※この記事は2021.8に作成したものです。コメントなどを受けて適宜追記・訂正させて頂いてます。


【前書き】
1970-1980年代、私は幼少期から高校卒業までを北九州西部で過ごしました。その中にある折尾地区。古くは要衝とされ、中心部を江戸に作られた堀川運河が流れ、鉄道が交差してます。明治以降は西の遠賀川一帯から算出される石炭でも賑わい、昔から続く小さな商店や民家が所狭しと立ち並んでました。

また折尾は北九州の西の玄関にあたり、人や車の往来が激しく、学校が集中する学生街でもあります。かつてそこには祖父母宅があり、私は小さな頃から行き来してました。また高校時は通学で毎日訪れてました。

記憶もおぼろげで写真も少ないのですが、ネットの力も借りて、私なりに過去の折尾を振り返ります。よろしければお付き合い下さい。


学園大通り
学園大通りは産医大や私立大学・高校が建ち並ぶ折尾駅北側の大きな道路。私が中学〜高校のころ、夜になると道路はナンパ目的の改造車たちで埋め尽くされてましたね。まだまだヤンキー全盛期。パトカーがサイレン鳴らすこともしばしば。

そんな通りでしたが、私は中学から高校にかけて、よく行ってた/通ってた場所です。

▼駅ホームから撮影。2022.1.3
高層マンションだらけなのがよく分かります。

▼学園大通り南端(折尾駅寄り)の交差点より
▽東方向(旧駅ロータリー入口/堀川河口)
▽北方向(浅川/サンリブ)
▽西方向(旧折尾警察署/折尾スターレーン)


レコード店 BIG BOX
折尾駅から学園大通りをサンリブに向かって通り左側、たしかこの横長ビルの一階中央付近にBIGBOXというレコード店がありました。
中学時代はココでレコードを買ってました。まだギリギリ、レコードとカセットテープが主流で、レコードのほうが断然音がいいので、買うのは高いけどレコードばかり。

ただ、その後2年くらいでレコードは廃れ、世の中は一気にCDに置き換わりました。

けど、高音部分や音のキレ/透明感はやっぱりレコードよねって、若い頃の実体験を語る最後の世代っぽいです、

BIG BOXはその後、西鉄電車折尾駅があるビル1階に出店しました。その前のレンタル屋、潰れたんだっけ??覚えてません。。

この並びにはスタジオ83があって、その隣は古本屋ボブ。ファミコンディスクシステムのゲーム書き換えができたそうです(通りすがりさんコメント)


折尾サンリブ/グリコア/掲示板
▼現在のサンリブ 2022.1.3

▽少し左に向いて、九州女子大
▽更に左。国道199号水巻方向。こちらは横断歩道なくて、地下道なんですよね。
↓折尾はサンリブ1号店。ルーツは別府の漬物佃煮屋さん。

折尾のサンリブは祖父母宅へ行ったときや高校下校時とか、よく行ってました。中にロッテリア、じゃなくて「グリコア」っていうグリコ系列のファストフード店があって、極薄アルミホイルのような銀色にコーティングされた包装紙にくるまれたベーコンエッグバーガー。これがめちゃくちゃ好きでした。


高校生の所持金で、ファストフードがんがん食ってたら破産しますし、そこまで食べてないので、近寄ると余計に食べたくなるという笑

 

あと2階にあがるエスカレーターだったか、階段だったかの上り口の下に、椅子が並べられた待ち合いスペースみたいのがあって、そこに掲示板がありましたよね。確か髙須サンリブにもあっかな?

まだインターネットがない時代。売ります・買います・譲りますなど色んな人のメッセージが定形用紙に書き込まれ、張り出されてました。

中には変なメッセージやお得なメッセージもあったりして、待ち時間あると、ついつい見ちゃう。



得得うどん
サンリブの南向かい、交差点角に得得うどんってのができて、一玉でも三玉でも値段が変わらないってのに驚いたけど、結局行かず終いでした。

▽サンリブ交差点向かい。今は学生服屋さん。

今は冷凍技術の進歩によって、お店に行かずとも美味しいうどん食べれるけど、当時うどんのハズレはほんと酷くて、お店の新規開拓とかは、それなりの勇気と覚悟が必要だったかと。

検索すると他県にあるんだけど、別会社かなぁ。。

我が家は資さんうどんと河口屋のファンですけど、途中から焼肉ウエストからスピンアウトした、うどんのウエストもアチコチにできて、結構おいしいです。

だいぶ後ですが、黒崎駅前の銀天街入口に、はなまるうどんが出店してましたね。帰省時に一回だけ入りました。あのスープ受け入れられるのかなぁなんて余計な心配とかしてましたけど、ダメでしたね。黒崎は衰退の一途でしたし。

私個人は福岡を離れてから九州のうどん、なかなか食べれないので、はなまるも結構好きな方なんですけど。

▽学生服屋さん前の案内版
▽移転した折尾警察署などが消されてます。かなり古い掲示板です。


ダビング屋
CDが主流になるまで、カセットテープで音楽を聞くには、自宅にレコードデッキと、ダブルラジカセとかミニコンポがないとダビングはできません。レコードは高いので、カセットテープへダビングするサービスが商売になってました。

私たち兄弟もサンリブの向かい、南側のビル2階(得得うどんの裏側)にあったダビング屋に何度か行ったことがあります。

▽先の学生服屋さん脇の階段から裏へ

▽当時ココにありました。
一階のカセットテープレンタル屋で借りて、二階でダビングという流れだったようです。(私は弟に頼んでばっかで、足繁く通ってないので忘れてます)

カセットテープって、A/B面とも最後の方は中途半端に無音部分が残るんだけど、そこを聞くたびに早送りしてすっ飛ばすもんだから、テープが伸びたりして劣化が早くなります。

けど、そのダビング屋はテープとA/B面の曲の長い方にあわせて、テープをカットして無音部分をミニマムにしてくれます。

初めてそれ見たとき、すげぇ!ってなって、やり方を覚えて、自分たちのステレオでダビングして、弟とダビングしては、せっせとカッターナイフ使ってカットしてました。

あと金があるときや、大好きなアルバムをカセットテープに録音するときは、高いけど音が格段にいいメタルテープを買ってましたね。

デジタル世代には分かってもらえない、面倒くさい昭和世代の思い出。

▽店を出ると中途半端な下り坂があり、学園大通り歩道に合流できます。
その昔、医生ケ丘・光貞・浅川・若松区ひびきのなどの一帯は、木々に覆われた丘陵が広がっており、折尾駅北部や西部はアチコチに坂があります。


大通り一つ裏の民家たち
先の坂から大通り歩道に出て進むと、昔ながらの民家も少し残ってます(奥がサンリブ)

▽その一方で駐車場になった所もあり、
▽昔は一つ裏にあった、使われてないかなり古い民家が大通りに面するようになってます。
▽植物に飲まれてしまいそう。




折尾駅北西の変遷
▼1960年代
サンリブ(池の部分)より南側は開発されてますが、サンリブ以北には丘陵地帯が広がっており、これから造成工事が始まるところです。
一方、福原学園一帯と、かつて旧折尾警察署裏手にあって人々で賑わった折尾公園の跡地周辺は、造成が進んでます。
この地域の西、遠賀川沿いには炭坑があり、明治以降賑わいましたが、エネルギー革命で衰退し、ちょうど閉山になるころです。

▼1970年代
かなり造成が進んでます。ボーリングブームに乗って開業した折尾スターレーンが見えます。

▼1980年代 
1981にサンリブ折尾が完成。大浦にはまだ更地が目立ちます。私が住んでいた高須も同時期に開発が進んでました。福原学園北にはまだ緑があります。
※私はここの自動車学校卒業です。高校は免許取得禁止だったけど、近いので通っちゃいました。

スターレーンは小さい頃から何度か連れて行ってもらってました。折尾駅南側からも当時鹿児島本線下を通る小さなレンガトンネルでショートカットできましたので、祖父母宅から歩いて行ったこともあります。

もう世間のボーリングブームはとっくに過ぎ去った後でしたが、高校のときも学校から近いからサッカー部や他の運動部の連中と、土日の部活帰りとかに色んなものを賭けて真剣勝負でボーリングやってましたね。おかけでスコアが伸びまくり、最高で190くらいまで出るように笑
レンタルのボールを思い切り投げてピンをガチャガチャにしてストライク連発できると、気持ちいいんですよねぇ!競争相手も悔しがってくれるしww

▽折尾スターレーン 2022.1.3
まだ健在です。

▼そしてこの地区の開発は終わり、成熟期を迎えました。が、平成から令和にかけての折尾駅を中心とした広域整備事業はまだ続いてます。

追記
▼学園祭で作られたマップだそうです。

 


つづく