玉井詩織特集のQJが発売されてしばらく経つ.
ずっとなにか書きたいと思い,考えていた.いくつかすぐ書けることもあったがあえて書きたいことがあった.
玉井詩織が「過去の記憶(特にももクロとしての,細かい点)を覚えてない」ということである.
誌上では種子島での記憶はすらすらと出てくるように書かれていた.
一方ももクロのことは,というとあまり覚えてないようだ.
いや過去のことは詳細に覚えてないほうが普通かもしれない.
しかしももクロのメンバーは比較的細かい点まで覚えていることが多い.
そこでこのブログでは「玉井詩織の記憶は四次元的である」と(半ば無理くり)言いたい.
まず「四次元」について本ブログ上での定義をしておきたい.
一般に四次元というのは「四次元時空」と「四次元空間」の可能性があるとしておく.
「四次元時空」というのはドラえもんのタイムマシンの世界だと思っていただきたい.通常の三次元世界に時間を次元として捉え,加えるものである.
そして「四次元空間」というのは今私たちの前に広がる三次元空間の他に,実は四次元目の見えない世界が広がっている,ということである.
ここで注目しておきたいのが,三次元空間までしか捉えることのできない私たちは,四次元目から移動してくる「もの」は,突然三次元空間上に現れる可能性がある,ということである.
例えば二次元世界(紙の上)に棲む棒人間は,球体が紙を突き抜けていったときにどのように見えるか考えてみると少しわかりやすい.棒人間には,何の前触れもなく,自分の目の前に「円」が現れるのである.時間の経過とともに大きさを変え,最終的には自分の視界から消える.
これが私たちの生活する三次元空間で,立体の突然発生と消滅として起こるのが「四次元空間」の考え方である.
(なおドラえもんのタイムマシンが動く空間について,そもそも空間が四次元であり,時間を加えて五次元である,という説もあるがここでは四次元時空として扱っておく)
さて話を戻そう.
玉井詩織は記憶があいまいだったり「わからない」と言うことがしばしばであった.
しかしなにかきっかけを与えると,非常に正確に思い出すようである.
まずここにひとつめの四次元性を見出せる.
過去の記憶が,過去に固定されていないようである.普通は,記憶はそこに固定され押入れから「引き出して」くるものだが,玉井詩織はどちらかというと「四次元時空をうようよしている記憶をタイムマシンで移動してそっくりそのまま持ってくる」感じである.だから何かきっかけを与えて,タイムマシンに乗らないと(気が向かないと)記憶がないのである.だからしばしば「わからない」なんて表現が誌上でされていたが,どちらかというと「わかっているけど四次元時空の彼方orどこかにあるからどこにあるのかわからない」「持ってくるのが面倒」なのではないだろうか.
そしてもうひとつ誌上で気になったのが「自分(玉井詩織)がわからない」という表現である.
誌上では「玉井詩織とは,は永遠のテーマである」というような結論がなされていた.
ここで私はもうひとつの四次元性を感じた.
「自分がわからない」というよりも,玉井詩織の性格は「四次元空間に隠れている(見えていない)」のではないだろうか,と.(こちらは「四次元空間」的な四次元性)
「玉井詩織」という個性はたしかに一意には定まりえない.定めようとする方がナンセンスとも思われる.
それでも「玉井詩織」を追い求めようとするのであれば,三次元空間に今見えている玉井詩織はときに私たちの前に現れ,ときに隠れる.その状態は昔から続いているから,ある意味何も変わらないし,変わっていないのなら相対的に自分を見ることが難しいので自分自身が「わからない」のではないだろうか.
すると他の人から見ても,今見えているのはほんの一部の「玉井詩織」なわけで,時々刻々とちがう色を持った「玉井詩織」が目の前に現れるのだから「わからない」という可能性もある,ということである.
...と,私自身が感じた印象を書き出してみたが,結局のところこんなのは「玉井詩織」に勝手な理論をぶつけたに過ぎない.
ただ私自身が感じた印象を残す,という本ブログの意味においては大切であったので今回書き出した次第である.
ここまで長々と書いといて矛盾するようではあるが,結局のところ
"Don't think! Feel !"
である.
個々人が思い思いに感じた印象,性格,そして目にしたもの...
それが「玉井詩織」である.