生と死と。 | あなたの知らない能力が目を覚ます!東京

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創造を遥かに超えるステージアップをしたい世の女性たちへ

お久しぶりです!

えりコーチです。

すっかりご無沙汰になってしまいました。

実は義姉が亡くなりました。。。

私の実の姉と同じ歳、43歳です。
若すぎる死に、言い様のない悲しみがあります。

義姉は主人の会社の経理を担当していたので、毎日顔を合わせていました。

体調が悪くなり、私が仕事を引き継ぐことになり。


子宮ガンでした。

私がスマーティを購入したのも、ホルミシスやテラヘルツの勉強をしているのも、義姉の病気が良くなればと思ってのことでした。

実際にスマーティに入れたのは、2回のみでしたが。。。

余命宣告を受け、義姉は「最期は自宅で」という希望でした。

嫁ぎ先では、残念ながら受け入れられない。とのことだったので、我が家で看護することになり、3月から訪問看護の手続きをしたり、介護保険の申請やらと慌ただしくしていました。

我が家に戻ってきてからは、痛みが酷いようで、寝室からトイレまでのたった数歩の移動にも1時間以上かかる。

もちろん車椅子ですが、まずベッドから立ち上がることが痛みで出来ない。
ベッドから車椅子に座るまでに30分以上かかってしまう。

義母と私と主人、三人がかりでなんとか動かしたり。。。

そんな中、腹水が溜まってしまい、浮腫みも酷くなり、本人の希望で救急車で緊急入院。

毎日病院にお見舞いに行く義母の送迎と、出来る限りお見舞いと。
でも、日に日に悪化していく様で、入院してからは歩くことも寝返りさえも出来ずになってしまいました。

それでも、義姉は「家に帰りたい」と、ずっと言っていたので、お医者さんにお願いして、4月16日に退院しました。
ストレッチャーでの退院でした。

帰ってきた日に、長女が会いに行くと

「あーちゃん。」と、名前を呼んでくれて、意識もありました。

次の日の朝、17日に下三人の子に会わせましたが、もう話すことが出来ずにいました。

そして、17日の夜、静かに息を引き取りました。

義母、義母の姉、私たち家族に見守られて。。。

とても気遣いのある優しい義姉でした。
なので、自宅での看病の大変さを心配したのでしょうか。
退院して、たった1日でした。

子どもがいない義姉夫婦は、本当にうちの子どもたちを可愛がってくれました。

良く一緒に遊んでくれ、子どもたちは何かと厳しい母である私より、無償で甘えられる義姉の存在に助けられたことでしょう。

義母との間にも、ほどよく入って下さり、義母との関係が良いのも、もちろん義母が素晴らしいのもありますが、義姉の存在も大きかったと思います。

もちろん、いろいろトラブルもありました。
嫌な思いもしました。
義姉と主人は仲が良いとは言えないので、大変なこともありました。

でも、もういいんだ。と。



義姉を介護している義母の姿を通して、感じたこと。

義母は最後まで献身的に介護していました。
明るく話しかけ、大変な世話も、大変だとか、辛いとか一切言わず。

もう自分ではトイレに行くことも、話すことも出来なくなってしまっている義姉を優しく見守っていました。

そこに生きていてくれればいい。

それだけでいいんだ。

それは、無償の愛。









そうなんだ。

私は何か出来ないと愛されないと思っていた。

人に迷惑をかけたら、いけないと思っていた。

違うんだ。


その時、その時を自分で出来る限りのことを

精一杯生きていたら良いんだ。。。


だから、

私はこれから毎日を大事に

一生懸命生きていく。

今、出来ることを丁寧に精一杯。