直球オヤジの自由奔走生活

直球オヤジの自由奔走生活

座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

その日の早朝、突然痛みが襲って来た。私の体に異変が起きた。話には聞いていたが、それはあの尿管結石という奴だった。そんな恐怖の一日のことを書こう。

ホント、今年は
人生で初めて経験することばかりの一年だ。ジンマシンが起きたり、バイクで鹿と接触して転倒事故を起こし、初めて入院し、始めて手術というものも経験した。それが済んだら、コロナウィルスに感染した。そして今度は、初めて尿管結石を発症し、初めて救急車で運ばれた。もう踏んだり蹴ったり泣きっ面に蜂の一年だ。その尿管結石のことを書く。

先日の深夜、目が覚めた。
腰の辺りが少し痛い。「腰痛かな?」と思ったが、姿勢をどう変えてもその痛みが変わらない。腰痛ならば痛くない姿勢というものがどこかにあるはず。しかし、この時点での痛みは軽微だったこともあり、そのまま再び寝入ってしまった。早朝、また目が覚めた。今度は腰の辺りが痛いだけでなく、左側の下腹部が少し痛い。ここまでくると「何かおかしいな」と感じ、ベッドサイドに起き上がり、体を捻ったり立ち上がったりするも変わらず。そして、尋常ならざる大汗をかいている。「何でこんなに汗が出るんだろう」と違和感と疑念が増大する。尿意を催しトイレに立った。普通にオシッコは出たが、相変わらず痛い。いや、下腹部の痛さが急速に増してきた。

そのままカミさんの寝室に行き、「お腹が痛いんだけど・・・」と症状を訴えると、カミさんは飛び起きてくれた。私は自分の寝室に戻りベッドに横たわると、もう
起きる気力が無くなるほど下腹部の痛みが増してきた。先ほどトイレに行く前の時点では、「朝になったら、病院に行って診てもらおう」などと考えていたが、ここに至っては自から病院に足を運べるような状況ではない。それでも「腹痛程度のことで救急車を呼んでいいのか」と逡巡したが、もはや青息吐息状態に近く、これは明らかに異常。カミさんに「救急車を呼んで」と頼んだ。

救急は10分もしない内にやって来た。何たる速さ、素晴らしい!救急隊員3名が狭い寝室に入って来て、青息吐息状態の私に氏名や今日の日にちなど聞いて来る。そんなことどうでもいいだろうと思うが、救急搬送する上で必須のルーチンなのだろう。そうやって、やっと救急車内に運ばれると、現在通院している病院やその病名、昨夜の夕食のことなど聞かれる。同時に受け入れてくれる病院を探しているようだった。私の体には心電図や血圧、心拍数などを取るプローブなどが付けられ、心電図が乱れているのだろうか、「今まで心臓疾患について何かありましたか」などと怖いことを聞いて来る。そんなことより、早く病院に連れて行って欲しい。ようやく、受け入れ病院が決まったとのことで、救急車は出発した。これが図らずも
救急搬送初体験となった。

痛くて痛くて正確ではないが、10分少々で市内の中核病院に到着。多くの人々がテキパキ動き、迅速かつ確実に救急車から
緊急救命室へと搬送された。ここでも氏名や生年月日、今日の日にちなど問われながら、腹部のあちらこちらを押さえられたり、軽く叩いたりしながら、「ここ、痛みますかぁ?」などと触診される。どこかが局所的に痛いというよりは、左の下腹部の辺りを強く押さえ、締め付けられるように痛いと訴えると、おもむろに横たわる私のパンツをずらし、痛み止めの座薬を挿入してくれた。座薬も初めての経験で、あんなに簡単にスルッと入るもんなんだと知った。問診が終わるとすぐにCT室に運ばれ腹部のCT画像を撮り、次に局部的にレントゲンを撮る。最後は採尿を求められた。相変わらず激痛はするし、早朝にオシッコをしてしまったので出るかどうかわからなかったが、何とか採尿できた。そうして再び、緊急救命室に戻され安静状態にされたが、相変わらず痛い、痛い。体の向きをどう変えてもダメ。う~ん、う~んと唸るしかない

暫くすると、看護師さんがやってきた。「
尿管に複数の石がありました。尿検査結果、尿には問題ありませんでした。痛みはもうじき座薬が利いてくるころですから、そうすれば少しは収まると思います」。ここで初めて「尿管結石」であることを知った。そうかぁ、それだったのか。私の友人だけでなく、私の息子も経験したことがある尿管結石。息子の体験を聞くと「気絶するかと思うほど痛かった」と言っていたが、所詮は他人事として聞いていた、アレだ。そんなことを考えていたら、ある時点で、突然スゥーーーという感じで痛みが引いた。座薬が利いてきたのか、石が排出されたのかわからないが、まるで魔法に掛かったかのように痛みが無くなった。それは痛みが和らいだというレベルではなく、消えてしまった。いったい今までの痛みはなんだったのかと、狐に摘ままれたかのように消えた。

看護師さんは「もう
お帰りになっていいですよ」と言う。つい数分前まで青息吐息だったんだから、少しくらいの間、様子を見るようなことをしないのだろうかとも思ったが、手のひらを返したように健常者状態に戻ってしまったのだから、長居は無用、「さっさとお引き取りを」ということか。看護師さんらにお礼を言い、外で待っていたカミさんと合流した。その後、会計と当面の薬(痛み止めの座薬と排尿促進の薬)を貰う。体は路線バスでも帰れるほど普通の状態だが、私は救急搬送された時のパジャマ姿のままだったのでそうも行かず、タクシーで自宅に戻った。

痛みが全く無くなったのは、結石が解消されたのか、痛み止めが利いたのかわからないので、その後も水や飲料を大量に飲み続けた。看護師さんや結石経験者の友人によると、とにかく水を大量に飲んでオシッコと伴に石を排出させてしまうのだと言う。中にはジャンプや縄跳びをして管に詰まった石を下へ下へと落とすことも推奨されている言うが、水の摂取にしてもジャンプにしても、
今の世の中においてもそんな原始的な方法しかないのか、大いに疑問だった。

その後も何事も無く、翌日になった。この日は昨日救急搬送された病院に行き、経過観察と診断を受ける。腹部を超音波(エコー)検査され、その結果を元に診察された。それによると
まだ尿管に一つ石があると言う。昨日運び込まれた時には複数あった石が、今では一つに減ったそうだが、その石が膀胱へ至る間に詰まれば、再び昨日ような事態になる恐れがあるという。その石は尿管の入口付近にあり、この先膀胱までの間の尿管に2箇所狭い所があるという。医師によると、石を溶かす薬もあるが、現在治療中の前立腺肥大の処方薬にもその効果が含まれているので、それを普段服用しているのなら石を溶かす薬は飲む必要は無いということで却下となった。私は「尿管にある石が詰まって、昨日のような痛みが出たならどうしたらいいですか」と聞く。すると、病院に駆け込んでもいいが昨日と同じような処置しかできない(つまり、特になんかできる訳ではないということ)ので、今回座薬を多めに処方するので、痛みを感じたらすぐに座薬を挿入し、安静にしていることですな、と言われた。因みに、経口の痛み止めはこのようなケースにおいて殆ど効き目は無いとのこと。

こうなると、今尿管内に残っている石が、無事に膀胱へ抜けることを願うしかないようだが、これだけ現代医学が進歩しているのに、あの激痛に対する
特効薬は無く座薬で痛みを抑えるだけとは驚きだ。酷い場合は手術や超音波で外部から破砕するようなこともあるらしい(不確か)が、基本はひたすら水分を大量に摂取し、オシッコをどんどん出して、石を詰まらせずに膀胱まで排出することが一般的な処置のよう。(膀胱に石が至り、その後膀胱から先の尿道に詰まる「尿道結石」も起こりえるが、確率的には腎臓~膀胱の尿管結石の方が多いらしい)

こうして私における尿管結石禍はひとまず終了したが、
不発爆弾を抱えているかのようでちょっと怖い。でも、まあ無事に生還したことを祝って、とりあえずビールで乾杯だ。さあ、どんどん尿意を催させて、石を排出してしまおう!

9月初旬、北陸新幹線の延伸区間に乗るべく敦賀に向かった。敦賀から富山まで北陸三県を巡ると、新幹線を取り巻く様々な光景が見えて来た。それは決してバラ色の世界だけではない。

全国鉄道完乗の為、この3月に延伸した大阪の北大阪急行電鉄に乗り、翌日は残された未乗路線である北陸新幹線の敦賀~金沢に乗るべく、JR北陸本線で敦賀駅へと向かった。ここでは「北陸本線」と書いたが、もはや”本線”とはとても呼べない寂しい路線になってしまった。以前は北陸地方の大動脈、大幹線だった北陸本線。ところが、今では米原~敦賀の僅か約46km。それ以外のかつての北陸本線は全て第三セクター化してしまった。そして今やJRの路線として残っているのは、脚光を浴びる花形の新幹線と超マイナーな赤字ローカル路線だけという歪な形になってしまった。

そんな北陸本線に乗り、JR
敦賀駅に着くとそこには巨大なターミナルが建っていた。敦賀にはツーリングで過去何度も訪れているが、はっきり言って、この町は行く度に寂れる一方だと感じていた。若狭湾の原発銀座の中心地であるこの町は、原発ワッショイ時代には大いに賑わったことだろうが、駅周辺においてそんな賑わいは全く感じられない。それが今、北陸新幹線が来たことによって、少なくても町はともかく駅は復活した。新幹線の駅舎は巨大だった。豪雪地帯ということもあって、巨大なシェルターでホーム全体を覆っている。過去何度もこの駅で乗り換えたことがある身からしたら、それは驚きの光景だった。


敦賀駅の新幹線ホームは巨大な格納庫のよう

 

現時点においては敦賀駅が北陸新幹線の終点だが、将来大阪・京都方面に延伸したならば、この駅は途中駅になってしまう。そうなった時、この巨大駅はどんな状況に陥ってしまうのだろう。それを予感させる光景を見た。その日、関西方面から在来線で敦賀に向かう普通列車に乗った。乗車率は約50%程度と予想以上に乗っている。これらの人々は敦賀で新幹線に乗り換え、何処に向かうのだろうと想像していた。そして終点の敦賀駅に到着。全員降りるとホーム上を多くの人がゾロゾロと歩いていく。私はそこから新幹線のターミナルの改札口に向かった。そこまで来てフトあたりを見回すと、殆ど人がいない。さっきまでホームを歩いていたあの人々は、どこへ行ってしまったのか。そんな気持ちを抱きながらも、2両しかない自由席車両を目指す。エスカレーターでホームに上がると、これまたほぼ無人。もしかしてホームを間違ってしまったのかと、電光掲示板を改めて確認するが間違ってはいなかった。無人のホームを歩き、自由席の2号車に入る。するとこれまた無人。誰も座っていない。私一人。超閑散ローカル路線じゃああるまいし。それでも列車が出発する時刻になると、その車両には10人ほど乗車していた。



私の住む静岡の駅とは比べものにならないほど広い敦賀駅の新幹線窓口周辺は閑散としていた

改札を抜けホームに向かうも、人が見当たらない

出発10分前、ホームに人影が無い

「ホームを間違ったか!?」と、心配になったほど

 

そうこうしている内に新幹線「つるぎ」は出発進行。金沢まで43分。途中停車するのは福井駅のみ。走り始めた瞬間、今まで乗って来た在来線とは全く違う世界が広がる。速いし、静かだし、揺れない。もう快適そのもの。素晴らしい!しかし、正直私は新幹線は好きではない。大量高速移動手段として点と点を結ぶためだけなら最高だが、線を大事にする私のような乗り鉄には、遮音壁に囲まれ車窓が楽しめない新幹線は速過ぎることも含めて、鉄道の旅特有の旅情が無さ過ぎる。特に開通年度が新しい新幹線程つまらない。

そんな不満を抱きながらも、あっという間に
福井駅に到着。福井駅では途中下車しなかったが、窓からホームを伺うと福井駅の新幹線ホームは一面二線で、実にシンプル且つ狭い。敦賀駅の巨大さと閑散さを見た後にこの福井駅を見ると、この程度の規模の駅で十分じゃないかと思えるほど好ましく感じた。

そうして再び列車は出発。これまたあっと言う間に
金沢駅に到着した。予想していたとはいえ、金沢駅に降り立つと、新幹線ホームも駅のコンコースも人・人・人だった(平日の昼前)。立錐の余地も無いとまでは言わないが、巨大な金沢駅を様々な国に方々が行き交っている。ビジネスマンのような方は少なく、その多くが観光客のよう。ここまで敦賀⇒福井⇒金沢と移動してきたが、その差は歴然で、観光の賑わいからしたらもう圧倒的に金沢の勝ち。私は金沢から能登半島に伸びる路線に乗り換えるので、在来線改札口に向かった。改札口を抜けると、そこは別世界のように静かだった。そして車内に入ると決して乗客がいない訳でないが、大荷物を引きづって歩く膨大な観光客が行き交う新幹線乗り場とは全く異なる、よくある地方の近郊路線の姿そのものだった。

その後、私は能登半島の鉄道に乗り(能登半島地震のことは、また別途書きます)、再び金沢駅まで戻って来て新幹線で富山県の高岡を目指した。高岡と言う町は富山県第二の町で、古くは加賀藩前田家ゆかりの地として栄えた伝統的な古い町なのだが、古い歴史に裏打ちされたかのように富山市とは一線を画した文化を持つ町。恐らく、それがほぼ隣町に位置する県庁所在地の富山市への対抗意識にも繋がっているのだろう。そんな高岡市の新幹線駅(新高岡駅)は、市の中心にある高岡駅から在来線(JR城端線)で一駅離れた場所に位置している。

その日の宿を取っている高岡駅に降り立った。新幹線から乗り換え僅か一駅だが、これがネックなのか新幹線の通らない高岡駅はちょっと寂しかった。、しかし、橋上駅の窓から周囲を見渡すと、周辺に
巨大なホテルが林立している。私が住む政令都市の静岡市にあるホテルよりずっと大きく多く、全国展開のビジホチェーンがいくつもある。スマホで高岡市の人口を調べてみた。驚いた。僅か14万人。この駅の大きさ、周辺のホテルの大きさとその多さから、とてもその程度の人口とは思えなかった。これからすると多くの人が訪れる町であることが想像できる。しかし、現在の駅の賑わいから察すると、そんな町でありながら、新幹線の乗客の多くはこの町を素通りしてしまっているのではなかろうか。それは新高岡駅で高岡駅への乗り換え時の乗客が少なかったし、高岡駅の隣に建つ大手のビジホに泊まったが、4900円という格安な料金からもそれが伺えた。


高岡駅前を見ると人口14万人の町とは思えないほど立派

「万葉線」という路面電車が走っているのも評価できる(乗客は少なめだったが)

 

翌日(土曜日)、高岡駅から富山駅に向かう。その在来線の車内はかなりの乗車率だった。富山はコンパクトシティ化を積極的に推し進め、充実した路面電車網を整備し、その甲斐があってか、金沢とは比べものにならないものの富山駅周辺は賑わっていた。

 


富山駅構内の電停から出てくる路面電車

富山駅のコンコースの横(右側)を進むと、すぐに路面電車乗り場(左側)がある

日本で一番アクセスの良い路面電車乗り場

正面が富山駅

駅の北側には広々とした街並みや公園が広がる

それにしても歩道が異常に広い

 

北陸新幹線を通して北陸三県を見渡すと、町毎の悲喜こもごもが見えてくる。やはり金沢は断トツに強い。富山市も健闘しているが、その陰で20km程しか離れていない高岡市は割を食っているように見えた。福井は福井駅に降りていないのでなんと言えないが、あんな巨大駅がある敦賀市の今後は期待していいのか、言い換えれば大丈夫かと思わされた。以前JRだった在来線の幹線の多くが三セク化し、新幹線が来たことで超マイナー路線の越美北線(九頭竜線)と七尾線、氷見線、城端線、高山本線だけがJRとして残るという歪な鉄道形態になってしまった北陸地方。しかし、金沢駅の活況呈する光景を見ると、多くの町が新幹線にラブコールを送る気持ちは理解できる。しかし、その陰にはその恩恵にあやかれないどころか、マイナスになってしまう町も出てくる一面も忘れてはいけない

新しいバイク、そして生涯で最後となるかもしれないバイクがやって来た。さあ、リハビリも兼ねて乗ってみよう。そして、果たしてこのバイクで旅に行けるだろうか。

6月末に北海道で鹿と事故った
CRF250RALLY(ホンダ)と、その後購入を決めたADV160(ホンダ)が揃って我が家に納車された。このCRFを購入し3年。その間約26000km近く走ったが、このバイクなら全国どこにでも行けると、その万能性を高く評価していた。その評価は事故後も変わっていないし、まだ乗り続けるつもりだった。そんな気でいたのに、数年前から「上がりのバイク」として、その時が来たら購入するつもりでいたそのADVが突如生産終了となってしまい、私の目算は修正を余儀なくされてしまった。まだ身体的に「上がりのバイク」を購入する状況に陥っていないのに、急遽購入を決断するに至った顛末は以前のブログで書いた。そんなADVと事故から復活したCRFが伴に我が家にやって来た。


スクータータイプとしては唯一無比な個性的なデザイン

 

新車を前にして、あまりに酷い残暑にトホホとなったが、少しばかり陽が陰った瞬間を逃さず、初走りに出掛けた。新しいバイクの走りはどうか。いや、バイクのインプレッションより前に、このライディングが事故後初となるバイクの運転なのだから、そっちの方は大丈夫なのか。身体的には複数個所骨折した左手は骨こそ正常に繋がったものの、運動機能はまだまだ回復途上。指は完全に握り込めず、握力も15kg程度と以前の半分ほどしかない。だから、左手でクラッチレバーを操作するマニュアルミッション(MT)のCRFにはまだ乗れない。しかし、ADVはオートマチックミッション(AT)なので、左手は後輪ブレーキレバーなのでクラッチレバーほど握力を要しない。そうは思いながらも、果たしてライディングに支障は無いのか、そして精神的にも事故がトラウマとなり、運転に影響を及ぼさないかを懸念していた。

 

左のレバーはクラッチではなく後輪ブレーキだから、少々握力が出なくても困らない

 

ゆっくりと穏やかにスロットルグリップを回す。静かにスピードが上昇する。思わず左手のレバーを握ってシフトアップしようとし、「おっと、これはATだった」と気づき、すぐにレバーから手を放す。更にスロットルグリップを回して加速させる。ブレーキ操作はどうか。左手は機能が回復途上だがブレーキ操作に何ら不自由は無かった。バイクを操る上でのバランス感覚やスピード感も以前と変わりは無い。少しは恐怖心が沸き起こるかと思ったが、全くそういうものは無かった。これなら精神的にはツーリングを復活できそうだ。まずは、最初の関門をクリアした。

次はこの新しいバイクの評価だ。CRF250RALLYは文字通り排気量250cc。ADVはその6割程度の160cc。そんな
小排気量車の走りはどうか。市街地でちょっとアクセルを開けるとすぐに60~70km/h程度になり、キビキビと小気味よく走る。郊外の閑散路に行ってみた。車も少ないワインディングロードでは70~80km/h程度で気持ち良く走れる。高速道路並みのスピードを出す車が多いバイパスでは、気負わずに90~100km/hで追い越し可能。今回は試していないが、最高速は115km/h程度のようで、この感じなら高速道路では100km/hまでなら巡行可能だろう。足回りはどうか。このバイクは自動車で言えばSUVに相当するアドベンチャータイプのスクーター版と言われているが、果たして荒れた路面ではどんな挙動を示すか。舗装が傷んだ荒れた道を走ると、やはりかなりガツンと来る。限界は高くないようだ。しかし、とにかく楽チンなことこの上ない。アクセルとブレーキだけ操作すればいいのだから。とは言え、楽だからイイとは言えないのが趣味の世界。

 

 

ほんの70kmほど走っただけだが、CRFとの差は歴然だった。何よりも大きな違いは、MTのCRFは道路の曲がり具合や傾斜から最適なギアを任意に選んで走れるし、急加速も急減速も自由自在でガンガン突っ込んでいけるが、ADVはATにお任せ。制動はブレーキのみ。排気量で優る(とは言え、たかだか250cc)CRFは高速道路を110~120km/hで巡行できるし、足回りもしなやか。CRFは基本的にオフロード車だから、荒れた路面など屁でも無く、躊躇なく行ける。こうしたCRFとADVを四輪車に例えるならば、CRFは排気量1.5Lのジムニー・シエラで、ADVは軽自動車のジムニー・・・ではなく、恰好だけSUV風の軽自動車だな。


ここまでの結論は、ADVにCRFを求めてはいけないということ。ADVに乗る時には肩肘を張らずに気楽に跨り、まったりと走ればいい。ガチャガチャと左手のクラッチレバーと足元のチェンジペダルをせわしなく操作する必要は無く、ただただ、アクセルの捻り具合と両手のブレーキ操作に集中するだけ。目を三角にして「ガンガン行くぜぇ」などとアドレナリンを噴出せず、穏やかに乗ればいい。もう”いい歳”なんだからさ。このバイクなら、ゆっくり走っても不自然ではないが、それでも少し速く走りたい時には、そこそこ速く走れるからフラストレーションが溜まることも無さそうだ。ADVとCRFでは全く性質も性能も違うのだから、バイクに合わせたツーリングをしよう。

こうして、人生の最終盤近くになってバイク2台持ちとなった私。まずは
リハビリを兼ねてADVを乗りこなし、どういう道を得意とするのか、また不得意とするのか、そしてその限界を掴もう。その上でADVに合ったツーリングスタイルを模索し、60歳代までとは違ったバイクの楽しみや面白さが見いだせるか、そこがポイントだな。そして、晴れてCRFに乗れるレベルに左手が回復したら、ガンガン走る従来のツーリングスタイルを、鹿との接触事故を教訓としてどう修正していくかを考えよう。

 

バイクを楽しめる残された時間は永遠ではないどころか、10年20年もある訳でもない。精々数年だろう。歳をとれば、身体的にも気持ちの点でもアクティブさが低下するのは避けようがない。だからと言って萎む一方の人生なんてまっぴらだ。文明の機器を上手く使いこなし、この限られた時間を有意義に使い、最晩年にふさわしい新たなツーリングスタイルが見つけたいと思っている。

関西エリア、特に京都・大阪は難読駅が多い。それは旅人泣かせだが、「何でこんな名を付けたのか」と面白みも大きい。そんな駅をあげてみる。

難読駅は全国各地にある。山陰本線の山口県にある「
特牛」駅なんか、まるで牛丼特盛かのような駅名だが、「こっとい」と読む。このような難読駅は全国どこにでもあるが、特に多いのが京阪神、中でも京都大阪に多い。今回の旅のメインは北陸地方だが、北大阪急行が延伸して未乗区間が出来てしまったので、そのついでにこのエリアの路線をクネクネと乗ってみることにした。そうやって通勤通学路線に乗ると、まあ何とも変な駅が多いことに改めて気がつく。

1.何でそう読むの!?
 今でこそ「
太秦(うずまさ)」や「枚方(ひらかた)」は比較的知られているので読めるが、以下の駅はよそ者には難易度が高い。

膳所(ぜぜ)」駅(JR東海道本線)
御陵(みささぎ)」駅(京阪京津線、京都地下鉄東西線)
交野(かたの)」駅(京阪交野線)
私市(きさいち)」駅(京阪交野線)
西院(さい)」駅(京福電気鉄道嵐山本線)
放出(はなてん)」駅(JR片町線・おおさか東線)

これら駅が乗換駅でなければ、特に読めなくても支障は無い。でも以前こんなことがあった。「次の乗換駅は『ほうしゅつ』だな」と頭にインプットし列車に乗り込んだ。しばらくして、ちょっと他のことを考えていたら、車内アナウンスがあった。「次は『はなてん』」と。私が目指す駅は「ほうしゅつ」だからスルーした。そして、その「はなてん」駅に到着。その時、一瞬「放出」という駅名標が視界に入った。「えっ!何、どういうこと」と慌てて降りた。
「放出」駅を「はなてん」と読むなんて「どうなってんねん!」。このように難読駅が乗換駅の場合は要注意。車内アナウンスで「『ほうしゅつ』と書いて『はなてん』と読みます。次はその『はなてん』駅に到着です」などとは決して案内してくれないのだから。

2.そもそも、その漢字を見たことがない
 前述の1であげた駅名に使われている字はまだ馴染みのある漢字だから、わからなければ音読みでも訓読みでもいいから、その漢字をスマホに入力さえできれば検索して正しい読みが判明する。しかし、そもそも
使われている漢字に馴染みが全く無い場合が困る。そんな駅名が特に京都に多いのは、やはり歴史の深さか。

椥辻(なぎつじ)」駅(京都市営地下鉄東西線)
帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅(京福電気鉄道嵐山本線)
鴫野(しぎの)」駅(JR片町線・おおさか東線、大阪メトロ今里筋線)
樟葉(くずは)」駅(京阪本線)

ここに出て来る漢字は、めったに、いや今まで何十年も生きてきて
一度もお目に掛かったことが無い漢字もある。こうなるとホント難しい。

 


鉄道の旅では「乗換路線図」というアプリを使っているが、読みまで書かれていない
 

3.ひとつの町に複数の路線の駅がある場合
 ひとつの町に複数の路線が存在する場合、例えば埼玉県の川越市の場合、「川越」駅、「川越市」駅、「本川越」駅というような駅名を付けることが各地にある。ところがこんな付け方があった。

「桃山」駅(JR奈良線)と「
桃山南口」駅(京阪宇治線)
 桃山駅の南口でもなく、桃山南でもない。”南口”を付加した駅名とはびっくりだ。

またこんな駅名もある。「
JR難波」駅、「JR藤森」駅、「JR総持寺」駅というように、正式な駅名に”JR”を付けた駅がこのエリアに確か6つある。私鉄の名称を付加した駅名(例えば「西武新宿」駅)は全国にいくらでもあるが、JRを付加した駅名は私の記憶では他のエリアには無いはず。関西では「JRが一番偉い」という考えはないのだろう。

4.変わったホームの風景
 駅名の話ではないが、こんな珍駅があった。京福本線の「
萱島(かやしま)」駅のホームにはクスノキの大木が突き出ている。歴史の長さからしたら、鉄道よりクスノキの方がずっと長い。駅を拡張する時になって邪魔な存在となったが、木を切らずにこんな寛大な措置で存続させた。ご立派!

 


二階のホームに地面から伸びた大木が突き出ている(萱島駅)

 

先の1、2で書いた駅名は旅人にはちょっと困る存在だが、歴史ある地名を、「○○ヶ丘」なんていうような無味乾燥な名前に変えるよりずっといい。たかが駅名だが、そこには地域の歴史もあれば、鉄道各社の思惑もある。駅名ひとつとっても関西は面白い。これも鉄道の旅の面白さ。

昨夜、関西と北陸を巡る鉄道の旅から帰ってきた。今年の3月、二つの鉄道路線で延伸が成された。この時点で私の「全国鉄道完乗」が再び未達となってしまった。ならばと、事故後復帰第一弾の旅としてこのエリアを選んだ。

今年(2024年)の3月16日、
北陸新幹線の金沢~敦賀が延伸され、祝賀ムードで賑わっていたちょうどその頃(3月23日)、もう一つの路線が延伸された。それは「北大阪急行」という路線。全国の鉄道全ての路線に乗っている私でも、「この路線は何処だっけ?」とすぐに思い出せない。この路線は千里ニュータウンと日本万国博覧会(1970年)のアクセスのために建設された路線。その路線が千里中央駅から先、山側に二駅延伸された。こうして今年の3月、私の全国鉄道完乗達成は再び未達となってしまった。もしこの二つの未乗路線が沖縄と北海道にばらけていれば苦労するが、今回は大阪と北陸。近くはないものの、方面としては一緒なので一回の旅でこの二つの路線に乗ることは十分可能と踏んだ。さて、どういうルートにするか。しかも、できるだけ安く行きたい。

時期的には「
青春18きっぷ」(以下、18きっぷ)が使える。しかし、これは避けたい。私が住む静岡から北陸地方に向かうとなると、延々と東海道本線をチンタラと移動しなければならない。もうこの路線には乗り飽きた。いくら鉄道が好きでも限度がある。それに18きっぷで北陸に行くとしても、北陸新幹線の延伸と同時に従来の北陸本線が第三セクター化し、もはや福井駅と金沢駅には18きっぷで到達できなくなった。私が知る限り、例えば東京から18きっぷのみで行けない県庁所在地の駅は、沖縄を除いて、札幌駅とこの福井駅、金沢駅だけ。そんな18きっぷ鎖国エリアに18きっぷで行くのは不合理である。ならばどうするか。

だからといって、
正規料金で乗るほどまだもうろくしていない。こういう時には”お得なきっぷ”とか”フリーきっぷ”を探す。するとあった。「北陸観光フリーきっぷ」なるものが。多少の制約はあるが、北陸3県の新幹線や在来線(今年3月までJR線だった路線を含む)が乗り放題。自由席なら新幹線も特急にも追加料金無し。発駅(静岡、浜松、名古屋)からフリー区間の北陸エリアまでの料金も含まれているが、そのルートに制限があるのが難点。静岡から米原まで新幹線、米原から敦賀まで北陸線の特急「しらさぎ」、敦賀からは北陸新幹線、富山から名古屋は高山本線の特急「ひだ」、名古屋から静岡は新幹線で、静岡発のきっぷが20290円。通常料金なら30000円は掛かるだろうから、かなりお得。それに、このきっぷで能登半島に伸びるJR七尾線やJR氷見線にも乗れる

東京から北陸に旅をするケースで考えてみる。単に金沢だけを訪問したいのなら、
東京~金沢を北陸新幹線でビューンと行けば、往復約29000円。しかも速い(約2時間半!)。しかし、もし時間的に余裕があり、道中の鉄道の旅も楽しみたい、そして「北陸は金沢だけではない!」という考えがおありなら、東京発のきっぷは無いので販売エリア(静岡、浜松、名古屋)まで移動しなければならないが、このきっぷはかなりお得。

但し、いくつかの注意点がある。

・フリー区間(北陸3県)までのルートが限定される。時間が掛かる高山本線にも必ず乗らなければならない。
・上記のエリアまでの間、一部の駅(下呂、高山、飛騨古川)を除き途中下車できない。(「ちょっと名古屋で遊んでいこう」なんてことはできない)
・旧JR線はOKだが、私鉄(えちぜん鉄道、のと鉄道、富山地方鉄道など)は対象外。

 


和倉温泉~穴水ののと鉄道は「北陸観光フリーきっぷ」では乗られないが、

能登の海も随所で望め、是非乗って欲しい路線(穴水駅)
 

このような制約はあるが、このきっぷは当日でも購入できるので、東京から静岡まで別料金で移動し、静岡でこのきっぷを購入すれば利用できる。(浜松や名古屋発のきっぷもあるが、東京からならば静岡発のきっぷが一番得)。

このきっぷの狙いは、北陸観光と言えばとかく
金沢に焦点が当たりがちなのを、福井や富山まで広げようという点にあるのではなかろうか。金沢と比較すると福井や富山は地味な印象を受けるが、一見の価値がある。いや一見の価値があるどころか、鉄道が好きな私にとっては、路面電車や私鉄が元気な福井や富山は金沢より魅力的。そうでない人にとっても、金沢と違った魅力をこれらの地で見つけられるだろう。

鉄道の旅に鉄道特有の風情を求める私は、
新幹線はただ速いだけで好みではないが、高速移動手段としては素晴らしく認めざるを得ない。そんな北陸新幹線を使えば、金沢から福井まで最短で20分少々、富山まで20分を切るほどだから、金沢に固執せず、福井県や富山県にも行ってみたらどうか。このフリーきっぷを使えば、何回行き来してもいいのだから。そして先に書いたように、JR七尾線や氷見線にも乗れるので能登半島の一部にも行ける。地震の被害は酷く、なのに最近では話題にのぼる頻度も激減してしまった感があるが、関心が薄れ見向きもされなくなるよりは、例え興味本位であろうが、少し足を踏み入れてみた方がいいと私は考える。

 


個人的には新幹線は速過ぎて面白みが無く、在来線への影響も大きく好きではないが、

単に移動するだけの目的なら素晴らしい乗り物(敦賀駅)
 

こうして、バイクの事故後、最初の旅はまだ左手の動きが完治していないので、手に負担の掛からない穏やかな鉄道の旅として再出発したのでした。