もともと趣味で買う本は電子書籍派(仕事の本は図書館派)だけれど、本屋の雰囲気が好きで、病気治療前はよくお気に入りの大きい丸善に行き、待ち合わせや用事の隙間時間や、何もない休日などに、時間をつぶしていた。

いいな、と思った本を、紙で買うのは20冊に1冊くらいで、立ち読みで終わっちゃうか、kindleでポチるかがほとんどという点は申し訳ないけれど。。(入場料とか投げ銭とかできればいいのにと時々思う)

 

 

それが、体調がいよいよ悪くなって診断に至った2022年1月から、全然行かなくなってしまった。行けないでいる期間が長くなる中で、行く習慣が薄れ、行くきっかけもなくなってしまった。

先日、久々に何かのついでで立ち寄った時に、3月にがんで亡くなった坂本龍一の自伝が並んでいた。

思わず手に取り、立ち読みして、ものすごく久しぶりに紙の本を買った。

 

 

読んで、感動した。そもそも彼の政治的な言動には、賛成しないものも多いけれど、坂本龍一という人間が生きて、考えてきたことがまとまっていて、ああこの人は本当に存在したんだなと実感した。

賛否が分かれる議論についても、本人の考えがはっきり書かれている点もよい。賛成できない意見も多かったけれど、むしろ賛成できない私の考えと彼の考え方を対話させるように読むことができてよかった。

坂本龍一が、ミュージシャンというか芸術家というか芸能人?で、「がん患者・坂本龍一」でなかったことに安心した。

それでもがん治療やがん告知によってかき乱され、できないことが増えてくることも認めざるを得ない、という点に共感した。

病院に行くとのべつ幕なしに「がん患者さん」にされてしまうけれど、それを無視していいんだな、と思えた。

 

 

一つ気になったことがある。

2度目のがんは、坂本氏にとってフラストレーションたまる方法でやってきたらしい。

そして、有名人だから、有名な医師だの代替医療関係者だのからアドバイスも得られるし、そもそも通院している病院の主治医にメールで質疑ができるというスーパー特典がある(と書いてあった)、医師との関係も良好だった、にもかかわらず、なんだか、医師との治療のコミュニケーションが、取れていないように感じられてしまう。

 
 
いろいろな考えや決断があり、最終的には本人が満足していればいいと思うけれど、医療での「本人の満足」の達成は非常に難しい。
知識が足りていない状態で「私はこうしたい」と主張することを、全部かなえてあげれば、満足につながるわけではないのだ。
 
 
私個人の治療では、吐き気に対してステロイド点滴を提案したネクラ医師に対し、ステロイド=メンタルダウン、見た目変わる=仕事に悪影響、という偏った知識(用量や用法により避けられる副作用だと知らなかった)をもとに、ステロイドは嫌です。と拒否したことがあった。この時、ネクラは、はいそうですか、と一瞬で引き下がった。そしてその日も私はゲロゲロ苦しんだ。
そのあと、理解できなかったのでかかりつけ医に相談したところ、かかりつけ医は私のステロイドに対する誤解を解く説明をして、使った方がよいと思う、と勧めてくれた。それでステロイドを使い始めることにし、多少副作用がマシになって、良かった、と思ったのだ。
 
 
患者本人が納得する、満足する決断に至るためには、本来医師は私のかかりつけ医のような説明を試みなければならない。
でも、それって面倒だし、そもそも医師側にそれだけの知識とコミュニケーション能力がなければ、無理な芸当だ。
「患者さんの言うとおりにする」ことで、本人の満足する治療をしています、と言い訳する方が圧倒的に楽だ。
それが、医学知識を十分に持ち合わせていない患者の、正しくない前提に基づく意見であって、本来は医学の専門家である医師による説明が必要な状況だとしても、医師は「患者さんの意思を尊重しています」と言い訳できるのだ。
 
 
医師とのコミュニケーションが難しい大きな原因は、たぶん、医師が患者に対して率直に情報提供をしないことだと思う。
それは、「患者さんの意思尊重」戦略によるものかもしれないし、医療ミスだと騒ぎ立てられたくないからかもしれない。
でも、本当は、ちゃんと説明してくれない・教えてくれないこと、間違った前提のもと選んでしまった治療で苦しむことに対する患者のフラストレーションは、かなりかなり大きいと感じる。
なぜそうなったか説明をしてくれれば、納得はしないが理解できる状態になって、苦しまなくて済むことだってあるだろうに。
 
 
例えば坂本氏でいえば、NYのがんセンターで遠隔転移の説明をしてくれていれば、とか、説明がなかったのはなぜ?と聞いて医師が答えてくれていたら、もう少し2度目の病気との向き合い方が違ったのではないか、
あるいは、日本で、遠隔転移の病巣を全部切るという決断をしたかどうか、
亡くなる直前にかなり苦しんだとの記事も読んだが、鎮痛剤や鎮静剤を使うかどうか、とか。
ちゃんと議論を重ねたうえで、納得して、本人が選んでいるかもしれないし、そうであってほしいと思うことしかできない。