北九州のトイレ・下水道と、かつて戸畑と折尾にあったウチの祖父母宅トイレについて、以下で振り返ってみます。
気分を害しそうなキーワードや絵などが登場するのでスキップをオススメしますが、よろしければどうぞ。


北九州では五市合併の半世紀弱前、大正7年に当時の若松市が初めて下水道事業に着手したそうです。
その7年後に小倉、更に10年を経て八幡、20年ちょい空いて昭和33年に戸畑。最後の門司は昭和38年2月(北九州市誕生のタイミング)でした。
(ちなみに東京は明治5年以降)

↓市下水道局資料より
当初は下水道といっても処理場はまだないので、下水道管の敷設のみ。当初の終着点はおそらく川や海で、その後貯留地を作って北九州沖合での投棄を始めたんだと思います。

↓市政だよりによれば沖合での投棄は昭和48年12月5日まで続き、全廃できたんだそうです。
昭和45年の海洋汚染防止法公布により、どんどん遠洋に投棄しなければならなくなったんですね。それまでは沖合10キロ。海流とか考慮してたんでしょうけど、ポイント近くでは泳ぎたくないねぇ。。


北九州以外はどうだったんでしょう?
日本の下水道の歴史については船橋市が分かりやすくまとめてくれてます。

大雑把に要約すると、

昔から多くは下肥として積極活用。江戸時代、臭くない日本に外国人が驚いたとか。
明治維新後に流入した安価な化学肥料への置き換えや人口集中などによる廃棄量の増加、コレラなど伝染病の流行
下水道整備(すぐに溢れたり詰まったりしない本格的な地下配管。当初の終着点は川・海など)
文化水準の向上、環境汚染の深刻化
下水処理場整備

という流れ。人口密集地は多かれ少なかれ、遅かれ早かれ、どこも似たような感じだったかもしれません。

欧州などでは、日本ほど積極的に下肥活用してなく、アチコチ臭くて下水道ニーズの高まりも早かったんだそう。しかし日本も明治以降、似たような状況に陥り、下水道が広がっていったとか。

まず横浜外国人居留地で下水道が敷設され、それに習うように敷設した神田下水が、日本で初めての本格的下水道なんだそう。
↓横浜市

↓神田下水

 ↓建設コンサルタンツ協会




昭和の北九州に戻って、昭和30年代。
北九州でも河川や海の水質悪化が深刻化しており、先の下水道局資料のとおり昭和38年の八幡皇后崎下水処理場稼働を皮切りに、大規模な下水処理場を整備・稼働させていきます。

その後も道路整備や区画整理などとあわせて下水道整備を進めていきます、昭和61年の段階で普及率は既に80%だったそう。これは現在と大差ありません。現在の福岡県全域の数値に近い値。北九州市は現在99.9%に達してるそうです。

私の祖父母宅ですが、おそらく戸畑は昭和二十年代半ば?、折尾は昭和三十年過ぎ?くらいに建ててます(いずれも木造の戸建て)。なので、トイレはもちろん汲取式。

(そういえば、よく「ボットン便所」と聞くけど、うちでは専ら「ホリベン」と言ってました。ホリベン=掘った便所=汲取式。たぶん誰に確認するでもなく、勝手にそう解釈したんだと思います。身内ではフツーに通じるけど、ネット検索してみたら全くヒットせず。え?普段使う機会ないし、これまで考えたこともなかったけど、まさかホリベンって言ってんの、ウチだけ!?)

戸畑の方は板間の和式。陶製便器で大きな開口部が一つあるタイプで、下は真っ暗。転落する可能性があるし怖かったです。あまり覚えてないけど(私が小学4年時に取り壊し)、下は静まり返ってて、たぶん殆ど何も見えませんでした。照明は天井から吊り下げられた裸電球。

↓こちらのサイトの二枚目の写真に似た感じ。開口部は子どもが落ちるサイズ。ヤバいです。

↓そばにはもう殆ど見かけない、ちり紙を備え付け。今は介護などでニーズがあるそうです。

 https://fukueyakkyoku.shop-pro.jp/?pid=168036675


↓そういえば「ちり紙交換」ってありましたね。昔は放送してるトラックをよく見かけたものです。

トイレ入口入ってすぐの区画には男子便所もありました。父方のイトコんちも同じく板間・和式・裸電球の組み合わせ。この典型的な昭和な木造トイレは、古くて薄暗くて狭くて、油断すると落ちちゃうし、ちょっとビビってた記憶があります。

続いて折尾の方ですが、タイル張りの簡易水洗の和式。開口部は戸畑よりも少し小さくて落ちそうにはないサイズ。

そこからはいつも空気が配管を流れるようなゴォーっという不気味な音がしてて、恐る恐る下を覗くこともありました。照明との位置関係だと思うけど、微かに下が見えます。子どもだったからなのか結構な高さに感じられ、小部屋のような空間があるようでした。

中はこんなスカスカなのにバキュームカーでどうやって吸い出すの?。めちゃくちゃ溜まらないとダメなのかな?とか、

この空間は隣と繋がってるんじゃないの!?泥棒が入ってくるやん?とか、

そんなアホな心配をしてました。おバカさん笑

でもホント地下はどうなってんでしょ?。これまで調べたことなかったけど、その時が来ました。

▼環境省サイトに掲載されている文書より(リンクは記事の一番最後に載せてます)
↓いろいろあるようです。


↓最もシンプルな部類かな?。すぐ満タンになっちゃいそう。

鉄蓋から回収するようですが、折尾にはバキュームカーホースの専用接続口のようなものが歩道の脇に埋め込まれてました。あれは本当に接続口だったのかしら?。歩道に露出してるというのも、それはそれで微妙な気がするけど。

↓バキュームカーによる汲取風景

 

↓バキュームカー以前の汲取風景


↓そしてこの芳香剤。アチコチで見かけました。

 

↓唐突ですが折尾堀川近くで撮影した写真

折尾の祖父母宅にまわりにはこんな石垣がずっと続いてました。この石垣の中にきっとあの空間が広がってて、アチコチのホリベン同士が繋がってるに違いない。もしかしたら外に染み出してくるかも!?
通るたびに、そんな妄想が頭をよぎり、絶対に触らないよう気をつけてました。
あまりに強烈なので、記憶に焼き付いちゃったんだと思います笑


最後にトイレ・下水道に関する記事・サイトをいくつか。

↓国交省


↓ヤフーニュース


↓マリトモさんの記事

 

 

 


↓福岡県の資料

https://www.pref.fukuoka.lg.jp/uploaded/life/519228_60192353_misc.pdf




↓現存する明治の公衆トイレ跡

↓環境省サイト掲載資料。本格的なヤツ。ファイルサイズ大きいです。

https://www.env.go.jp/recycle/files/3hwt.pdf


下水道やトイレも色々興味をもって調べてる方がたくさんいるんですね〜

↓最後に映像資料。白黒だけど食事時の方はご遠慮を笑


以上になります。
最後までお付き合いありがとうございました。