昨日、今日と二日間




紫陽レネちゃん、同期の梅園紗千、白華れみちゃん、嶺乃一真ちゃん達という精鋭メンバーが



気仙沼市と陸前高田市へ『すみれの花プロジェクト』で慰問に行っていました[みんな:01]



私は今回参加出来なかったのですが…



「既にかなり寒かったし、順調にに復興しているとは言えない地域もあり、まだまだですが、初期の頃に比べると皆さんの顔付きが全然変わっていて…[みんな:02]


先ほど東京に帰ってきた、レネちゃんの言葉です[みんな:03]








2011年4月の公演中、私とレネちゃんは、夜中によく電話を掛け合っては、話しこんでいました。



お互いに、『何かしたい。何かせずには居られない』という思いで一杯なのですが実際にどうやって行動を起こしたら良いのか、皆目分からない。




ですがこんな時は不思議とご縁が繋がるもので、千秋楽も差し迫ったある夜、知り合いの方から偶然紹介されたのが、



NGO法人、NICCOの片山さんでした。


公益社団法人・日本国際民間協力会NICCOは、東日本の被災地支援だけでなく、パレスチナやアフガニスタンなど、国際的な災害支援、自力支援、人材育成などを行っていて、昨年は読売国際協力賞も受賞されているNGO団体です。



初対面の片山さんは、優しい瞳の穏やかそうな方で、この方との出会いが無かったら、このプロジェクトは実現しませんでした。



私たちはすぐさま、宝塚のOG達で被災地慰問を考えている旨をお伝えし、早速慰問のプロジェクトが組まれました。




不思議なほど事がトントンと運び、レネちゃんが細かく打ち合わせをしてくれて、私が退団して宝塚を引き上げてくる頃には、大まかなコンセプトが出来上がっていました。



期間は二年間。


主に気仙沼と陸前高田を中心に、避難所や保育園、学校、老人ホーム、ボランティアにいらしている方たちの集会所などを、なるべく同じ所を何度も訪れて、絆を繋げたら…


内容は、一時間程度のナンバーの披露の後、避難所の方たちと、マッサージをしたり子供たちと遊んだりしながら触れ合いタイムを持つというものです。






第一回目は、5月の末に決まりました。



レネちゃん、私に、嶺乃一真ちゃん、初輝よしやくん、そして、気仙沼市出身の元雪組・岬麗ちゃんというメンバーです。



新幹線で一ノ関まで行き、そこからNICCOさんが用意して下さったワゴン車で気仙沼まで…



皆それぞれに仕事の合間をぬってのボランティア活動なので、練習時間も限られています。



私たちは車内で伴奏を流しながらコーラスの練習をし続けていました。


宝塚の代表曲や、童謡、アニメソングなどで構成されたナンバーです[みんな:04]




山が開け、やっと気仙沼が見えてきました。




…一斉にコーラスの声が止みました。



テレビでは何度も目にして、被災地にやってくるにあたって、充分覚悟していたはずの光景。



その覚悟を遥かに上回る津波の威力を目の当たりにして、私たちは改めて打ちのめされていました。




一ノ関駅周辺などはほとんど損傷もなく、復興特需でむしろ賑わっている位の印象を受けたのですが…




当日は大雨が降りしきる、肌寒い日でした。


その大雨の合間から映し出される、津波が全てを破壊して押し流し、とんでもない内陸部に大型船舶が乗り上げている気仙沼の町の景色に、皆唖然とするばかりです。



下見で一度現地入りをしていたレネちゃんが、今回いつになく迷いの言葉を口にしていた意味。


「良いのかなぁ…」


そのことばの意味を、皆一瞬にして理解しました。






「これは歌や触れ合いなんていう次元では無いのではないだろうか。」



「今必要なのは瓦礫撤去などの人手であって、このタイミングで慰問にやって来るなんて、自己満足だったのではないだろうか。」



今回のメンバーの中には、正にこの気仙沼の街で生まれ育ったじゅんちゃん(岬麗ちゃん)も居ます。



重苦しい沈黙が、皆の心の内を物語っていました…






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