魂の奏者。

 

 

18歳で亡くなったピアニストが残した曲が、彼のもとへ届いた。

魂を奏でるとは、ひょっとすると「奏者の感じる心」だと思う自分がいます。

音楽は、素人です。

しかし感じる心は,皆持っているもの。

今朝のサワコの朝という番組に、7本指のピアニストが登場しました。

 

彼の才能を、有名なピアニストが見出した。

「君に欠けているのは、君の才能を活かすための技術だ。NYへおいでなさい。」

プロを目指して研鑽する彼に、悲劇が襲う。

脳の病気で、指がつかえなくなった。

 

それが、プロとしての彼の個性になっていまいか?

つまり、個性とはそんなものだと思うから。

プロが技術で奏でることは、最低条件だろう?

その中から抜けていくときには、きっと「魂を奏でる」というハードルがあるのかもしれない?

彼は、それを持っていた。

フジコヘミングのラカンパネィラの演奏も、同質を感じる自分がいます。

 

何も、音楽だけではあるまい。

その人の個性が感じたことは「形」となって、表現される。

アートとはそういう感性を人々が共有して、感動を産むのだと思いました。

演奏を聴きながら阿川佐和子さんが涙するシーンで、彼女の感動が曲に載り増幅の波が押し寄せてきました。

 

感じるという心は、わたしが大切にしたいものの1つです。