あれから1年 | ぽりみの気ままに韓国生活

ぽりみの気ままに韓国生活

どこに居たって楽しく過ごそう!毎日をキラキラと。時にギラギラと。2022年10月社会人になりました。人生最後の就職と思って頑張ります!60まで稼ぐぞー!!ワーママ生活も頑張りま~す




私の育った宮城県はリアス式海岸に囲まれた三陸といわれる地域があります。



岩手県との県境には気仙沼という地域があり、マグロや秋刀魚の水揚げや、



遠洋漁業へ出かけた世界中の船が立ち寄り修理や燃料補給をする場所でもありました。




そんな、大切な場所が、一瞬にしてなくなってしまってから1年がたちます。





父方の実家が宮城県との県境の岩手にあり、幼い頃から慣れ親しんでいた地域でもありました。


学生時代は、アイスボックスにパラソルを積んで、


ビール片手にみんなで遊んだ「キョンキョン海岸」(小泉海岸)は、もう、その形すら


変えてしまったことでしょう。




昨年の夏に仙台に帰省した際、



父にしっつこく



『見るべきだ!見るべきだ!』と、さんざん言われましたが・・・


なかなか腰があがらず・・・


周りの友人たちは、


『一度見るべきだと思って、見に行ったよ』


という人がほとんどでしたが・・・

私は、見て良いのか・・・


その現実を受け止められるのか・・・


いろんな思いで、その一歩を踏み出すことができませんでした。



しかし、今回の年末年始は、


震災以来、初めて仙台空港を使っての帰国になり、


イミグレノのおじ様たちも、税関のスタッフの方も、


私の知ってる顔は全てそろっていらっしゃいましたし、


お話を聞くと、3日間は孤立状態になったけど、全員無事とのこと。


空からの仙台湾は、驚くほど『茶色』


懐かしい、仙台平野の田園風景は、もう、この先ずっとみられないかもしれない・・・


そして、幼い頃から家族と、友達と訪れた荒浜・・・


まったくその面影は感じられないものとなっていました。


高校の時に、ボデーボードしに毎日通ったノビル海岸のあの辺も・・・


きっと、もう、跡形もないのでしょう・・・



空からそんな風景をそんな思いで見てるだけで、


思い出や、なんやかんや、もうわかんない~ってなって、


もう、涙がぽろぽろ・・・


でも、よくみると、道はもう修復されていて、ガレキも片付けられている・・・



ということは。。。


復興前のその状態を見る最後の機会になるかもしれないという想いと、


これから、この宮城を支えていく1人として、


見なければいけないという気持ちの方が、


怖い、見たくない、っていう気持ちを大幅に上回り、


私も気仙沼を訪れる決意をしました。




そして、タイミング的にも、父がここ10年以上、国からかな?


気仙沼の地下調査をする仕事をうけ、


今回の地震の後も、土地の値段がどうなる。。。という、


誰にも想像できないような事態の中で、どうするの?って感じだけど、


でも、復興にはそういうことも必要なんですよね。


ということで、父がそういう仕事をしている関係で、気仙沼を訪れることになりました。



父のミッションは、


『気仙沼の海岸沿いから1キロもないような場所にある水産加工会社の建物が残っていて


そこで営業をしているという内容の書類がだされたが、


壊滅的な被害を受けたあの場所に、営業できるような建物があるわけがない。


前回、現場の確認に行ったときは使えそうな建物なんてなかった。


道もまだなくて、規制がかかっているくらいだったのに・・・・。


はたして、本当にその建物はあるのか?!』


というものでした。



『何かの間違いだと思うんだけどな・・・でも、行って、見てみないとな。』



そういう父と、一緒に訪れました。



私は、ここ韓国で毎日、NHKしか見てない感じなので、


(韓国のニュースとドラマも見ることは見ますけどね)




震災の後は、毎日のように悲惨な映像、写真、動画、ドキュメンタリー。。。


本当に、すっごく見てます。




なので、大体の予想はできるなかでの訪問でした。


もちろん、鼓動はおかしくなり、実際に何もない町並みを見たときは


涙も流れそうになったけど、


今回の訪問で、今までわからなかったことで、


新しくわかったことが1つだけありました。


それは・・・




私の安い涙なんて、本当にいらない!ってことです。


私がショックを受けようが、同情しようが、


泣いたって、なんにもならないし、


実際に被害にあった人、亡くなった家族がいる人のことを考えると、


私の涙なんか、流すのも失礼だということがわかったのです。


本当にそんな涙はいらないんだな・・・って


同情して泣くんじゃなくて、末永く寄添うことが大事なんだな・・・って。



それからは、歯を食いしばり、目を見開いてしっかり、見てきました。


完全復興前の町の姿を。



あちらこちらに花が生けられてあったり。


道路は土が盛られ、1mくらい高くなってましたが、


車で走れる状態になってたし、


本当に多くの方の力と、汗と、涙と・・・


大学時代の同じゼミの子の旦那さんも


自衛隊の一員として遺体の捜索に来ていたという話も聞きました。


米軍の友達作戦。名前はどうあれ、福島の偵察だったとしても


やはり多くの命を、そして、会いたい人たちを会わせるのに


大きな力になってくださったと思います。



津波は、本当に驚くほど 『ここまで!』という感じで攻めて来たようで、


本当にすぐ隣の家はどうしようもなく崩壊してるのに、


ある家は奇跡的に2階だけが残っていたり。


その家に住んでいる方もいるようでした。


買い物とか、どうしてるんだろう・・・



そんなことを思いながら見ていくと、


本当にこの、安い涙を流す暇があれば、1円でも多く、


1つでも多くの支援が被災地に届くように行動を起こすこと、


それが大事なんだということが、わかりました。




ということで、どうしようかと悩んであげずにあげれなかった


1月初旬当時の現場の写真をここに載せようと思います。


気仙沼とその周辺の町。


陸前高田はその被害の大きさに、シャッターを押すことができませんでした。


それでも一本松は、高く、長く、空へ空へとのびていたんです。


あれ、撮ってくればよかったかな・・・と少し思うけど。


どうしても撮れなかった。



ということで、以下、その時に撮った写真を載せます。



精神的にまいってる方、見たくない方は、以下、パスされますようお願いします。¥









まずは、役所へ。







気仙沼市役所はほんの少し高いところにあるので、まったくの被害なし。


父が役場の方からもらう書類があったとかで、立ち寄りました。



全国からの応援の弾幕や寄せ書きが飾ってありました。


私が父を待つ間にも


『あら~!いぎでだがぁ~~~!』


『いぎでだ~!いぎでだぁ~!おらいんどごは、みんなぶじだぁ~』


みたいな再会があったり・・・



ヒールのあるパンプスで来た自分が、本当にバカみたいだった・・・。


photo:01



この位置からは海は見えないのに、


水溜りみたいになってるのは、雨ではなく、津波が引いた後に


残った海水です。



このままでは、土台に鉄杭打つにしても錆びちゃうよな・・・


photo:03







photo:05



ここは、電車が走る線路とその下に橋があったところ。


橋が架かってたなんて、全くわからない。


言われれば遠くに足みたいのがあるけど。


空が・・・


すごく綺麗だった・・・

photo:13



そして、父が、何かの間違いだろう・・・と確認に来たこの場所には!



なんと、しっかり建物が建っていて、


その周りの建物も新しく建て直しが進められていました。



水産加工会社だったと思いますが、


本当に、力強い!



全ての建物が崩壊している中で、


数々の工場、加工所が再建築をしていました。


父が


『来て見てよかった!何かの間違いじゃなくて、もっと良かった!』


そういいながら、現場写真を撮りに走る父。



加工場ではなく、事務所のようでしたが、地元が元の姿を目指して


頑張っていました!

photo:07




photo:14



photo:09




photo:10



そして、これが、本当にビックリ・・・


近くの町に移動しましたが、その町の駅前通り


本当に電柱(復興後にまず最初に急ピッチで立てられた電気)以外に何もない町・・・


ところが、何もないだけじゃなく、


あってはならないものが・・・


こんなでっかい忘れ物・・・

photo:11



車と比較しても大きさがわかるかな?



この、船の向こうに駅がありました。



これ、解体して運ぶにしても、相当時間がかかるだろうな。。。


photo:12





ここで、私の電池が切れました・・・



もっと撮らなきゃいけなかったのかもしれない・・・


でも、これが、私の精一杯でした。




遠く離れた韓国で、どんな風にかかわっていけるかわからないけど、



10年後も20年後も、気仙沼や東北のことを考えて生きていきたいと思います。




多くの人に笑顔が戻りますように。


これ以上、大事な命が失われませんように。



亡くなった方のご冥福を祈り、


まだ帰れない人が一日も早く家族に会えますように。



この震災で学んだこと。気づかされたことは、数知れませんが、


まずは、自分の家族を大事に、他人の家族も大事に、


そして、自分の命を大事に他人の命も大事に、感謝をたくさんして生きていきたいと思います。



長文読んでいただいて、ありがとうございます。



最後に、前々職の職場の先輩が、南三陸志津川出身で復興プロジェクトに関わっています。


南三陸の昔の何気ない風景、お祭りの様子、街角。。。


そんなのを集めた写真集を2冊買って、一冊は地元の人や公共施設に寄付されるというものです。


ま、それなら、1000円だけ払って、自分はいらないとか。


いろんな考えがあると思うんだけど・・・


何が正しくて、何がそうでもないのか・・・


この団体は好きじゃないとか、そういうのも人それぞれ、あると思いますが・・・


これも、地元の人間だからこそ考えられたプロジェクトなんじゃないかと思い、


ここにURLを貼りたいと思います。


あんまり、一口いくらみたいな募金とかそういうのって


私は好きじゃないんだけど・・・


でも、自分はうーんでも、他の人にとってはWow!って心が動く人もいるだろうし。


単純に写真が欲しいという人もいるかもしれません。


自分はそうでもなくても、他の人が心動くかもしれないし、


知ってて賛同しないのと、知らなくて賛同できないのは


結果が同じだとしても、まったく意味が違うと思うので。


よかったら、多くの方にこのプロジェクトの存在を知られてもらえればと思います。



「南三陸町のみんなに写真集を届けようプロジェクト」

http://www.peace-winds.org/jp/news/archives/120308_1030.html


どちらも、同じページに飛びます。