昭和50年代、当時社宅では会社が各棟入居世帯の中から選任した管理人を配置してました。大家でもない入居者が管理人を担うなど、今ではちょっと考えにくいですが、社員世帯のみですし、まだ玄関無施錠が当たり前のような時代だったからでしょうか。

学校から帰宅すると、ごく稀に施錠されてることがありましたが、管理人から鍵を借りることはほぼなくて、一階のベランダから二階へよじ登り、帰宅してました(ベランダも入れなかった経験なし)


昭和9年に官舎が社宅となり、いつから市内の社宅でこの管理人制度が始まったのか分かりませんが、私が昭和58年に社宅を離れた後までこの制度は続いてました。

そういえば空室が葬儀会場として使われたのを覚えてます。管理人さんが会社の許可を得るのでしょうか。喪服にエプロンをつけた母やママ友さんたちが慌ただしく動いていたのをぼんやり覚えてます。

※68/69棟 仲良しトリオで我が家にお泊り。一人ははるばる転居先の君津から来訪/1979年。

一枚目はよく見るとルービックキューブ分解してますね。そして二枚目。左の子が分解したパーツを嵌めようと必死になってんのが伝わってきます笑

おしまい