【前書き】
北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。
私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。
ネットを使えば航空写真と地図で、鉄竜・鉄王周辺を過去に遡ることができますが、だんだんと突き詰めて行くうちに歴史嫌いの私でも、少しずつ郷土史に興味が湧くように。
昔の痕跡などを求めて散歩したり旅したり本を読んだり・・・自分にはそんなことアリエナイ…なんてずっと思ってましたけど笑えるほど心変わり。
いや全然アリエールでしょう、な〜んて今では普通に思えます。この1〜2年の変わり様、自分でもちょっとビックリ。
こんな地図みてトキメキますか?
中世の穴生だそうです。萩原の北には現在もこの地を流れる宮川と同じ地名があったんですね。現在の山の神池のところに山神、大池公園のところに大池とあります。鷹の巣、萩原、皇后崎、森下、今池は当時から続いてる地名ですね。樋口も。
森下の北、割子川沿いに河原田。枠外下、帆柱山寄りには小鷲田という地名がありますが、海寄りは鷺田ですか。
穴生には中世に洞海湾沿岸を埋め立てたなんて記録も残ってたり、伊勢神宮に収められている書物にも穴生や竹末などの地名が登場してたりするそうです。古墳もあって、地層や出土品から時代を遡って調査されたりもしているようです。
この中世の地図には出典の記載がないようですので、おそらく穴生公民館郷土史委員会(著者)によって作成されたものかと。
改めて私が幼少期を過ごした鉄竜周辺を現在から過去へ向かって遡ってみます。
▼最新の地図と空撮
大正期と比べてみますと、土地の境界や地名はまだ残っている所がちょくちょくあったようです。よく見ると古屋敷、福納は記載があります。
▼大正期との比較
山神にある山の神池と、大池にある大池公園(その前は大池という溜池)はいずれも1700年代後半に作られてますが、これらは地名とモロ繋がりがあるヤツですね。
穴生の里ではこれら中世の地名の由来についても考察されてますが、ここでは割愛します。
昭和初期の穴生・引野にどんな地名だったか、興味が湧いてきました。
やっぱり年をとったって事なんですかねぇ笑
あるいは随分と時間かかりましたが、ようやくこの年にして歴史に目覚めちゃったんでしょうか。
まぁ楽しければ何でもいいんですけどw
最後までお付き合いありがとうございました。
追伸
郷土史穴生の里について:穴生に焦点を絞った歴史書なので、間口は非常に狭いかもしれませんが、関係者の熱意によって広く細かくまとめられてますので、興味ある方にとっては非常に貴重なバイブル的書籍です。