『令和の志士』 | 確信犯的スーパー勘違い

確信犯的スーパー勘違い

人生は、潜在意識が信じている通りになります。
だったら、『思い切り楽しい人生になる』って
信じた方がいいですよね。
確信犯的に勘違いをしてみませんか?

少し落ち着いた感がありますが、

昨年来の『鬼滅の刃』は凄かったですね。

 

それに影響されたわけではありませんが、

ちょっとイメージのダブる内容です。

 

 

こんにちは。

『理性の力で未来をつくる』

ロゴスことスギオカです。

 

 

この投稿は、2020年7月3日書いた記事を

再編集したものです。

 

『鬼滅の刃』ブームに乗せて流せば善かったのでしょうが、

そうできないところが、わたしに取り憑いている

『昭和の亡霊』とも言えます。

 

恥ずかしがり屋さんですね (^-^)

 

 

 

 

映画のタイトルなどではなく、

わたし自身の意欲を表した言葉で、

 

戦う相手は『昭和の亡霊』

 

 

戦う相手が『人』じゃない

ってところが味噌です。

 

 

『罪を憎んで、人を憎まず』ですね。

 

 

どうゆう亡霊かと言うと、

自分の考えに固執するお化けです。

 

中でも、いろんなことを

『力で解決できる』

と思っている奴がよくいますよね。

 

 

いやいや。

 

くり返しますが、

対象は『人』ではなく『亡霊』です(笑)

 

 

困った振る舞いをする人を見た時、

 

その原因が変えることのできない

パーソナリティや性格だと思うと

 

モヤモヤはなかなかおさまりません。

 

 

しかし、亡霊に取り憑かれているのだ

と思えば、『じゃぁ、しょうがないか』と。

 

 

もちろん、

そんなに簡単でもないでしょうが(笑)

ともかく人への憤怒は起こりにくくなります。

 

 

そもそも、亡霊は最初から憎まれていた

存在ではありません。

 

むしろ善かれと思われていた美徳が、

何かの拍子に執念や恨み節に

変わってしまった結果です。

 

つまり、そこには

悲しい物語りがあるものなんですね。

 

 

たとえば、昭和時代に

『強さ』『正しさ』と呼ばれていた価値。

 

 

それらは、

社会を動かす原動力ですらありましたが、

時間の流れの中で変化のタイミングを失い

『独善的』に姿を変えたりしたわけです。

 

それが

『力で解決できる』

と思う信念の正体と言えます。

 

 

ですから、令和の志士としては

それらを単純にぶった斬りたいわけではなく、

しかるべき方法で成仏させたいのです。

 

敢えて言えば、

かつての価値を認め、

感謝とともにおくり出す感じですね。

 

 

未来は自分でつくれます!

 

 

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