Sexは人間の営みの中で、最高の喜びだ、とNYでのゲイの友人が言っていた。
第二次大戦末期、多くの少年兵は女性を知らぬまま戦火に散った。その母や姉から彼らに送られた多くの花嫁人形が靖国神社(遊就館)に納められている。
その人生最高の喜び?を知ること無く死んで行った子や兄弟達への鎮魂の思いなのだろうか。
人間が一生においてするsexの回数がそれぞれ決められているとするなら、いったい自分の最後のそれは何時、誰と?なんて考える。もう終わってるかもしれないけど?(笑)
人が老いて、例えば90歳になって、「今思うと、あのときのあれが、わしの最後のsexだったのじゃろう」なんて思うのか。
女性なんかは幾つになっても、もしかしたら明日、それが有るかもしれない?なんて思ってるのかなぁ?!
多くの人は今しているsexが最後のそれになるかもしれないなどと疑うことも無い。ただ多くのそれの中の一回と。
食事も同じこと言えるなぁ、人生が突然終わっちゃうことを考慮したら。
俺はこれから有るか無いか分からないその機会に遭遇したら、これが最後かもしれないと、感謝を込めてそれに挑もうと思います。(笑)
御拝読、感謝!