春の味覚フキノトウを求めて、青空をお目当ての場所へと出かけました。
目の前に拡がる残雪の段々畑。
とても気に入っている場所のうちの一つです。
何よりも、山際の至る所から染み出すようにコンコンと伏流水があふれ出ています。
無限という感覚を、憶えていたのですが…。
でも、豊かな自然を賛美する話にならなかったです。
農作業帰りの、第一村人のお話から。
いまこそパラグライダーのランディング場や畑地や果樹園が拡がり豊かな水の湧出地となっていますが、かつてこの地が水田として利用されていたころは深刻な水争いの場であったこと。
とても意外でした。
つまり、水稲栽培が使う水の量は、単位面積当たりでは自然の湧出量では賄いきれない。
地球上ですぐに利用可能な淡水は、地球が持つ水資源の0.01%に過ぎないという現実があります。
その水を利用して今の社会が生産する農産物や畜産物が使う淡水量の限界が、近づきつつあるそうです。
転換点へのタイムリミットは、2030年と言われているようです。
この時期までに、食料分配のシステムを変えていかないと2050年に待っているのはどういう社会か?
食料自給率38%という私たちの国は、国力が衰退して貨幣価値が下がれば資源ナショナリズムが進んだ場合悲惨な状況が予想されるとシュミレーションは予測しているようです。
牛丼1杯¥.000、気の利いたラーメン1杯¥5.000Σ(゚Д゚)
神戸の震災後に知人の語った言葉が、印象に残っています。
「日本に革命がおこる条件は、ワンコインで食べられる牛丼やかつ丼、お弁当が買えなくなったとき」
水資源の枯渇は、牧畜や穀類生産を圧迫して食料の価格を高騰させます。
そんな🍌?
コロナで使った国の予算は、どこからねん出したのか?
コロナの収束後は、重くのしかかる負担になるのでしょう。
2050年は、自分の年齢では逃げ切り。
しかし、2030年は自分たちの責任範囲内ではないかと感じます。
正しい知識に基づいた、持続可能な社会へのたゆまぬ積み重ねを思いました。