3月議会で、災害瓦礫受入について一般質問をしました。


あの被災地の災害瓦礫を、最初に目の当たりにした時から、

「これをどう処理できるのか」と、一緒に見た仲間と心配していました。

その後も、現地を訪れて様子を見るたび、涙が出るほどでした。


そこで、(放射能汚染のない)災害瓦礫処理を受入れたい立場

市長に質問しました。答えは、

「焼却灰の最終処分場が地域内にない為、その処分場が見つかれば受入れたい」


焼津市は、現在他県の最終処分場に頼っており、そこが災害瓦礫焼却灰を受入れてくれなければ、災害瓦礫の受入れは出来ないのです。今後も、焼却灰受入先を多方面に渡って探してほしいと願います。


この様にどうにもならない理由があればやむを得ないのですが、

放射線量を計測し問題のない物を、広域処理して欲しいとしている災害瓦礫の受入れを拒む事は、震災地に対する風評被害の加害者になる事だと、私は考えます。


被災地の災害瓦礫は、基本的には現地で処理されていますが、木質瓦礫の一部を広域で引受けて欲しいとしているわけです。

ここでも「絆」を発揮したいですね。



 私は、志太地域の地域活性のために、大きい意味での「観光」をテーマにします。

基本的な考えは、ここに住む私達が安心安全に暮らせる事にあります。

人が訪れる事を目的とするのではなく、私達が安心安全に暮らせる結果として、人が訪れる地域としたいのです。

 そのために、

1.災害に強い

 ①防災・減災対策・・・あらゆる災害時に被害を最小限とする対策

 ②避難対策・・・即の命を守るための避難場所確保と、その後の生活のための避難場所確保の対策

 ③復興対策・・・生活と経済活動の復興を同時に進める対策

         ・・・BCP(事業継続計画)の継続的メンテナンス

2・食の安全

 ①生産~流通販売までの安全管理システム・・・企業と行政の協力によるシステムづくり

 ②安全表示の独自性・・・焼津(志太地域)独自の表示

               ・・・例:放射能検査表示・農薬等検査などの表示のための行政の関わり

3.焼津温泉の知名度

 ①市民(志太地域民)の利用・・・市民(地域民)温泉の利用促進策

 ②温泉設備の拡大・・・足湯などの拡大普及

4.焼津内港の利活用

 ①津波避難設備と屋台村・・・地区の人と訪れる人の安全と、皆が親しむ場所づくり

 ②港としてのロケーション・・・歩いて楽しめる景色や環境づくり

5.歴史・平和資料館 ・・・

6.高草山の価値観普及 ・・・

7.企業紹介 ・・・ まだまだ・・・

等等、災害対策・食・エネルギー・スポーツ・環境など課題とし、全てにおいて、日本一を目指して取り組む事を使命とします。

未熟だから、出来る限り学び、精一杯がんばります。

 8月21日(日)から24日(水)まで、3回目の東北震災地に行ってきました。

青森県八戸から南下して、福島県南相馬、飯舘村、川俣町と、総行程約2,300km(焼津発-焼津着)

同行者 : 同僚の青島議員、岡田議員と友人の鶴田氏


大地震+大津波被害から5ヶ月半を経過してもなお、被災地は眼を覆う状況です。

しかし、そこで力強く前を向いて暮らしている人々がいます。今、この人たちの力になれる事は何だろうと、考えさせられました。

 多くの方々の話を聞き、復興の優先度についても、課題となりました。

それには、地区ごとの事情や、そこに入った復興支援者の状況も影響しているわけです。


一例を挙げます。

気仙沼 ; 港から始まった火災で町まで燃え、津波で大型船まで町のあちこちに運ばれ、

       おそらく地盤沈下も起きている町です。

       65歳前後の女性の話、

       「漁港と市場の一部を真っ先にきれいにしたが、

        人の通れる道を先にやって欲しかった。」

この女性の言うとおり、漁港は機能を(不完全にしても)回復し、そこへのアクセスは、関係者優先。

町中は、片付け作業で作業車のみ、大型船や瓦礫が残っているところや、地盤沈下なのか水がはけない所が随所にあるのわけです。

彼女は、片道1時間以上歩いて、用事を済ませ家に帰る途中でした。

生活物資、食料品などの入手に困難を極めているわけです。


 産業復興が、地域の原動力になり、まずそこから手を付ける事も重要だと思いますが、人々の生活も同時に進行できないものかと考えます。

私は、不可能だとは思いません。

それが、BCP(事業継続計画)の浸透なんです。

企業、行政、自治体、家庭、その他と、いざ災害(感染症なども含む)の時のために、何度も何度も勉強していく必要があるわけです。

 そのために、私達会派は、多くの情報収集や勉強会に参加しています。 

幸いに、同僚の尾石議員がこれらの専門家であり、彼からも多くの事を学ぶつもりです。


 まだまだ語りたい事は山ほどありますが、機会あれば報告します。

教訓は、実に大きいです。