母方の叔母が危篤になってしまい
急遽1泊で横須賀に帰ってきました



母は6人兄弟の末っ子!

この1番上の姉とは20歳の年の差があり

ずっともう1人のお母さん的存在だったそうです


(母方の祖母は私が生まれる前に他界していたので )
私にとってはこの叔母は
おばちゃんでもあり
おばあちゃんでもあり…



とにかく優しくて
自分の事は後回しにして
人の為に尽くす人

叔母夫婦には子供が居ない事もあって
親戚中の子供の面倒をみてあげるのが
生き甲斐のような人でしたクローバー





お裁縫が得意なので
ずっと高校の英語教師をしていた母に代わって

体操袋
給食袋
お稽古用バック

とにかく全てこの叔母が作ってくれてたなぁ






その話を今回母にしたら

「お母さんも1回だけ作った事あるよ!」

とドヤ顔された!!





旅行にも良く連れて行ってもらったし
ご飯も沢山作ってもらったし

風邪を引いて学校を休んだ時には
仕事を休めない母にかわって家に来てくれたり





まだ政府が共働きを推奨しだすなんて
想像もつかないような昔のおはなし

昭和な父が家事育児ノータッチな中
母がなんとか子育てと育児を両立出来ていたのは



父方の祖父母はもちろんのこと
このおばちゃんによる所もかなり大きかったなぁと
今さらながらに思いますキラキラ




そんなおばちゃんも94歳


痩せて小さくなった叔母が
それでも私を見て驚いて

「良く来てくれたね〜!」

としっかりした声で言ってくれました照れ








行くか迷ったけれど
生きているうちに会うべき!
と言うトラベラー氏の言葉に後押しされて

飛んできて良かった…














そして


我が家の元気なおじいちゃんにも会えました

これほんとびっくりされるのですが
父方の祖父は今104歳!!

横須賀市から表彰状も貰ってます



それでも杖もつかないし
ご飯も自分で食べるし
普通に実家に住んでます



さすがにこちらの祖父も
かなり痩せてしまったけれど

それでも長寿の人は多くても
大抵は100歳を超えると
車椅子だったり寝たきりだったりするので

104歳でこれは驚異的だそうな!!





このおじいちゃん
大平洋戦争の時は海軍で出征しているのですが
乗っていた軍艦が攻撃されて転覆
それでも生き残った際の様々な逸話を持っていたり


色々と規格外な方です…




思うに
もともと体力がめっちゃある
遺伝的に長生きの家系
細かい事にクヨクヨしない
色々と運が良い

というのがここまで長生き出来ている秘訣なのでは



とにかくおじいちゃんは身体が強いので
私も割と強いですが

このDNAは是非とも子供達に
受け継がれていて欲しいものです






実家のフレブル、ろっちゃんも
すっかり白くなって目も白内障に…



命あるものはみんな年老いていく。。。









お盆は過ぎてしまいましたが
今朝出発前にお墓まいりも出来ました




台北も蝉は鳴いていますが
三浦半島の緑深い山から聴こえてくる蝉しぐれは
私にとってとてもほっとできる音色


ご先祖様にお参りしつつ
大きく深呼吸してきました









昨日今日と

人はどこから来てどこに帰るのかな

なんてぼんやり考えたり




もうすっかり
おじいちゃん、おばあちゃん然とした
両親を眺めながら

この人達にも子供時代があったように

つーたんやリリィもいつか
おじいちゃんおばあちゃんになるんだな



その頃には当然私も夫も居ないけれど

その代わり彼らの孫がいて

そうやって家族が巡っていくことは
とてつもなく幸せなことなんだな…




あー

なんかもう
日々瑣末なことで
イライラしたりするの


下らないな!




なんて思ったり




それでも子育ての日々は
これからも間違いなくバタバタなのですが・笑





でも振り返ってみると
なかなか立ち止まって
こういう事を感じる時間ってなかったので


今回の1泊2日は
私にとってとても意味のある帰省でした






さて!

つーたんとリリィとパパの待つ台北へ
帰りますニコニコ