今も穴生・引野を流れる宮川。
昭和三十年代に新日鉄社宅群建設にあわせて行われた一帯の整備事業により、宮川はコンクリートで囲われた直線的・人工的な流れに姿を変えました。

私はそんな宮川のそばで幼少期を過ごしており、ここで当時を振り返ったことがあります。

それよりも更に昔、昭和二十年代以前の宮川は長閑な田舎を流れていたようです。航空写真ベースですが以下で昭和五十年頃の様子と一緒に、その頃の宮川の様子を振り返ってみます。

▼最下流、割子川合流部。ここから上流に向かって南下していきます。
田んぼの中を蛇行しながら現在の宮川に近いところを流れていたようです。

▼穴生から鷹の巣にかけて。まだ筑豊電鉄も開通していません。鷹の巣付近は大きめの集落になってます。

▼鉄竜・相生町付近。山の神池南端は現在湖面が後退し湿地のようになってますが、右の写真はまだ水を湛えてますね。

▼鉄王付近。このあたりから川幅が細くなったりするんでしょうか、航空写真ではハッキリと流れを確認できない部分が出てきます。着色してない所や点線はイマイチ確定できない部分です。

▼別所・引野付近
用水路はそろらじゅうにあるでしょうし、ここは川も分岐してそうですが、よく分かりません。

▼八幡工業高校付近

▼更に上流はあちこちから流れ込んでるようですが、ハッキリ確認できるのは国道200号線そばを北上するルートくらい。他はこの写真では川なのか土手なのかはたまた道なのか、よく分かりません笑

▼割子川も見えるところまで、少しひいてみるとこんな感じ。
前に一度上流側(こちら側)から過去の宮川を振り返ろうとして、川らしきものがどれなのかハッキリしなかったので諦めました。下流から遡らないとハードル高くて無理ですね。

もう少し追記するかもしれませんが、ひとまずこれにて。

お付き合いありがとうございました。



追伸
現在の宮川と、私が鉄竜で暮らしていた当時の宮川については以前記事にしてます。ダラダラとかなり長い記事ですが、よろしければどうぞ。