれます!

 

 

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