カラスガイのブログ

またまた今年一年大晦日に振り返る。

つつがなく過ごせた一年に深く感謝を覚える。

 

愛犬と一緒に北国も南国も飛び回れた。

 

旅に出て村にじっとしているといろんな人の生き方に気づく。

みんななにかしら悩みを抱えて、自分の居場所で、自分のできる範囲で打破しようと力んでいる。

なんて眩しいんだ・・・。

 

自分の尊敬する祖父は、山形のとんでもない雪国産まれ。

祖父は雪がイヤでイヤで高校を出て、黙って関西に飛び出した。

謝罪をこめて、郷里にお金を送り続けていたらしい。

そして自分たちがいる。

 

3日ほどその村に溶け込む。

 

 

 

 

祖父のその一歩が、自分だけでなく、子孫までをも雪から救ったことに、なんだか自分の小ささ、弱さ、情けなさを突きつけられるようでうつむいてしまう。

 

緻密に計画を立てて実行していく賢さよりも、時を逃さず飛び出す思い切りのよさの方が、

もしかしたら人生にはずっと意味のあることなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

僕の惹かれる山の奥の奥。鹿の足跡が道を作っている。

ちょっとした水たまりに素早く泳ぐ小魚。

自然は時としてなんて不思議な孤独をあたえるのだろうか・・・。

 

じっと座っていると、自分と周りの区別がつかなくなってくる気がする。

例えば綺麗と汚いとか、自分のモノとかそうじゃないとか・・・。

どこからどこまでが自分の生命かも分からなくなる。

そう思えば、全てのモノ、見えないモノにまで厳密に線引きをする普段の生活が異常に思えてくる。

 

なんだか生死もそんなものなのかもしれないな・・・。

周りから見れば”死”を境に全てが変わるけれど、本人にとったら単なる続きの世界へ繋がっているだけなのかもしれない。

 

 

 

ずっと旅で愛犬と過ごしていると、人間が変わった幻想に囚われているんじゃないかと思えてしまう。

当たり前だけれど「ずっとずっと一緒にいたい」と思う。

けれど、ワンコにとったら「現在(いま)一緒に過ごしていることがすべてだから。好きな場所に好きな人といる。それ以上なにを望もうか」

現在この瞬間瞬間に生命を捧げて、削り落としていくのが幸せなのだろうか。

思い出なんて人間が勝手に作り出している幻想なのかもしれない。

 

 

 

 

鳥さんにも恵まれた一年。

 

ずっとずっと追いかけていたイヌワシが、まだ雪深い高山を舞う。

心がすぅ~っと軽くなる。

足を運べばその分だけ神秘のベールを解いてくれる。

今、このイヌワシと同じ陽射しを浴びて空気を吸っているんだ。

 

 

 

 

家の工事があって、居場所の無くなったスズメのヒナっ子2羽を預かる。

一か月で瞬く間に大きくなり、家の前の畑に帰ってゆく。

喪失感にさいなまれたけれど、どれもひとつ残らず懐かしく、ありがとうの思いが胸の奥底から絶え間なく溢れてくる。

 

 

 

 

 

 

秋にはスズメを襲うハイタカが渡ってきた。

毎夕観察していたけれど、とても賢く、経験の浅いスズメを弾き出すような狩りをする。

とても心が苦しかったけれど、それも自然の流れ。

そしてきっと死は暗く苦しいものではない。次への旅路。

 

 

 

ちょっと偉そうに振り返れば、過去の苦しかったときは全部必要だったから、あらかじめ味わうことになっていたんだなって思う。

 

そして、嫌な人と関わってしまった時は、その人からの

「しっかり慈悲の心を持って暮らし、勉強をしてアタマを使って暮らさないと、自分みたいになるんやで」という警告なんだと思う。

 

きっと全てのことに意味がある。

常識的に考えて避けてはいけないような、めんどくさいこと、嫌なことから逃げないこと。

それは今の自分に必要だから目の前に現れているんだから。

 

 

 

 

 

みなさま、どうぞよいお年を~

 

 

大変ご無沙汰しております。

またまた大晦日にこの一年を振り返る。

少し重い話題もありますので、コメント欄は閉じています。

 

きっと今まで生きた中で一番激動の一年となった。

親族が二人亡くなり、ひとりは病院で老衰、もうひとりは警察に出向くような亡くなり方だった。

まさに対照的。自分は選べるとしたら・・・

 

療養病棟に何度も足を運んで思った。

これまでは治るための病院だと疑ったこともなかった。

けれど死はいつか訪れる。

当たり前のことだけれども忘れている。


 

人間同士だから、言い過ぎたことや食い違ったこと、当然あるけれどそれは後悔には繋がらない。

生前自分にできたハズのことをしなかったことは大きな後悔として残る。

 

警察の裏の冷蔵庫、火葬場、跡の残る部屋。

迷惑をかけた人々への謝罪、家の整理・・・。

 

部屋から数冊の日記が見つかった。

目を通して、魂の息遣いが段々と見えてくる。

生前話してもここまで見えなかっただろうな・・・。

後始末をしなければならなかった憤りが収まり、穏やかな心になってゆく。

 

 

ふと夏の満月の夜に田園地帯を散歩していて、足元からヨタカが飛び立って、月夜に羽ばたいていたことを思い出す。

宮沢賢治の「ヨタカの星」。どうしてあんな話を書いたのだろうかという心がわかる。

宮沢賢治もこの光景を見たに違いない。

 

死ねば肉体は消えるけれど、生きた証の魂をカタチに残すことはできるのではなかろうか・・・。

 

芸術とは、自分の魂を見えるカタチにするというコトではないだろうか?

死ねば見えなくなる魂というモノを、この世に遺すということか。

たくさん見て感じて育てあげてゆく魂こそが、生命の本質なのではなかろうか。

クルマで何日も旅しながら、誰もいない山奥で目覚める朝。

山の中にいると、生命の流れというコトをとても自然に受け入れられる心になる。

死に恐怖を感じなくなる。至極当たり前のコトのように感じてくる。

まるで僕の魂が、この心地よい森のありとあらゆる霊魂に居場所を見出しているかのように・・・。

 

年末に、本州の西のほうへ旅した最終日、小さな公園で太陽に当たり、ワンコを膝にのっけてベンチに座る。

どうして自分は今、こんな幸せな穏やかな心になれるのだろうかと他人事のように不思議に思う。

 

自分は北の大地や、高山の雪の中に憧れて、籠って寝泊まりしたのに、

どうしてなんの困難も試練も不安も無いこの瞬間をこの上なく幸せに感じれるのか・・・。

 

感受性の振れ幅なのだろうか・・・

あちこちまだ見ぬ世界に憧れて旅をしてきたけれど、それは自分の心の感受性を大きく揺らせるようにする訓練だったのだろうか。

だからこうして冬の陽だまりの中、ただ座ってふつふつと心から湧いてくる幸せをようやく味わえるようになってきたのだろうか・・・。


 

寝る前にお湯を飲んで身体を温めて、あらゆるものを着込んで、外に出て用を足す。

見たこともない星空。

毎晩こんな星空が人知れず空を覆いつくしているのか・・・。

星空を見上げて、亡くなった人を無意識に想うのは、

自分の命もアソコからきてアソコへと帰るからなのだろうか・・・。

 

一年間、ケガも病気もなく、ワンコと思う存分走り回れたこと、

自分はなんて幸せ者なのだろうかと心から感謝しています。

来年はつつがない年になりますように~

大晦日に一年を振り返る。

外は雨。

年末にかけて本当に色んな事があったなぁ~

 

だけれども、振り返ると一瞬で、一時はどうなることかと眠れなかった夜も遠くに過ぎ去って、ただの過去になる。

 

94歳になる祖母が転倒して駆け付けたコト。。。

「明日には起き上がれるからもう帰って~」と孫の身の上を案じる強さ。

病院で一時は・・・と思ってもしっかりと立ち上がろうとするしたたかさ。

 

歳を重ねると、お金もプライドも身体の機能だって削ぎ落されてゆく。

残るのは人間性。それだけ。

 

会いに行きたいと思える人間性を持ったのが自分のおばあちゃんという自分の恵まれた環境に今気づく。

 

 

雨がふっと上がった北の果てで「あらかわいいワンちゃん」の一言から、気づけば家にお邪魔している。

でっかい人。ぶっとんでいるような、でもソコが僕にはとっても魅力的。

 

去年末に母を亡くされた、それすらも明るい笑い話に変えてゆくおおらかさ。

 

北の大地から帰る時、「ありがとう、また来るね~」って言える幸せ・・・。

 

実に色んな人がこの世にはいてるんだなぁ・・・。

 

鳥さんにもたくさん恵まれた一年。

思い出すとあれもこれもみんなかけがえないけれど、

晩秋に訪れた道北の渓流。林道脇の水たまりにオショロコマがうじゃうじゃいるような場所で、

目の前の枝にオオワシ、オジロワシがいる。

飛び立つときに翼の風圧が感じられそうで・・・。

溢れる鮭の死体のニオイすらも秋の実り。

 

あとは猿の群れを襲ったクマタカ。。。

もう終わりかけた紅葉の木々を背景に、クマタカが不気味なほどのスピードで流れ出てくる。

猿たちの騒がしい悲鳴と裏腹に、羽ばたきもせず、真っ黒な顔に輝いた瞳で、山の空気を変えて、ひれ伏すような感覚。

双眼鏡もカメラも忘れてただ呆然と立ち尽くした。

その瞬間に僕が存在できていた幸せをあとから噛みしめる。




 

9歳になってくれたカノンさん。

旅に出る時はいつも一緒。準備のときからウキウキして、ドライブも車中泊も登山もなにもかも大好きでいてくれる。

 

キミが元気でいてくれる。

キミが喜んでくれる。

キミが笑ってくれる。

それが僕の幸せ・・・。

 

 

週末にケーキ屋さんに入った。

 

ショーケースに並ぶケーキを見てアレもコレも美味しそうだね~と話して迷っていると

店員さんが「カヌレのご試食いかがですか?」

とても透ったはっきりした声に思わず見上げると、

素顔の晴れ晴れしい笑顔。

 

色んな意見あるだろうけれど、彼女は自分の意志で、自分のできる範囲で変えていこうとしている。

 

マスクに意味がない事なんて、難しい科学調べずとも、もうみんなアタマでは分かっているけれど、ことなかれ主義。

みんなと違う人間のアラ捜しをしてケチつけて攻撃するのが大好きな日本人。

 

彼女はみんなと揃ってこれまで通りしていれば、上司に掛け合うことも無かっただろうし、心無い批判にさらされる(かもしれない)こともなかっただろう。

それでもじっとしていられない衝動に駆られたのだろう。

 

こんなにカッコよくて美人に見えた女性は今までいなかった。

 

試食で外したマスクそのまま。今日は雨だから外でも花粉は大丈夫。

ケーキ食べ終えてそのままトイレのゴミ箱にポイ。

 

ありがとうございました。

 

色々なことがあって、書き始めるとキリがないけれど、

人間の欲深さ、自分だけが可愛いという人間の多いこと多いこと。。。

 

 

 

歳を重ねさえすれば大人になれるということではないこと、

とてもよくわかりました。

 

それゆえにワンコが素晴らしい。

 

いや、ワンコだけではなくて、生き物みんなそうなのかな。

 

 

 

鳥さんだって、自分の食べる量だけで満足するし、ケンカしたって執拗なことはしない。

 

 

 

人間はきっと色んなモノを持ちすぎて、全部自分のモノだと錯覚し、失いそうになったら奪われると勘違いして攻撃するのかな。

 

 

大切なモノは、きっともういつも自分が持っているモノ。

つまらないモノを次から次へと心に蓄えて、身だるまになって動けなくなっている。

 

 

 

今年も一年、ワンコも僕も健康でいられてケガもなく、色々な所に行けて感謝です。

 

みなさまもどうぞよいお年をお迎えください