3.11 | ぽりみの気ままに韓国生活

ぽりみの気ままに韓国生活

どこに居たって楽しく過ごそう!毎日をキラキラと。時にギラギラと。2022年10月社会人になりました。人生最後の就職と思って頑張ります!60まで稼ぐぞー!!ワーママ生活も頑張りま~す



あれから11年が過ぎました

忘れられない11年前のあの風景

私は韓国のカンナムにあるオフィスで

普通に仕事をしていて

韓国人の同僚に

「ぽりみさん!!すごい地震があったよ!」

って

その後、韓国にいる日本人の友人からも

「仙台が大変だよ」って。

ネットにはタイムリーで津波の映像も

見慣れた名取の風景が真っ黒な波にのまれる動画

映画か何かの撮影??CG????


仙台空港の滑走路がグチャグチャの瓦礫で埋め尽くされて


本当に世界は自然は

こんなにも不平等に

突然、誰かから大事な家族を奪ったりするんだ...

ショックだった...

こんな事が起こるなんて知らなかった

想像もできなかった



韓国で途方に暮れた...

何もできない自分が無力で...


暖かい部屋でぬくぬくしてる自分を責めた

ただただテレビの画面を見続ける日々でした





電話が繋がらないって、みんな困ってたのに

なぜか国際電話はすぐに繋がり...

いつも落ち着いている母が

「怖い...地面が割れるかもしれない...」と

「家が潰れるかもしれない」

「ピアノが動いて部屋の真ん中に来た」

「2階の窓が開いたり閉まったりしてる」

「余震の度に庭に出ている」

そんな感じで...

母が怯えているのがわかって私も怖かった


父は幸いにも海の近くには行ってなかった


仕事で気仙沼を担当している父が

あの日、あの時、海沿いに居なかったのは

本当に運が良かったんだと思う。

横浜にいる弟、東京にいる弟、千葉にいる兄

とりあえず、家族の無事が確認できて、

父と母の無事も私が韓国から伝えた

韓国にいて良かったと思えた唯一の瞬間だった



その後、1ヵ月近く停電

ガスも出ない中で父と母がサバイバルしてた

ガソリンが入ると噂を聞いて

スタンドまでの長蛇の列に朝3時から並んだり

スーパーの駐車場に青空市場ができて

一人5つまでと買物制限の中

「猫の餌を買ったよ」と聞いて胸がギュっとした

「魚、大きなカレイをゲット!」って母のメール

逞しかった...

母はパン屋の整理券をもらいに行ったり

スーパーで食材を買いに並んだり

本当に忙しかった...

父は頑なに「俺は並ばないよ!」と頑張った

並んだりしないのにぷらっと出掛けたら

「コンビニが開いてておにぎり買えた」とか

とにかく、並ばず食べ物にありつけた。強運!!



電気がないのでテレビも見られず

沿岸の被害を知らない両親は

思いの外、すごく元気で...

電話が繋がるようになってから

海沿いの親戚や友人の安否を確認してた





そういえば、

地震後すぐに阪神大震災を経験した同僚に

「水が止まるから水を貯めなさい!」と言われて

でも母は「大丈夫!水は出る」って言ってたけど

「その水が出なくなるんだって!!」と伝える

数分後には本当に水が出なくなったらしい。

「いいから貯めなさい!」と言われて

貯めておいたお風呂の水で

トイレはずっと流せたし

飲み水も確保できたと言っていた。

トイレがずっと流せたことが

父には精神的にすごく良かったんだと

あとになってわかる...

これも、韓国にいたから私ができたこと。






テレビの中の炊きだしで、よく出されたのが

「豚汁」と「おにぎり」


幸いにもうちの両親は炊きだしにお世話になることもなかったけど...


3.11はとりあえず「豚汁」と「塩結び」を

食べることにしています。



「こんな、美味しいなら、毎日でも良いね」


ってサニーもパダも喜ぶ...


そんなこと言えてる今に感謝しかない。




子どもたちには

これが「当たり前であることに感謝する」

のではなく


「これがいつまでも当たり前であるように努力しなきゃいけない」


と教えることにしました。





お家があって、温かいご飯が食べられて


お風呂に入れて、綺麗な下着とパジャマで


安心して寝られる



これがいつまでも当たり前でありますように




世界中の子どもにとっても


誰にとっても


それが当たり前のことになりますように