包丁と言葉【ほめ達礼賛】 | 確信犯的スーパー勘違い

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人生は、潜在意識が信じている通りになります。
だったら、『思い切り楽しい人生になる』って
信じた方がいいですよね。
確信犯的に勘違いをしてみませんか?

 

 

こんにちは。

『理性の力で未来をつくる』

ロゴスことスギオカです。

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この投稿は、2019年11月6日に書いた記事を

再編集したものです。

 

『ほめる達人』協会の活動に

あらためて関心したことがきっかけで書いた

記憶があります。

 

 

 

 

包丁は食材を切るためには便利な道具ですが

危険な道具でもあります。

 

極端に言えば、人を殺すこともできます。

 

言葉も同じように、

感謝や思いを伝えられる一方、

人を傷つける力を持っています。

 

そして、それは単なる比喩ではなく、

言葉という技術が本来

『切り分ける』ことによって

成り立っているからとも言えます。

 

 

フェルデナンド・ド・ソシュールの言語学では

その効果を『差異』という用語によって

表します。

 

簡単に言えば『違い』ですね。

 

「言語は『違い』によって成り立っている」

というのが、ソシュールの学説です。

 

 

たとえば、『イヌ』『イシ』

別々のものを指していますが、

言語的に重要なのは『ヌ』『シ』の違いです。

 

音の響きとしても、文字としても

『ヌ』『シ』の違いが伝わらなければ

混乱が生じます。

 

昔、ダウンタウンの番組で

『アイスコーヒーをどこまで崩して言えるか』

という企画がありました。

 

『ナイスモーヒー』のように

『アイスコーヒー』を徐々に別の言葉と

かぶらせていく、秀逸な笑いでした。

 

 

一方、実際の犬と『イヌ』との間には

絶対的な関係性は何もありません。

 

だからこそ、

同じ動物を英語で『dog』というように

言語による違いが発生するわけです。

 

 

言葉を成り立たせているのは『差異』

 

つまり、『分けること』なので、

そもそも刃物的なわけです。

 

振りまわすと危ない道理と言えます。

 

 

 

『刀と意地は同じもの』

という格言もあります。

 

抜かないと錆びるけれど、

振りまわすと誰も近寄らないからです。

 

包丁と言葉も同じ感じですね。

 

『分かる』という活動に

『刀』が入っているのは偶然ではありません。

 

 

だからこそ、

批判によって相手を殺すのではなく

賞賛によって相手を活かす言葉を使いたい

と思うようになった次第。

 

『ほめる達人』とは『うまい料理人』とも

言えますね。

 

 

未来は自分でつくれます!

 

 

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