新しい歌を歌え | すぎっちの明日も晴れるや~(^O^)♪

すぎっちの明日も晴れるや~(^O^)♪

札幌市内のライブバー、カフェなどで『カラフル・スマイル』という企画ライブを月1〜2回開催しています。
素晴らしい出演者がぞくぞく登場!
音楽が好きな方にぜひ来ていただきたいです。初めて来られる方、大歓迎。一緒に楽しみましょう(^^♪


最近、私と友人になってくれた方のために書きます。
私は2006年のクリスマスイブに、カトリック真駒内教会で洗礼を受け、クリスチャンになりました。

クリスチャンは、日本の人口の2%程度。
うち、毎週教会に通うなど、クリスチャンらしい生活をしている人は1%と言われています。
日本では圧倒的に少数派で、希少価値があります。
みなさん、私をかわいがってください(笑)

日本では、特定の宗教を信仰していると自覚している人は少ないので、「私はクリスチャンです」と言うと、ちょっと引く人もいます。
それもわかります。
私も以前はそうでしたし、自分が特定の宗教を信仰する、なんて数年前までは思ってもみませんでした。

信仰を持つといろいろなことに気付かされます。
例えば、「宗教」とか「信仰」とか「神」とか「聖書」といったものに対して、自分がいかに先入観や偏見を持っていたか、ということです。

でも、これは仕方のないことだと思います。
これらのことに対する先入観や偏見は、知らないから起きてしまうことなのです。
クリスチャンは、これらのことを、正しく伝える務めがあると思います。
しかし、やり過ぎると、「布教活動をしている」と煙たがられるので、配慮が必要です(^^;;

さて、昨日、教会で朗読された聖書の箇所を引用します。

「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
『主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。』
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた。」(ルカによる福音4-16~21)

イエスのことばは圧倒的です。
というか、ある意味、一方的です(笑)

このイエスのことばを聴いた人が、それを信じようが信じまいが、「耳にしたとき、実現した」と言い切ってしまうのですから。

私は、クリスチャンになる前、クリスチャンになったら、あれもダメ、これもダメ、と不自由な生活を送らなければならないんだろうな、と思っていました。
これも偏見でした。

イエスが私たちにもたらすものは、解放と自由です。

それも、私たちが修行したり、何か我慢したらご褒美にもらえるというのではなく、完全に神の意志によって、神の側から私たちに与えられているものなのです。

私は、信仰を得て、このことに気付きました。

私たちは、どうしても自分の思い通りにならないこと、自分の持っていないもの、欠けているものに、心が囚われてしまいます。

でも、神が私たちに望んでいることは、神によってもたらされた自由という恵みに感謝して、自分らしく生きることなのです。
神に感謝。



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