【前書き】
北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。
私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。
社宅で暮らした昭和47〜57年。ほとんどなかった空室がだんだん目立つようになり、学年があがるにつれ、どんどんクラス数が減っていきました。それでも小学低学年の頃までは、町内は子どもたちでいっぱいでした。私が小学校へあがる昭和53年頃。覚えてるだけですが、
・自宅68棟に私を含めて同級生だけで、五人
・裏の67棟に、二人
・向かいの69棟に、一人
・穴生クラブへ続く70〜72棟に、四人
これらの社宅は鉄竜一丁目の社宅群の中では最後発で、4階建ての2DK。一区画を構成するこれら計六棟に、同級生だけで少なくとも計11人以上住んでたようです。
※それまで自宅周り社宅は高い入居率で推移してきたようですが、それが終わりを迎えたのが多分この頃。
▼68棟、山の神池サイド。青山幼稚園児たち。後ろは小さな自転車と三輪車だらけ。
祝福を受ける本人(私の友だち)とその友だち、その兄弟姉妹たち。タンスが幅を効かせる、狭めの部屋がギュウギュウします。ケーキ奥で突き立ててるカラフルな棒状のモノは、ロケットペンシルのお化け?
右端の女の子の視線はケーキに釘付け。他にも何枚か誕生日会の写真が残ってますが、男女関係なく私も含めて、必ず誰かがケーキに熱視線を送ってて、そこを激写されてます笑
テーブルは昭和なコタツテーブルですね。天板のまわりに縁取りがあって、液体こぼしても少しなら堰き止めてくれるヤツ。縁取りのつなぎ目に微妙な隙間があると、そこからは漏れちゃうケドネ。
誕生日会は楽しみだったけど、私の誕生日は春休み期間中なので、多人数でワイワイやるのは難しく、集まっても三〜四人くらいだったかと。ちょっと不満だったです。
そんな感じで結構な年齢差があっても、大抵の子はお互いを知ってるし、たま〜に外で一緒に遊ぶこともあります。
製鉄企業の社宅なので父親が3交代勤務の世帯も多く、昼間は父親がいて家で遊べなかったり、遊べるとしても子どもなりに気を使うのが嫌だったりして、外で遊ふことが多いです。また、幼稚園前後までは行動範囲がかなり限られるので、晴れた日の社宅前は、ご近所のチビッコたちで賑わいます。
平日と半ドン(昼アガリ)の土曜は、学校で約束して同級生たちと遊ぶことが多かったけど、日曜はあまり友だちと遊んでなかったのか、近所の子ども同士で遊んでた気がします。(当時は唯一の休みが日曜だったから家族団らんのために?相手のご家族のことをよく知らない家に押しかけないようにしてた?このあたりの空気感は忘れてしまったけど、多分そんな感じ。友だち同士で電話なんて殆どしなかったかな)
なので日曜は誰かしら近所の子が、社宅の前で遊び始め、その声を聞きつけて他の子も出てくるとか、あるいはご近所さんちにピンポンしに行ったり、兄弟で遊んだり。そんな感じだったと思います。
野球やビー玉遊びなど、ある程度知識とか技術とかが近いレベルでないとマトモに遊べないものは、同級生や年が近い子同士で遊ぶんだけど、
・ 警察と泥棒に分かれてやるチーム鬼ごっこ(うちの近所はケイドロと言ってた)
・ だるまさんがころんだ
は、かなり年が離れた小さな子も混ざって、一緒に遊んでた気がします。
でも、何かしら勝ち負けがついちゃう遊びは、やっぱ小さな子が不利で、鬼とかになったりしたら結構な確率で泣き出しちゃいます笑
その事態を回避するために導入するのが、ママコという謎システム。
小さな子をママコに指名すると、捕まろうがタッチされようが見つかろうが、無敵状態。けど、一緒に遊んでる感があるからなんでしょうか、ママコたちもキャーと言って鈍足で逃げたりしながら、無敵状態で楽しんでくれます笑
▼全国ケイドロの呼び方マップ/調査結果
→ 全国だと「ケイドロ」、東京を含む一部首都圏だと「ドロケイ」がメジャーみたい。鉄竜の穴生社宅は「ケイドロ」でした。
▼ママコの呼び方
(一部抜粋)
ママコの漢字や本来の意味はシビアだけど、除け者なんて意味も。年長者がチビちゃんたちを除け者にするためのシステ厶。。。確かに紙一重です。
ついでに思い出すのが、
物や人を選んだりするときに唱えるコレ↓
どちらにしようかな、
天の神様の言う通り。
げげげのけむし、
あぶらむし、
かきのたね、
ごはんつぶ。
これもそれぞれの土地でめちゃくちゃバラついてそうです。ごはんつぶは後から自分たちでつけたり、つけなかったりしたような気もする。
調べてみたら、、
どこから始まったのかよく分からない伝言ゲームが、日本全国を延々と駆け巡るうちに、めちゃくちゃになった的な感じ?
鉄竜の穴生社宅で使ってたヤツは、ちゃんと北九州市としてエントリーされてます。君津製鐵所稼働により北九州から多くの人が移住した千葉県君津市にも同じエントリーがあるのを期待しちゃったけど、残念ながら君津市自体がエントリーなし。。
「あぶらむし」「柿の種」は日本全国広く使われてるんですね。けど、「げげげ」は愛媛・山口・福岡・大分・宮崎あたり。
これ、ある程度出身地わかっちゃうんですね〜
以上、昭和五十年代に鉄竜の穴生社宅で暮らしていた子供たちの一コマから、トリトメのないお話でした。
最後までお付き合い、ありがとうございました。
おしまい。