もしも私が死んだなら、この木は
『リベックじいさんのなしの木』
テオドール・フォンターネ/文
ナニー・ホグロギアン/絵
藤元朝巳/訳 岩波書店
リベックじいさんの屋敷には、なしの木が一本ありました。
秋になると、金色のなしの実がみのり、あたり一面に光り輝きました。
リベックじいさんはなしの実をかごいっぱいつんで、村の子どもたちに言いました。
「さあ おいで。なしを ひとつ、めしあがれ」
こんなふうに声をかけながら、村の子どもたちや大人たちにおしげもなく、自分で育てたなしの実をあげたのです。
歳月はゆっくりと流れ、リベックじいさんが天に召されるときがきたとき、遺言を残しました。
「わしが ねむりに ついたなら、なしを ひとつ、はかに うめてくれまいか」
なぜなら、あととり跡取り息子はしみったれのけちんぼう。
リベックじいさんの死後、なしの実を誰にもやるものかと、さくで囲ってしまいました。
息子がそんなケチなことをするって、リベックじいさんはわかっていたんですね。
しばらくすると、お墓のそばから、なしの芽が出てきました。
三年後には若木に育ち、さらに歳月が流れ、村の様子もすっかり変わる頃には
大きな大木に成長しました。
今でも、豊かな恵みを多くの人に与えているそうです。
もうすぐ死を迎える人がまいたひと粒の種から芽が出てきたことの喜び。
少しずつ大きくなり、恵みを与える木になってゆく。
人は死んでも、木は生きる。
生き生きと、四季をくり返す。
悲しいとき、くやしいとき、苦しいとき……。
私たち人間より、遥かに長い歳月を生きる木に
身をゆだねるときがあってもいいと思います。
金色に光るなしの実を見つけるために、時が経ってもくり返し、くり返し。