パリ五輪の開会式で、レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」を連想させるパフォーマンスを演じた役者は、LGBT権利運動の活動家バルバラ・ブチさんで「キリスト役か」とみなされた。カトリック教会が「キリスト教に対する愚弄と冷笑」があったとして遺憾を表明したことには理解できる。しかも、イスラム教徒からも批判が出ている。これは、イスラームの開祖であるムハンマド・イブン=アブドゥッラーフは寛容で慈悲深い人間であったことからだと思う。過去にユダヤ教徒やメッカの多神教徒がムスリムを厳しく迫害していたが、ムハンマドの寛容な態度は、「イスラム教徒による宗教的迫害」というものが偏見と捏造によって作られているとしている。イスラームの聖典クルアーンも、「宗教には無理強いは禁物」との趣旨の記述があり、ムスリムたちに異教徒への寛容を呼びかけている。
 トルコ大統領府エルドアン氏も「表現の自由と寛容を装って人間の尊厳を踏みにじり、宗教的、道徳的価値観が嘲笑された」としている。もしムハンマド役としてパフォーマンスを演じていたらこんなことではすまなかったであろう。
 このにパフォーマンスで最も重要なことは、キリスト役は太っていてLGBTであっても決して”有色人種であってはならない”ことであろう。一見グロテスクなパフォーマンスであるが、強調したいことが刷り込まれていることは見破らないといけない。