直球オヤジの自由奔走生活

直球オヤジの自由奔走生活

座右の銘は「"行きたい"、"やりたい"、"欲しい"と思った時が"その時"」。55歳で早期退職し、高齢者と呼ばれるまでの今が"その時"。趣味のバイクや自転車は年齢的に待ったなし。エコノミーな生活で趣味を楽しむ。これをどう追い求めるかが、このブログのメインテーマです。

神奈川県の鉄道の旅。特にJR鶴見線には私好みの見どころが多い。その中でも、駅が好きな私にとってこの駅は見逃せない。そこは想像を超える駅だった。

前回書いたようにこの路線の完乗難易度は高く、行きついた先は絶景、且つ駅から出入りができないという実に変な駅がある路線だ。そんな爽やかな
絶景駅とは対極を成す暗~い駅がある。まだまだある、そんなJR鶴見線の特異な点はご紹介。

3.「昭和の風情」を遥かに凌駕した駅
 全国の鉄道の全てに乗り、バイクツーリングでも秘境駅や変な駅や重要文化財的な貴重な駅を数多く訪ねている私だが、この駅は未訪問だった。この駅の存在は当然知っていたし、メディアでも取り上げられたことがあったので、どんな駅であるか事前に理解はしていたが、実際にその駅に立つと、その佇まいに驚いた。こんな駅が大都市の市街地、それも
主要駅である鶴見駅から一つ目にあるとは。その駅名が振るっている。「国道」。主要幹線でもあり、箱根駅伝のコースにも使われている国道15号の道路際にあるのだから間違いではないが、国道に面している駅は日本中にいくらでもあるのに、この駅はそれらの代表かのように「国道」の二文字でしか名乗っておらず、まさしく”ザ・国道”。これはいったいどういうことなんだろう。


国道15号から見たJR国道駅の入口

右側の壁(網の掛かった部位)には大戦時の機銃掃射の弾痕が残っている

 

そんな大それた名前が付けられているが、この駅、ひと言で言えば、良い意味では「風情がある」「郷愁を感じる」「レトロ」だが、正面切って言えば「暗く」て「ボロく」て、少々「怖い」。戦争直後の朽ち果てた大都市の駅に戦災孤児たちがたむろする映画のシーンを撮ろうとしたなら、この駅はドンピシャだろう。営業しているのか定かではない店もあるが、失礼ながら、やっていたとしても果たして客は来るのだろうか。

 

改札口付近は少し明るい

もちろん無人駅

改札口に続くガード下

これを「渋い!」というか、「暗い・・・」というか

一軒だけ看板を掲げてあったが、今でも営業しているのだろうか

女性が一人で夜にここを歩くのは少々怖いのでは?

 

訪問時、肌寒い朝ということもあって、少々”もよおして来た”のでトイレに向かった。近年、日本の公衆トイレの素晴らしさはインバウンドにも定評らしい。特に駅のトイレがその代表格で、首都圏なら尚更だ。鶴見駅から一つ目のこの駅も、もちろん例外ではなかろう、と思ったのだが、ゲゲゲ・・・。和式便器の小部屋のそこはおぞましい光景になっており(詳細略)、すぐに踵を返してしまった。もちろん水洗トイレなのだが、そこは清潔とは縁遠かった昭和時代の「便所」だった。昭和時代、トイレはまだ便所(もはや死語)と称されていたが、トイレだけは令和とまでいわないまでも平成レベルにして欲しい



改札を入って階段を登ると、踊り場から上り線ホームに繋がる空中回廊のような渡り廊下がある

 

そんな駅ではあるが、工業地帯を走るJR鶴見線としては例外的に人口が密集する市街地の駅で、平日の朝ということもあってか、多くはないがそこそこの数の人がこの駅を利用しており、決して秘境駅では無い。この佇まいを大幅に改良するほどの利用者数ではないし、この「ザ・昭和」の駅は貴重だからこのまま使用して欲しいと思う。ただ、トイレを洋式に変えることと、女性でなくても少々恐怖を抱かせる薄暗さと陰鬱な雰囲気は、ノスタルジーを無条件に好評価に結びつける一部の声を無視してでも、少し改善した方がいいと思う。なんせ公共交通機関なんだし、駅はその町の表玄関でもあるのだから。

 

「う~ん、味があるなぁ」と思える人は一部か?

国道駅下り線ホーム

 

4.駅名にも着目
 「国道」駅の名も面白いし、前項で昭和時代のことを引き合いに出したが、この鶴見線には「
昭和」という名の駅がある。由来はこの地に「昭和肥料」という会社があったから(昭和肥料⇒昭和電工⇒レゾナック)。その他の鶴見線の駅名にも注目すると、この路線にはこの地を発展させた経済人に因んで命名された駅名が多い

安善」駅は、鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道を資金面等で支援した安田財閥創業者である安田善次郎に因んでいる。「浅野」駅は鶴見臨港鉄道の設立者で、浅野セメント(現太平洋セメント)や浅野造船所(現ジャパンマリンユナイテッド)などを興した浅野財閥創設者でもある浅野総一郎。「大川」駅は製紙会社を興し、「製紙王」と呼ばれた大川平三郎。「武蔵白石」駅は日本鋼管(現JFEスチール)創業者の白石元治郎にちなんで駅名が付けられた。そうそうたる大物がこの地で産業を興し、今でも沿線上にそれら旧財閥系の大会社が林立している。

JR鶴見線ではないが、近くを走る川崎市内の
京浜急行大師線にも今回乗った。その路線にある「鈴木町」という駅に停まったとき、「駅名的に違和感あるなぁ」と感じ、周囲を見渡すと「味の素」の大きな事業所ばかり。もしやと思って調べたら、味の素の前身会社の創設者である鈴木三郎助からとった町名だそう。この大師線、川崎大師参拝のための路線という側面でしか見ていなかったが、実際に乗ると、味の素に通勤する方々の路線と言っても過言ではないと感じた。

 

鶴見線終着駅の扇町駅

 

AIだの、DXだの、ITだのと、製造業に脚光が浴びにくい時代になった。東京の中心地には超高層ビルが林立しており、たまに上京すると、「すげえなぁ、東京は」と田舎者にとって驚きの連続だ。でも、工場が無ければモノはできないし、モノがあっての現実社会。近年、日本の国力は低下の一途だと言われて久しいが、製造業の会社がひしめく工業地帯を走る路線に乗ると、ちょっと元気を貰える。そんな活力を少し感じられるのも、この路線の魅力のひとつ。大都市の中心から近いのに運行ダイヤ的に少し行きづらいが、是非訪れて欲しい。

 

お口直しに、小田急線の片瀬江ノ島駅

龍宮城をイメージしたそうだが、国道駅とは対極のきらびやさにクラクラする

一泊二日の短い鉄道の旅に出掛けた。目指すは神奈川県。大都市横浜、川崎を走るその路線は、何とも変った路線で、私のお気に入り。その魅力をお伝えしよう。

病気治療中のカミさんの塩梅をうかがいながら、短い旅の目的エリアとして
静岡県東部と神奈川県を選んだ。静岡県東部には伊豆半島に伸びる伊豆箱根鉄道やJR伊東線だけでなく、東海道本線の代替線にもなる御殿場線というような、比較的マイナーな路線がある。これらに乗ろう。そして神奈川県。大都市ひしめく首都圏に、鉄ちゃんにとって面白みのある路線なんかあるのかと思われるかもしれないが、そんな神奈川県にも私好みの路線がいくつもある。

まずは伊豆の中央部を南北に走る
伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺に向かうが、ここが終点になる。「盲腸線だから戻るしかない」なんてことは言わない。南北に連なる伊豆山地を越えれば、半島の東海岸をJR伊東線が走っているから、これに繋げたい。そういう時は路線バスを使う。バスの旅も楽しい。

 


伊豆箱根鉄道駿豆線は修善寺で終点だが、バスで下田や河津、伊東へ行ける
 

神奈川県に行ったら、鉄ちゃんとしては湘南エリアに注目。「江ノ電」はインバンド需要もあり、もはやメジャー路線になってしまい、素朴さや面白みは減退したが、やはり外せない。更に、湘南エリアには鉄道の一種であるモノレールが走っている。その「湘南モノレール」、公共交通機関とは思えないスリリングな路線で、まるで遊園地のアトラクションかのよう。また、横浜市内には「シーサイドライン」という新交通システムが沿岸部を走っており、高架の上をゆっくり走りながら景色が楽しめる。更に興味深いのが、横浜市と川崎市の工業地帯を走るJR鶴見線。これが今回の旅の最重要路線であり、今回のブログもこの路線の事を書く。

 


国内に二つしかない、懸垂式のモノレール

湘南モノレールは丘陵地帯と市街地の隙間を縫うように走る

湘南エリアの乗り物の中で、私の一番のお気に入り

 

1.極端な運行ダイヤ
 
JR鶴見線京浜工業地帯の真っただ中を走っている。そこには大企業の工場がひしめいており、平日の朝、起点の鶴見駅の鶴見線ホームは大混雑。車両に乗り込むと超満員。ほぼ10分に一本の割で運行されており、一見すると普通の通勤路線だが、朝夕を除くと日中に支線を走る電車はパタッと無くなる。そんなだから、鶴見線を全線完乗しようとすると、次のようになる。

平日の朝は、鶴見駅発
7時19分の電車に乗れば、全ての支線に乗り、すぐに折り返して、JR南武線と接続する浜川崎駅に8時31分に到着できる。ところが、これを逃すと、全ての支線を巡って浜川崎に行けるのは、鶴見発16時53分になってしまう。つまり、鶴見線を隈なく乗ろうとすると朝か夕の二択しかない。夕方に乗ると季節によっては暗い中を走ることになるので、私のように車窓を楽しみたい人間にとっては、朝早くに起点駅を出るパターンの一択しかない。支線を無視すればなんら難しいことはないが、鶴見線の真骨頂は支線にあるので全ての支線を巡りたい。ならば、ちゃんと計画を練って向かわないとその目的は達成できない。そしてこの支線、特に「海芝浦支線」には絶景駅でもあり珍駅でもある駅があり、支線と言えども無視できない。



これがJR鶴見線の全貌

支線をどう攻略するかがポイント
 

2.絶景且つ珍駅「海芝浦」
 鶴見線の海芝浦支線の終点の
海芝浦駅こそ、日本で一番海に近い駅。全国各地に「海に一番近い駅」を名乗っている駅があるが、”一番”のはずなのになぜか複数存在し、メディアでも取り上げられる。しかし、この海芝浦駅は海の上にあるから文句無しに一番近い。但し、目の前は大海原ではなく、対岸には埋め立てた工業地帯が広がっている。それでも、大都会の片隅の風景としてこんな光景が見られるところはなかなか無いし、鉄道の駅としてはここだけ。そんな駅の横は東芝系の大きな事業所が建っている。

 


右側のホームが海芝浦駅、左側は東芝の事業所

この駅は一般道では行けない一種の秘境駅

ホームは海の上にあるので、目の前は海

対岸の橋は首都高速の鶴見つばさ橋

 

この駅はこの工場に通う人の為の駅で、一箇所しかない駅の改札は工場の出入口そのものなので、私のような一般人は改札から出ようとしてもそれはできない。つまり、公共交通機関なのに駅から出ることができないという、何とも不思議な駅だ。改札口にいる方は、たぶんJRの職員ではなく会社の守衛さんだろう。改札の自動入場ゲートは、キップやSuicaでは開かないはず(守衛さんが見張っていたので確かめられず)。この駅から先に路線は伸びていないので引き返すしかないが、Suicaで来たならば、改札口の前にある「出場」にタッチし、工場内には出場できないので、再び今度は「入場」用のセンサーにタッチしなければならない。そうしないと無賃乗車ということになってしまうので要注意。色々と制限や作法を要する駅だが、真に日本で一番海に近い駅であるこの絶景駅は、私のお勧めの駅の一つ。

 


乗客のほぼ全ては駅の横の会社へと向かう

一般人は改札を通過できず、駅から出ることはできない
 

このJR鶴見線、大都会にありながら、前述のように完乗難易度が非常に高い点も、私において評価が高くなる要因だし、工業地帯なのに絶景が楽しめるのも良い。それ以外にも外せないポイントがある。それは数多くの駅を巡っている私にとっても驚きの駅だった。
 

次回に続く。

先日の家族旅行は目的地が長野県の山の中だったことから、雪や凍結の可能性を考えてスタッドレスタイヤを装着したレンタカーを借りた。その車に装備されていた最近の車のシステム(装置)の前では、息子と立場が逆転してしまった。これは喜ばしいことだ。

息子がレンタカーでやって来た。その車(トヨタのカローラ)はハイブリッド車であるだけでなく、近年広く普及している
ACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール)や電動パーキングブレーキが備わっていた。私が所有している9年前に購入したコンパクトカーは純粋なガソリン車で、パーキングブレーキは旧態依然のハンドブレーキ。ACCは装備されているが、使いづらくて二、三度使っただけで、その後全く使わなくなってしまった。道中はほぼ息子に運転を任せたが、馴染みのないそんなシステムに興味が沸き、息子と運転を途中で代わった。

ところが、のっけから戸惑った。
電動パーキングブレーキを扱うのは初めてで、どう操作していいのかわからない。助手席に座った息子が、「アクセルを踏めば自動的に解除されるから大丈夫」と教えてくれたが、昔ながらの機械式パーキングブレーキしか扱ったことがない身には、指先一本で操作するこのブレーキに疑心暗鬼だ。そもそも、運転を代わって停止している今の状態で、本当にブレーキは掛かっているのかすら掴めない。アクセルを踏めば自動的に解除されるというが、飛び出したりしないかと不安が募り、恐る恐るとアクセルを踏む。信号待ちで通常のフットブレーキを踏むと、その直後すぐに自動的にパーキングブレーキが掛かり、メーター内に「HOLD」という小さな表示が出て、それを知らせてくれる。こういう一連の動作については、最新の車を所有する息子の方が遥かに詳しく使い慣れているので、まるで初心者のようになってしまった私に助言してくれる。

 

指先ひとつで操作できるのは便利な反面、怖くもある

 

高速道路にのったなら、ACCを使ってみたい。先に書いたように私のマイカーにもACCは備わっているが、操作性が悪く、全く使ったことが無いし、バイクと違って高速道路を車で走る機会が少ない私なので、ACCの必要性もさほど感じておらず、ACCについてほぼ初心者状態。私の車より年式が新しいこの車なら、ACCも使い易く改良されているのではないかと思った。ACCに不慣れな私は、これについても横の息子の指南を仰ぐ。ACCの操作方法や機能を聞きながら、これも少しばかり恐る恐る操作してみた。この車のACCの操作は実に簡単で、実に便利なものだと感じた。長距離を走る人には絶大な効果を発揮するだろう。

しかし、こんな場面があった。
片側一車線の高速道路を走っていた時、インターチェンジから本線に入ってこようとする車があった。私の運転する車は100km/hにセットし、ACC状態で本線を走っていた。合流車両がややゆっくり目のスピードで当方の車のすぐ目の前に入ってこようとした。この高速道路は一車線しかないので、車線を変更する訳にもいかないし、このまま減速せずに進めば、衝突しそうだ。このようなケースでもACCは自動で減速してくれるのだろうか。一か八か何もせずにそのまま進んでみようかとも思ったが、バクチは打てない。私はブレーキを少し踏んで減速し、前方に合流車を入れた。果たして、私がブレーキを踏まなかったらACCはどう判断し、その後どうなっただろうか。ACCは非常に便利な装置だが過信しない方がいい。こんな注意も横の息子からのものだ。

 

図にあるような単純なケースばかりではない

どこまでシステムを信用したらいいのだろう

 

今回、これらのシーンで思ったことが二つある。一つは、最新の装備は便利で快適だが、長年のアナログ的なシステム(機械式パーキングブレーキ)が染みついている高齢者が、電動パーキングブレーキやACCのようなに、昔無かった自動的なシステムを極短時間の内に理解し慣れるのはちょっと難しいかもしれない。操作方法やメリットだけでなく、デメリットやシステムの限界も十分に把握しながら使い馴染んでいかないと、思わぬ事故を起こしてしまいそうだ。特に指先ひとつで操作できる点が要注意。ブレーキやアクセル(ACCもその一種)という重要な機能が指一本でいじれる反面、その指令が脳に確実の伝わらず、システムを解除したり設定したりという指令を誤認したり、忘れてしまったりしかねない。便利さには常にリスクが伴っていることを忘れないようにしたい。

そしてもう一つ強く感じたのは、
息子の成長だった。10年少々昔、息子は自動車免許証を取得した。取得後当初は、私が車の助手席に座り、慣れないハンドルを握る息子に色々と助言をした。初心者マークが取れるか取れないかの頃、遠地に住む息子が軽自動車で帰省するとなった時には、本当に心配だった。それから10年。息子は全国の道の駅の完全制覇と国道の完全走破を目指し、毎年2~3万キロも走っている(私なんか年間5000kmほど)。そんなに走っていながらも、軽微な事故すら一度も起こしたことが無いのは大したもんだと思う。そして、今や息子は助手席に座って、最新の装置の扱い方や注意点について父親にアドバイスしてくれるようになった。昔と立場が逆転してしまったが、これは喜ばしいことだ。

息子は大学に入学して親元を離れた。要領がいい人間ではなく、社会の荒波の中を器用に歩んでいけるようなタイプではなく、「この先、大丈夫か?」と心配に感じたこともあった。それでも成長はするもので、今回のような場面では親子の立場が完全に逆転した。でもちっとも寂しくない。これでいい。高齢者は静かに退き、
若者は成長し、どんどん先に進んで欲しい。そうやって世代は交代していく。そんな息子の成長を垣間見た家族旅行でもあった。

今の時期は税の申告時期。無職の身であっても、これは無視できない。安易にこれを無視すると、翌年の住民税や社会保険料に跳ね返ってくる

年金収入しかないのなら、確定申告をしなくても問題無い。これは違法ではない。無職の私の収入は公的年金と個人年金だけで、どちらも所得税の源泉徴収はされていない。
源泉徴収されていない以上、決して税金は還付されることは無く、申告するメリット(還付)が無いのなら、何もしなくても構わないのか、これが今回のブログの主たるテーマになる。なお、年金から所得税を源泉徴収をされているような高額所得者は、確定申告をすれば、場合によっては還付されるかもしれないが、私の年金はそんなに多くないので実態はわからず、何とも言えない。

”還付”とは一度納めたものを返してもらうこと。私の場合、所得税を源泉徴収されていないので、還付とは無縁な人間。そんな私が確定申告をしたら、無税か税金を支払うかのどちらかで、どちらに転んでも得をすることはないが、2年前、律儀に確定申告をしようと申告書の作成に臨んだ。すると、ウェブサイトでの作成プロセスの最終局面で「
税金を支払え(納付)」という結果になってしまった。その額は数千円。「やいやい」と思った矢先、「確定申告をしなくて良い」、つまり、税金を納めなくてもいいというメッセージが出てきて戸惑った。それはうれしいことなのだが、後々脱税の罪に問われないかと、内気で小心者の私は税務署に問い合わせたら、「大丈夫です」とのことだった。その意味は、僅か数千円の納付に税務署に手間を掛けさせるなという、お上側の都合かもしれない。真の理由は定かではないが、2年前と今で収入源も額も変動が無いので、今年私は確定申告をしない。

確定申告をすれば、その情報は自治体へ自動的に共有され、それに基づいて住民税や社会保険料が決定されるが、
確定申告をしないならば、別途住民税の申告をすることになる。但し、年金収入しかない場合などにおいては申告不要。いや、”不要”と書くと誤解されるかもしれない。その真の意味は、「申告をしなくても構わないけれど、自治体側で掴んでいる内容に沿って税金や社会保険料を決定させてもらいますよ」となる。但し、そうやって決定された税額や社会保険料は恐らく不利になる。つまり本来の額より高くなるということ。なぜなら、住民税申告をしないと、本来なら所得から控除できるものが漏れなく控除されないから。

年金から天引き(特別徴収)されている
健康保険や介護保険料は役所側で補足されているので、あえて住民税申告をしなくても自動的に控除されるが、個人が任意に加入している生命保険や地震保険、医療費などは、役所は知ったことではないので自動で控除されない。これらは自ら申告しないとならないが、これを怠ると収入から各種控除を差っ引かれた後に残る課税対象所得は本来より多めになり、それを元に計算される次年度の住民税や健康/介護保険料は高くなってしまうのだ。

だから住民税を申告すべく控除額をまとめるのだが、その上において手間が掛かるのが
医療費の控除。去年はカミさんのガン発覚から検査や手術、抗がん剤治療もあり、費用だけでなく領収書も膨大な数にのぼった。これらを集計するのに手間が掛かる。更に、そこからその後高額療養費制度によって還付されたり、個人的に加入している医療保険の保険金を差っ引くので、これらを集計するのも少し手が掛かる。

 

この一年に支払った医療費の領収書

去年は医療費がことのほか多かった
 

この医療費控除で誤解しかねないのは、掛かった費用は去年の1~12月までなのに、ケガや病気で去年支払ったものに対して、年を跨いで入金された還付金や保険金は、今年入金されたものも含むという点。更にもうひとつある。控除される医療費は、掛かった総額から10万円を差っ引いた金額だと広く知られており、医療費の総額が10万円を超えない場合は控除の対象外と思われていること。正確には「総所得金額等の合計額×5%または10万円のいずれか低いほうの金額」を差っ引く。つまり総所得が200万円の人が医療費を10万円使っても控除額はゼロだが、総所得が100万円の人が10万円医療費に使ったならば、5万円控除されることになる。「医療費が10万円以上でなければ控除されない」と思い込んでいる人は結構いるのではなかろうか。もうひとつついでに言うと、家族の医療費は家族の誰の申告で使っても構わない。カミさんの治療で支払った費用を私の医療費控除で使ってもいいし、その逆でも構わないし、適当に按分にしてもいい。控除が足りない人の申告で上手く使いたい。

ここで混乱を生むのが「
所得」と言う単語。課税の世界においては「収入」と「所得」は全く違う。収入から必要経費として控除されたものが所得となる。でも、私達の日常において、所得と収入を厳密に区分しているだろうか。婚活で「あなたの年間所得は?」と問われたら、いったいどの額の事を指しているのだろう。まあそれはともかく、

収入>所得

という関係になり、私の場合、年金等の”所得”は年金”収入”の半分にも満たない(う~ん、ややこしいなぁ)。つまり、所得金額は収入より大幅に低くなることが多いので、低所得者においては医療費総額が10万円に満たなくても、医療費控除が受けられる可能性がある。「医療費に年間10万円も費やしていないから、医療費控除なんて私には関係ない」と早とちりしないことだ。

こうして住民税申告書を作成し終えたら、私の場合、


総所得金額<総控除額

となった。これは何を意味するかと言えば、

総所得金額-総控除額=課税所得<0円

課税所得が0円以下ならば、ゼロにどんな税率を掛けてもゼロだから、住民税ゼロ。いや、これは間違いで、この点も間違い易い。ゼロになるのは住民税の「所得割」分で、住民税の「均等割」分は免除されない。よって、何かとメリットが大きい住民税非課税(話がややこしくなるので、住民税が完全にゼロになる条件は割愛します)にはならない。まあ、それでも収める額は年間数千円だから、これでヨシとしよう。

ここまで書いて思うのは、実に分かり難いことが多いということ。どう書いたら理解されるか苦労する。特に以下の点。

・所得税(確定申告)と住民税申告の関係性や申告の必要性
・「収入」と「所得」の違い
・医療費控除の条件(総所得金額等の合計額×5%または10万円のいずれか低いほう)
・高額療養費の還付金や医療保険の保険金は、年を跨いでも適用される
・住民税には「所得割」分と「均等割」分とがあり、それを合算する

私がこのブログでこのような面倒な話を書いているのは、
来年の自分のためでもある。歳を取るとややこしい話は憶えられない、忘れてしまう。しょっちゅういじっているスマホだって覚束ないのに、一年に一度しか作業しない税金の申告なんて、そりゃあ尚更だ。今後、その度合は年々酷くなるだろうから、ポイントとなる部分を書き留めて来年に備えている

会社に勤めていれば年末調整というイベントがあるが、リタイアすると税金の申告は自らやらなければならない。申告しなくても何も問題が無い人も多かろうが、場合によっては
申告しなかったことで控除できる項目が控除されず、その結果、税や社会保険料の払い過ぎに繋がる恐れがある。その場合、住民税への影響は軽微であっても、年間数十万円にもなる健康/介護保険料は決して無視できる額ではないと思う。我が家の事例で言えば、確定申告はしていたけど住民税(含む、社会保険料)のことを全く意識していなかった時の健康保険料が約25万円(2023年)だったのに対し、今では15万円(2025年)を切っている(何がどうしてこうなったのか未検証)。

申告書作成は経験さえあれば、それほど時間は掛からない。私の場合は一時間程度で済んだ(今回のブログを書く方がずっと時間を要している)。それでも、「
何でこんな細かい数字をいちいち入力しないといけないんだ?」と思う。高齢者になればなるほど、そう感じるようになってきた。もっと簡単に税金の申告手続きはできないものか、これだけIT化が進んだのなら、納税者は何もせずにできるようにならないものかと思うが、全国民の控除を自動で完全無欠で処理できるようにデジタル化(DX)が進んだら、税金や社会保険料の財源はきっと減ってしまうことだろう。現状のめんどうで分かり難い仕組みを嫌い、もしくはそんなこと知ろうともせずに、何も申告しないで、結果的に税金や社会保険料を少しばかり払い過ぎている人って結構いるんじゃないのかな。そして、税や社会保険料を徴収する側としては、こんな現状を「これ幸い」だと思っているかもね。

 

市役所のHPから住民税申告書作成サイトに誘導された

確定申告はスマホからもできるが、やはり細かい数字を追うにはパソコンの方がいい

 

歳をとると老眼で細かい数字に苦労するし、ちょっとしたことが面倒に感じる。多くの人にとって、この申告も避けたい対象のひとつに入ることだろう。「メンドクセ」と税の申告をさぼっているあなた、もしかしたら損をしているかもね。それとも、高齢者は迷惑を掛けているから、ちょっと多めに納付しているとしても大目にみます?

<追記>

わかりにくい文章ですいません。何度も推敲したんですが、これが限界です。まあ、それだけ分かり難く、面倒な仕組みだということです。また、何ぶん専門家ではありませんので、間違いや事実誤認があるかもしれませんがお許しを。

がん治療に励んでいるカミさんが元気な内にと、子供らも交えて家族旅行に出掛けた。そうして行った先でカミさんが転んでしまった。ケガこそしなかったが、高齢になると転倒は要注意だと改めて実感した旅行になった。

首都圏で働いている子供ら二人が帰省した正月、「お母さんが元気な内に行こう!」ということで、今回長野県の温泉へ行くことになった。家族全員で旅行に行くのは約5年ぶりで、それは実に楽しいものではあったのだが、その道中でカミさんが
二度も転んだ。これはどうしたものか。抗がん剤治療の副反応がんの進行によるものかとも懸念したが、そういう要因ではなく、高齢になったことが原因のようだ。それはどんな状況下で起きたものか振り返ってみる。

ロープウェイに乗った。それは小型のゴンドラが連なるタイプで、乗降する地点に着くと超微速になって安全に乗降できるもの。乗降場に着くと、子供ら、そして私が降りた。続いてカミさんが降りて来ると思ったら、何やら”ドサッ”という音がした。振り向くと目の前にカミさんが転がっていた。ケガはせずに何事も無かったが、いったい何で転んだのか。原因は慣性の法則。乗降時にはゴンドラは超微速になるものの動いており、その動き続けている搬器から、静止している地面に降りた瞬間、僅かながら相対的速度差が生じ、慣性の法則に従った力が働く。その慣性力にしても取るに足らないほどの大きさなのだが、カミさんはバランスを崩してしまったのだ。バランスを崩したとしても、それはほんのちょっとのことなのだが、咄嗟に立て直せなかったようだ。

ケガもせずすぐに起き上がり、その後、車に乗り宿へと向かった。その宿の
駐車場でまた転んでしまった。リアのハッチを開けて荷物を取り出し、歩き出した瞬間に何かに躓いて転んだ。その足元には車止めのブロックがあった。二回目の転倒でも幸いにもケガをしなかったが、問題はなぜ躓いたのかだ。当時の本人の意識は、車から荷物を取り出すことに向いていた。そのために暗い時間で足元はよく見えない状況なのに、そこに注意が向かず、そして高齢者で暗さが視力に影響したことも加わり、車止めに気づかなかったということのよう。

カミさんは抗がん剤治療を受けているが、歩行にその影響は出ておらず、普段の生活においては普通に歩くことができるし、散歩に出かけることも多い。だから、家族旅行を決断した。その判断に間違いがあったのか、事後に家族みんなで考えたが、抗がん剤治療とは関係無いという結論に達した。
要因は高齢になったことだろう。

寄る年波で
バランスを崩すとそれを立て直す能力や筋力が低下しており、あっけなく転倒に至ってしまうなんてことはあり得ること。今回起きたケースは微速で動くゴンドラからの下車だったが、エスカレーターから降りる時に、高齢者の転倒事故が起きるケースがあると以前聞いたことがある。これも同様に慣性の法則が悪さをしている。私は半世紀以上バイクに乗り続けているが、直近の10年ほど前から何度か立ちゴケを起こしている。走行中に転倒は全く無いのに、停車中にちょっとしたことでバイクを倒してしまったことがある。バランス感覚が乏しくなったというよりは、バランスを崩すと、その後それを立て直すことが出来難くなったのではなかろうか。原因は筋力の低下だと思う。またカミさんが車止めに躓いたケースは、高齢になるとマルチタスクが苦手になり複数の事に注意を払い難くなる点と、暗い環境下での視力の低下が影響したと思う。マルチタスクが苦手になった例は、私においてもいくつも実績がある。高齢ってそういうもんだけど、トホホだなぁ。

今回二度の転倒を喫したが、ケガをしなかったのは幸いだった。しかし、以前にもブログで書いたが、世間では
転倒事故(同一平面上での転倒)で亡くなる方が年間に9959人(人口動態統計(2023年)より)もいる。その内高齢者(65歳以上)が占める割合は実に97%。85%が80歳以上という事実を忘れちゃあいけない。亡くなる方がそれくらいいるのなら、そこまでは至らずケガを負った人の数はその数倍にもおよんでいるはずだ(ハインリッヒの法則より)。

このように
たかが転倒などと軽く、甘く見てはいけない。普段は元気溌剌で何の支障も無く、まだまだ大丈夫なんて思っても、高齢になるとやはり若い頃とは全く違うことを自覚しよう。そして、これは決して高齢者だけに言えることではない。幼稚園や保育園の運動会で、父親が参加する競技で転倒が相次ぐのも同じこと。まあ、あれは笑って済ませられるけど、高齢者の転倒はそうはいかない。もちろん、今でもバイクに乗る私は要注意の最たるものだね。十分に自覚して乗り続けよう。