なべ(渡辺正和)さん... | すぎもとまさひろのBlog:Blog of Masahiro Sugimoto

なべ(渡辺正和)さん...

5月28日のblogで
吉祥寺のPatagoniaプレ・オープン・イベントの事を書きました。
そこで約20年振りにお会いしたのが、写真家の渡辺正和さん。
'91年。
ボクはF1の専門誌を編集する事になり、
専門誌という慣れない仕事に忙殺されていた。
なかなか要領を得られず、毎日、大変な思いをしていた。
思い返せば、日々修業のような生活だったな。
イギリスのドライビング・スクール、ハンガリー・グランプリと、
海外取材もあり、いろんな事を覚えた時期だった。

そんな時に会ったのがなべさん(渡辺正和さん)だった。
当時、なべさんは安曇野に住み、
スキーの撮影や世界GPの撮影を行なう、
スポーツカメラマンの第一人者だった。
瞬時にピントを合わせ、ほんの一瞬を切り取るスポーツカメラマンは、
動体視力が優れていなくてはならない。
なべさんはスキーもうまく、
素晴らしいスキーの写真集を見せてもらったりした。
それでもF1は、スピードが格段に速く、早くいい写真を撮りたいと、
新たなチャレンジをしていて、その前向きな姿勢は素晴らしいと思った。
なべさんとは日本グランプリとメキシコ・グランプリで旅をした。
特にメキシコは取材許可が2枚しか下りず、ふたりでの旅となった。
ロサンゼルスに飛び、そこからメキシコシティに向かう。
丸一日はかかるタフな旅で、メキシコシティではレンタカーを借り、
慣れない町を人に道を聞きながら、
ホテルからエルマノス・ロドリゲス・サーキットに通った。
なべさんがいる事で、とても安心できたのを覚えている。

残念ながら1年でF1雑誌は廃刊となり、
ボクは再びフリーランスとして、いろんな出版社に顔を出した。
雑誌がなくなると共に、F1はテレビで楽しむものとなった。

なべさんともおのずと疎遠になり、20年の時が過ぎた。
だからPatagoniaで再会できた時は本当にうれしかったし、
娘さんが父親と同じ道を歩み始めていると聞いて、
今度はまた違った形で、
なべさんと仕事ができるかも知れないななんて思った。
きっとこれも、なにかの縁なんだな、そんな感じだ。

その日のPatagoniaのイベントでは、大樹くんがライブを行ない、
そのバックでボクが作ったスライドショーが流れる事になっていた。
なべさんにボクのスライドショーを見てもらう事が、
うれしいような恥ずかしいような、なんか不思議な気持ちだった。

その後、先になべさんがPatagoniaを後にし、
時間が出来たら、なべさんに連絡を取ってみようと思っていた。

あれからまだ2週間も経っていない昨晩、連絡が入った。
なべさんが亡くなった。
長良川で撮影中に、川で流されてしまったという。

一晩過ぎて、まだ事実として理解できない。
ショックというより、全く現実感がない状態。

渡辺正和さんのご冥福を、心からお祈りいたします。

渡辺正和
愛知県出身。日本大学芸術学部卒業後、スキー写真に専念。その後、オリンピックや世界選手権、F1GP、サッカーワールドカップなどを取材。'98年長野オリンピックではオフィシャルフォトも担う。写真家集団「アフロ スポーツ」所属後、'09年に太田達也氏、千葉高広氏とともにクリエイティブ集団 「bullet photos (ブリット フォトス)」 を設立して活躍中。
写真家名鑑より
(http://www.digi-came.com/jp/modules/person/entry.php?categoryID=7&entryID=131)
すぎもとまさひろの独り言:Soliloquy of Masahiro Sugimoto【Redemption Song】


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