【前書き】
北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。

私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。


※この記事は2020.8に書いたオリジナルを一部更新したものです。



当時社宅からのお出かけは、父は免許を持たなかったため、母が免許を取るまでバスでした。筑豊電鉄穴生駅は少し離れてるので、専ら徒歩ですぐの23号アパート前のバス停から繁華街 黒崎を目指します。萩原、青山、皇后崎公園、山寺、区役所を抜けて厚生年金病院。病院の交差点を左折すると、デパートが建ち並び黒崎駅へ続くメインストリートです。

以下では、その黒崎とバス路線沿いの当時よく通った思い出の飲食店やデパートについて、他の方のお力も借りながら、ツギハギだらけで記録しておきたいと思います。よろしければどうぞ。

青山 ロイヤルホスト
調べればすぐ分かったんですがココ、一号店だったんですね。高度成長の象徴のような鉄竜・鉄王社宅群を見込んでの立地なのでしょう。ロースターで焼くロースの焼肉、大好きでした。あとコニャックピーチのアイスと、ウォールナッツのアイスも。ここはバスに乗らず、徒歩で行くか、親族の車で行ってましたね。併設されているボウリング場にも、連れられて行ったことがあります。
引っ越して社宅を離れてからも遅くまで営業してるので行ってましたね。大学時代、朝まで居たことも。



山寺 五平太・天ぷらふそう
五平太は山寺あたりにあった活魚料理を扱う和食処で、何度も連れて行かれましたが、いけすに大きなイシダイが泳いでいたことしか覚えとりません。
天ぷらのふそうも近くにあり、母が好きで何度か行ってるはずですが、看板の文字しか覚えとりません。

山寺の天ぷらふそうは、いまだ現役なんですね。


五平太はありませんけど、最近まで?芦屋で営業されていた五平太に店舗ロゴの雰囲気がめちゃくちゃ似てるような気がするんですよねぇ、記憶はかなり曖昧なんですけど。。
もしかして移転?あるいは系列店?

閉店しちゃったし、この情報もいずれ消えてなくなるんでしょうね。


黒崎 焼き鳥 舌鼓
うずら、バラ、ダルム、砂肝、レバー、イカゲソ、刺身醤油で食べる薄切りの砂肝刺身。どれもめちゃくちゃ旨い。コの字のカウンター、固定された高めの丸椅子。戦争のときも持ち出して守り抜いてきた大きなタレ壺。薄めのダルムのと相性が良過ぎる。

ビール好きの父が土曜夜に焼鳥屋に家族を呼び出し、バスで出かけることもしばしば。日曜なら社宅から家族で出かける。小学生の低学年頃からこんな焼鳥屋通い。めちゃくちゃ美味かった。カウンター奥に従業員向けの小部屋があって、満席のときはそこに通してもらったことも。

ココのダルムより旨いダルムに未だ出会えてない。本当に本当に美味かった。小学高学年になるころには僕たち兄弟もよく食べるようになったので、串入れはパンパン(たぶん相当な金額)。

その後大将が確か肝臓を患って閉店してしまったけど、自分の中で今でもナンバーワンの焼鳥屋。近くを通る度に思い出す。

▼正面右、提灯のある建屋 2022.1.2

▼4459さん山笠ビデオスナップから(残念ながら削除。スナップスクショを拝借)
背後にはトポス。右手前に写ってる、やきとり五月。ココが以前やきとり舌鼓だったと思います。雰囲気も重なりますし、場所的にも恐らく間違いないかと。


▼こちらは動画(こちらも削除)

 


黒崎そごう
現井筒屋は黒崎駅横にありますが、当時そこは黒崎そごう、メイト、ジャスコ(現イオン)が入ってました。小学2年時に完成しS.O.G.Oそごうへ行こう♪とCMが流れまくってましたね。
こんなものまでYouTubeにあるんですね。ビックリしました。


食料品街に良いお店が入っていたらしく、母は長いこと利用してました。当時そごうに入っていたドムドムバーガーが私にとって人生初のハンバーガー屋さんでしたね。エントランスで弾かれていたエレクトーンかな?聞き惚れてました。

入口には恐らくステンレスで作られた、理性の滝(ツイッターでisaさんに教わりました)と呼ばれる水が流れる巨大なオブジェもありました。
鉄竜社宅68/69棟の仲良しトリオ(前は弟)で。 一人がそごう完成前に君津に引っ越して、その一年半後くらいかな?私の家に遊びに来てもらい、そごうへ遊びにいったときの写真です。たぶん1980年くらい。(その前に私も一人で君津へ遊びに行ってます。国立科学博物館、上野動物園、富津海岸など)

黒崎そごう建設を伴う駅東側エリアの再開発事業の様子が北九州市ホームページに掲載されてます。

その後、黒崎そごうは撤退し、現在では黒崎井筒屋がそこに移転してますが、商業ビルの経営母体であるメイトが破産し、井筒屋も撤退という報道を聞きました。ビルだけでも残ってくれるといいですが…

▼井筒屋撤退後 2022.1.2-3

▼下には貼り紙が。
ビルを運営していた黒崎メイトの破産管財人が、管理処分権限を放棄。老朽化した建物の管理者が実質的に不在となり、北九州市と国道事務所にて通路封鎖したそうです。民間投資を呼び込めなければ解体かなぁ。。

▼まつえぼさん、そごうのツイート

▼ココログのisaさんの素敵な記事



駅前の噴水(ついでに記録)
当時黒崎駅前には銀天街出たところに噴水があり、黒崎そごうや黒崎駅へはそこから陸橋をわたって行ってました。この噴水は強烈に記憶に残ってましたが、我が家のアルバムを探したら一枚だけ写真がありました。
今になって振り返ると、立派な噴水だったんですね。

こちらにも写真が。

 



黒崎井筒屋
記憶に強く残ってるのは、数々の超合金ロボットたちを買ってもらったおもちゃ売り場。おもちゃ売り場は人でごった返してたのか通路が狭いような印象が残ってる。あとは食堂で食べたホットケーキ、屋上の遊具かな。
超合金は本当にたくさん買ってもらいました。自宅に正月早々からたくさん料理を作って、会社の来客がたくさん来て、たくさんお年玉もらったりしてましたし、初孫で可愛がられてたからかな?

写真は当時の井筒屋の食堂で撮影したものだと思います。

▼井筒屋や長崎屋、その地下にあったテツビル!?など掲載あります。



ダイエー→トポス
10年の鉄竜生活でダイエー(☓ユニード)がトポスになったのは後半だったかな。まだ幼過ぎてユニード時代の記憶は曖昧です。
↓最近公開されて話題になった写真集だそうです。

黄色と黒の看板がよく目立つトポスになってからは、とにかく安くてよく行った記憶があります。我が家の初ファミコンは鉄竜を出た後でしたが、初売りだったかトポスで並んで買ってもらった記憶があります。ABボタンが押しても戻りが悪い四角いゴムっぽい初期型のヤツ。
社会人になって福岡を離れた先にもトポスがありましたが、看板を高速道路から眺めるだけで、いつの間にか閉店してました。
当時、階段踊り場には体重計が置いてましたかね?

▼アシマネさん、トポスのツイート



サンバード長崎屋

黒崎駅前のメインストリート、当時の井筒屋向かいにあった。閉店する少し前に行ったけど、すごく天井が低いフロアで驚いた。幼少期を過ごした懐かしい場所を大人になってから訪れたとき、子供時代との視点の違いや恐らくそこから来るイメージとかサイズ感の違いに戸惑うことがあるのですが、ソレでした。
長崎屋では、幼いとき両親の買い物に付き合わされ、退屈して、弟と二人で帰ろう帰ろうと連呼していたのが今でも記憶に残ってます。よほど退屈だったんでしょうね。笑


▼テーマソング。覚えてない。。


▼くきのうみさん、長崎屋を含むツイート

 

▼isaさん、最盛期の黒崎についての記事



八仙閣
いつだったか井筒屋裏手に中華料理の八仙閣ができました。ここの春巻が大好きでした。母は八宝菜、父はビーフン、私と弟は肉だんごや唐揚げ。あまり好きじゃなかったけど絶対に親にスープを頼まれて飲まされた。。
母がシェフと仲良くなって家から料理を届けたり、逆に春巻きとかについて尋ね、教えてもらえる範囲でアドバイス受けたりしたことも。
ほんと土日は客が多くて、かなり並んでましたね。三階席まであったけど、階段で順番待ちの兄弟姉妹がジャンケンしてグリコ、チヨコレエト、パラシュウトって言いながら昇ったり降りたり。ゲームウォッチしたり。
帰りに一階でバラ売りされてるピノみたいなアイスを買ってもらえるとラッキー。チョコよりストロベリーよりアーモンド。多めに買うけど持って帰った後、絶対アーモンドから無くなる。食ったもん勝ち。弟と争奪戦。そしてケンカに。笑

▼4459さんのツイート(残念ながら削除)


▼後日、映像もアップ(こちらも削除)

 



イタリアン アンジェロ
イタリア単身赴任が長かった父がイタリアにかぶれて帰国。スーツケースや手荷物のお土産はトブラローネチョコや貝殻を模したチョコたち。
そして後日船便で届いたお土産に紛れ込んでたのが、ほんまもんのクソでかい臭っさい臭っさいチーズたち。
ベランダにビールとかを入れておく2台目の冷蔵庫があり、とりあえずその中に入れたはいいけど、もう臭すぎて臭すぎて誰も手を出しません。そのうち冷蔵庫はその臭いが移って事故物件になりました。開けるたびに、鼻が曲がりそうなレベルのチーズ臭。そしてあの世逝きとなりました。
そんな経緯もあって、当時はまだマイナーだったイタリア料理のお店、アンジェロ通いが始まった。
カルボナーラ、アマトリチャーナ、ペペロンチーノ、ラザニアはその頃から食べ始めました。カルボナーラがとても美味しくて、毎回のように食ってた。
ご主人たちは毎年のようにイタリアへ行かれたけど、その後ご夫婦で移住して店を閉めたと母から聞きました。本当でしょーか?笑

メニューにないけど当時は予めお願いするとチーズケーキを作ってくれて、食べてたみたい。

調べてみたら場所は違うけど、黒崎にアンジェロという同名のイタリアンレストランが今もあります。けど創業時期や経緯などから別のお店っぽいかなぁ。。

むかし親がアンジェロで中央町の寿司竹のご主人とたまたま一緒になったことがあるのですが、長らくしてアンジェロの店の名を親類に譲ったというお話しをご主人から聞いたそうです。真偽は分かりませんが、本当であれば元祖アンジェロと繋がることになるんですよね。寿司竹には家族でもちょくちょくお邪魔しており、うちも料理を届けたりと、仲良くさせて頂いてました。

カレーのふそう
トポスの裏手、熊手銀天街の手前を右に行ったところだったかな。。当時ココイチはありませんでしたが、ここも同じように癖になるカレー。結構行ってました。
当時ふそうグループはあちこちにステーキ、お好み焼き、天ぷら、カレーなどの店舗を構えてましたよね。

ラーメン屋ホームラン軒
夜遅くまで営業しているコの字カウンターのラーメン屋さん。当時小学生だったけど、ここに来るのは結構遅めだったような記憶がある。地図を見ると、まだ営業されてるんですね。福岡に帰ったときは是非行ってみたいですね。
▼4459さんのツイート(残念ながら削除)

 ▼akiiさん、しっかりコの字カウンターとおでんw

▼2022.1.2夜。翌1/3朝は香ばしいニオイが。夕方営業開始で間に合わず、今回は諦め。




ロイヤルホスト、花一匁
青山だけでなく確か黒崎にもビルの一階にロイヤルホストがありました。少し暗めの入口かな。熊手銀天街よりも西、井筒屋側だったかと。記憶が薄れてるけど似たような場所に和食の花一匁という店があったような気がする。
▼4459さんのツイート(残念ながら削除)

 



唐そば
井筒屋よりも黒崎駅側を右に、銀天街方面に細めの通りを進んだ右手にあった小さなラーメン屋さん。ここにもよく来ていました。東京に移転してしまったそうですね。
▼4459さんのツイート(残念ながら削除)

これ見て店舗内を思い出しました。ここではおにぎりとかゆで卵をよく一緒に頼んでたけど、2階だと小型エレベーターみたいので運ばれてきたりしてましたね。ほんと記憶の彼方でした。


シロヤ
黒崎駅から南、銀天街内の交差点右手奥の角にあった、たっぷり入った硬めの練乳パンが美味しいパン屋。今でも続いてるそうですね。地図を見ると黒崎本店が出てきますし。何年か前に福岡から練乳パンが送られてきて、云十年ぶりにおいしく頂きました。
 ▼水無月さんの記事より



お好み焼きふそう
こちらもシロヤと同じく、黒崎駅側から来ると銀天街内の交差点右手前側の角。一階は靴屋で、脇の細い階段を上がったところにあったかと。母が好きで、ここは夜よりも昼に来店していたイメージがあります。


【以下追記】

▼黒崎駅がペデストリアンデッキになる前の駅前(あまい夢さんのツイート)


▼オイルショック物価上昇を受けた価格抑制政策呼びかけに応じた協力店のリスト(昭和49年4-6学期、北九州市政だより抜粋)



以上になります。


追伸
下記はバス沿線から外れたところの思い出深い店舗のみ好き勝手に抜粋記録したもので、あやふやな記憶を交えて記録してます。行ったことがあるお店があれば読み物になるかもしれません。