コロナ禍でのオリパラの困難は、理解できるが、選手への避難中傷は、論外である。
O氏とN氏テニスプレーヤーは、議論の必要性を訴えた。違ったものの考え方を融合したり、解決点を見出すには、議論の場がないと進展しない。その場がSNSだと、非難の場となりやすい。マスコミも批判中心の報道より、議論の場の提供をもとめたい。
違ったものの考え方は、分裂、衝突を生み、人類の歴史上破壊をもたらしてきた。
この人間の本性に根差した感情を発生させることは、簡単である。違ったものの考え方を融合させ、理解しあうことは、この本性のレベルを超えたところでなされれば人類の精神的発展がみえてくる。このオリパラ開催議論は、レベルの高いところでおこなわれることを望む。