へルタースケルター | miniature garden.

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この小さな箱庭で。



「友達」と映画行くなんて何年振りだろ。

今回は一緒に見に行ったというのもあるので、ちょっと真剣に書いてみます。

ただ見に行ったっていう前提でストーリーとかは書きません。

なので、以下非常に個人的な解釈でちょっとネタバレありなので、今から見に行こうと思ってる人は戻るをクリック。










































この映画の要はリアルとイメージだと個人的には感じました。

映画の冒頭ではりりこがタイガーリリーを演じ切っていたけれど、

映画が進むにつれ、「辞めたい」という言葉や今まで拒んでいた妹と会う行動、密会を報道させることなどからもわかるように、りりこが加速するタイガーリリーに着いていけなくなる。

ここでいうタイガーリリーはシミュラークル。

彼女の周りを取り巻く人々が作り上げた偶像であり、現実ではない。

そのイメージに少しでも近づこうとする現実の人々の様子を、劇中ではつけまつげやプリクラの補正機能などで表現している。(リトルタイガーリリー)

りりこも一人の人間であり、彼女自身もその加速度的に成長するタイガーリリーを追うようになっていた。

ただ、ここで注意したいのはタイガーリリーを作り出したのはりりこ本人であるということ。

またタイガーリリーは現実ではなく単なるイメージでしかないため、崩壊するのも非常に速い。(こずえの登場)

そこで会見で目を刺すシーン。

目を刺した意味は、「目ん玉と爪と髪と耳とアソコ以外は全部つくりもの」という言葉からわかるように、現実の自分(りりこ)を捨てるということ。

つくりものの部分のみ、つまりタイガーリリーになるという欲望が結局はこうさせた。

モデル界→会見→ナイトクラブと場所は変わっていくけど、この欲望の感情は常に一貫している。

最後のタイガーリリーの笑みは、叫ぶりりこを捨ててきたということを表現してる。

それが映画の最初の一言、「笑いと叫びはよく似ている」が表している。


みたいなことなんじゃないかなーと個人的には考えて観てました。

原作の漫画も読んでない、なんの予備知識もない状態で見たので原作を読んだら意見は変わると思います。

ふむ、邦画は空白が多すぎて考えることがたくさんで苦手です。

正直見る人によっていろいろな見え方をする映画だろうと思います。

余談だけど、ヘルタースケルターっていったらホワイトアルバムのあれしか想像できなかったんだけど笑


3。